終章「いつか、また、この場所で、君と」

いつか、また、この場所で、君と

 

「王立ロンロン牧場職員トバリ=テジャ。本日付けで汝の降格処分を解くものとする。ついては汝の本部第6中隊への復帰を許可する」


 中年の人事官が淡々と告げた言葉に、トバリは拍子抜けして鳩のようにきょとんとした表情を浮かべた。

 赤みがかった鳶色の髪と、夜の闇を煮詰めた黒色の瞳の少年職員は、何度か声を出そうとして失敗し、絞り出すようにしてようやく言葉を発した。


「あ、あ、あ、あのー人事官殿」


「また言葉の途中に質問かね、トバリ=テジャ元一等兵士」


 いつぞやのように人事官はため息をつき、金属の縁に覆われた眼鏡をクイと動かした。


「そんなに簡単に降格処分が解けるものなのでしょうか。そして復帰は強制なのでしょうか」


「質問は一つにしたまえ、一つに」


 人事官は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「……まぁいい。最初の質問だが、例の〈解放団〉壊滅に大きく貢献した功績を評価する声が本部で次々と上がってな。上官殴りの問題を帳消しにしても余りあるとの結論になったのだ」


 あの隻眼の鬼人族オーガガルザリク率いる〈解放団〉との戦いから、10日が経過していた。


 壊された食堂は修理が終わり、牧場はすっかりいつもの日常を取り戻している。〈解放団〉の件はイグルカが兵士団と連絡を取り、収束した。捕まった〈解放団〉の残党達は王都に送られ、しかるべき裁判を踏んで罰を決めるとのことだった。

 昔は罪を犯した亜人は片っ端から縛り首か火炙りにしていたらしいが、時代は変わったということだ。


 そこはロンロン牧場の牧場長執務室だった。部屋にいるのは自分と、突如来訪した人事官の2人だけだ。王都の人事官が直接辺境の牧場にまで出向いてくるのは何事かと身構えていたが、どうやら悪い話ではなさそうだった。


「そして次の質問だが、配置換えに強制力はない。一応本人の希望を聞いてから決めるとのことだ。まぁ、断る理由などないだろうがな」


「あ、それは拒否でお願いします」


 トバリが即答すると、人事官が転びかけ眼鏡がずれた。


「い、一応理由を聞いておこうか」


 この人事官が慌てた姿を初めて見たな、とトバリは思った。


「自分自身、この場所で学ぶことは多いですし、仕事に魅力も感じています。まだここに来て2ヶ月も経っていないのに去ってしまうのは惜しいと思いました」


 それに、と続ける。


「〈解放団〉の件での職員が牧場を去りました。ただでさえ人員が足りなかったのに自分までいなくなってしまうと、職場が回らなくなります」


 クリスロアは戦いの中で命を落としたとイグルカは報告していた。

 きっと本人は名誉を守るための嘘にいい顔はしないだろうが、牧場の仲間であったことを塗り潰したくはなかった。


 牧場からはもう1人、別の職員もいなくなってしまっている。自分まで抜けてしまえば、ドラゴン達の世話は行き届かなくなるだろう。


「やぁ、先輩じゃないか! 来てるならアタシに伝えに来てくれてもよかったじゃないか、水臭い」


 牧場長の執務室の扉が開いて、イグルカが大股で入ってきた。途端に人事官が苦手なものを見たような渋い顔をする。


「先輩って……イグルカさんは人事官殿と知り合いだったのか?」


「あぁ、そうさ。アタシの兵士団時代にいた部隊の先輩でねえ。弱っちいからよく守ってやったもんさ。今じゃ一線を退いているが、机に向き合うお役所仕事が向いていたみたいだね。アタシと違って」


「貴様……相変わらずの舐め腐った態度だな。王都では懲罰解雇ものだぞ」


 人事官がこめかみに青筋を浮かべなから憎々しげに言った。

 この人事官は以前、ロンロン牧場のことを「肥溜めのような職場」と表現していたが、あれはイグルカへの個人的な悪意を込めたものだったのだろう。


「ほらほら、トバリとの話は終わったんだろう? 彼はこの後に大切な仕事が控えているんだ。続きの話はアタシとしようじゃないか……主に人員補充と予算増額についてね」


「人員はともかく、予算は私の管轄外だっ」


 イグルカが人事官の背中を押して、トバリから遠ざけていった。


「トバリ」


 振り向いた鬼人族オーガの牧場長がトバリに声を掛ける。


「アタシは君の選択に敬意を表するよ。牧場とドラゴン達が、君の人生に豊かな知識と感動をもたらすことを願っている。さぁ、仕事に行ってきな!」


 トバリは鋭い声で「はいっ!」と答える。大きく一礼すると執務室を後にした。





 外は雲ひとつない快晴だった。

 春の日差しを受けて、牧草が瑞々しく輝いて見える。


「トーバリくぅーん!」


 元気な少女の声が響いた。

 そちらを見れば、炎蜥蜴族サラマンダーの少女ラキがエルーの背に乗りながら手を振っていた。

 まだブルートドラゴンに乗ることができないラキが背の低いエルーで練習をして、エルーも背中に人を乗せる訓練をしているらしい。ほとんど一緒に遊んでいるようなものだが。


 エルーの背から降りたラキが、ぴょんと跳びついてきた。トバリはそれを両手で受け止める。もとからよくじゃれてきたりはしていたが、最近はそれがより密接になっている気がする。


「トバリ君はこれから牧場の案内のお仕事なのだ?」


 抱きかかえられながら、ラキが尋ねてきた。


「ああ、そうだ。初めてだから今から緊張している。自分がうまく案内をできるのだろうか」


 トバリは午後から見学者に牧場を案内する仕事が入っていた。頻度はそう多くないが、牧場の仕事と役割を理解してもらうための大切な仕事らしい。

 しかしそもそも人前に立つことは苦手だし、牧場のことも未だ勉強中の身だ。そんな自分が案内役などを担ってもいいのだろうか。


「自信を持つのだ! 昨日ラキと練習した通りに話せればきっと大丈夫なのだ!」


 彼女の元気な声を聞くと、そうかもしれないと思えるから不思議だ。

 ラキは自分の腕の中から降りると、いたずらっぽい顔になって首を傾げた。


「それとも、お姉ちゃんが一緒について行った方がいいのだ?」


 その言い方には、やはり男としてムッとくるものがあってトバリは言い返す。


「誰がお姉ちゃんだ! ラキはむしろ自分から見れば妹のようだぞ」


「ラキはお姉ちゃんなーのーだー!」


「妹だ!」


 そんな言い争いをしていると、エルーが呆れたように大欠伸をした。それを見て、今度は2人で笑い出す。


「はぁー、何してるんだろうな、自分達は」


 この太陽のような少女といると、いつも調子が狂う。なんでもない会話や日常がやけにご機嫌なものに変わっていくのだ。


「やっぱり、ラキはトバリ君と一緒にいるのが楽しいようだ。これからも共に頑張るのだ、相棒!」


 ラキが小さな拳を握って前に出してきたので、トバリも同じように握る。

 2人の間で、こつんと拳が合わさった。





 牧草地をエルーと共に歩いていく。

 仔竜は最近ぐんぐん背が伸びてきて、後ろ足で立てばトバリと同じくらいの高さになるまで成長していた。

 右手の〈竜印ドラグニカ〉を通じたやり取りはより正確になってきて、簡単な会話ならこなせるようになってきた。


『きゅい』


 エルーが小さく鳴いた。どうやら自分に何かを見せたいようだ。

 仔竜が向く方を見ると、〈飛竜〉ワイバーンの群れが群体飛行に出発するところだった。雲ひとつない青空を背景に、一糸乱れぬ隊列で飛ぶ姿は美しい。


 ふと、シオンと初めて出会った時のことを思い出した。

 ワイバーンに乗った彼女は空から舞い降りてきた。輝く銀髪が揺れ、その神秘的な雰囲気に心を奪われたのを今も鮮明に覚えている。


 シオンは、牧場には戻らなかった。


 彼女が心を通わせた〈古代炎竜〉エンシェント・ファイアドラゴン——メイヴァが安心して生きられる場所を探すために、共に旅立っていったのだ。牧場で飼うわけにはいかず、封印されていた場所に居続けるのも精神的に苦しめてしまう。


 巨竜の安寧の地が見つかるのは何ヶ月か、あるいは何年かかるかわからない。

 それでも彼女は「必ず帰る」と約束してくれた。

 自分はそれまで、この牧場を守ろうと誓った。人事官からの王都帰還の誘いを突っぱねたのも、その誓いがあったゆえだ。


「いつかまた、この場所で」


 トバリは足を止め、風がそよぐ牧草地を見渡した。


「君に会えることを願っている」


 銀髪の少女に想いを馳せると、訳も分からず鼓動が早くなっていく。この空の下、彼女達は元気に過ごしているだろうか。あるいは、彼女もこの空を見上げているだろうか。


 見ていてくれたら嬉しいな、とトバリは思った。

 自分とエルーが見るこの空を。


 自分はこの場所でどうにかこうにか頑張っている。失敗する時もあるけれど、元気にやっている。だから君は、何も気にせず君の役割に向き合ってほしい。そして使命を終えたその先で、会えることを待ち望んでいよう。

 そう。いつか、また、この場所で、君と——


「そういえば、シオンは去り際に何かを言っていたな」


 トバリはふと思い出した。

 シオンがメイヴァにまたがり空に飛び立つ直前、自分に向けて言った言葉があった。

 彼女は確か——「返事は、次に会う時まで待っているから」と告げていた。なぜか顔を恥ずかしそうに紅潮させながら。


 返事とは、一体何の問いかけへの返答なのだろうか。彼女が帰ってくる時までに思い出さなくてはならない。大きな戦いがあると前後の記憶がすっぽり抜けてしまうのはトバリの悪い癖だった。


『もし、私があなたと一緒にいることを望んでいるとしたら、あなたは……』


 心当たりと言えば、エルーの新しい竜舎が完成した日の夜だ。2人切りになった時に呼び止められ、問いかけられたことがあった。


(一緒にいることを望むって……まさかなあ)


 トバリは頬を掻いて、牧場の案内の段取りについて思考を切り変えることにした。



 ——不器用な2人が紆余曲折を経て何かしらの答えにたどり着くのは、まだまだ先の話である。





 見学者だという精霊族エルフの一家は、牧場の門の近くで待っていた。

 主人は精霊族エルフにしては珍しい恰幅の良い男で、景気の良さを伺わせる。奥さんはほっそりとした優しそうな女性だ。

 そして2人の子供と見られる少年は、エルーの姿を見て父親の後ろに隠れてしまったが、興味を隠せないといった様子で顔だけを出してじっと見つめている。


「すいませんねえ。息子はドラゴンが大好きで、どうしても牧場に行ってみたいと言うものですから。たった3人なのにわざわざ案内していただき申し訳ございません」


 主人が低姿勢で頭を下げた。


「いえいえ! 牧場は国庫で運営していますから、これくらいは当然のことですよ。自分達の仕事ぶりやドラゴンのことを知ってもらえたら嬉しいです」


「そうですか、それなら……」


 そう答えると、主人は安心したように息を吐いた。

 次にトバリは主人の後ろに隠れたままの少年に笑顔を向けた。


「ほら、このドラゴンさんを触ってみないか? 大丈夫だよ、この子はおとなしいから絶対に噛んだりしないさ」


 そう言いながらエルーの首を撫でていると、好奇心が恐怖心に勝ったのか、そろそろと近づいてくる。手を伸ばすと、指先でエルーの美しい青色の鱗に触れた。

 一瞬触れただけですぐに手を離してしまったが、もう一度、今度は少しだけ長めに触れる。

 そんなことを繰り返していると、少年に笑顔が生まれた。


「ドラゴンさんの鱗、ざらざらしてるよ!」


 喜んでもらえて、エルーも満更ではなさそうだ。

 『きゅきゅい』と胸を張って自慢気に鼻を鳴らしている。


 森の木々のような緑色の髪の少年と、同じ髪の色をしたクリスロアが重なって見えた。

 この少年が大きくなった時、一体彼はこの世界の中で何を目撃しているのだろうか。喜びもあれば悲しみもあり、発見があれば失望もあり、秩序と混沌、正当と理不尽が塗り混ぜられたこの世界で。

 恐る恐るでいい。ちょっとずつ、たくさんのことを知って、大人になっても今のように無邪気な笑顔で笑える人に育ってほしい。せめて、そう願いたい。


(ならば、今日はその第一歩だな。責任重大だぞ)


 トバリはこほんと咳払いをすると、精霊族エルフの一家に向けて声を放つ。


「えー、皆さん。これから私が王立ロンロン牧場の案内をいたします! 身近になってきたドラゴン達の生活の姿や、知られざる習性、そして我々職員がどのようにドラゴンの世話をしているかを見て知って、学んでもらえたらと思います!」


 トバリは昨晩ラキと特訓して覚えたセリフを必死に思い出しながら喋っていた。

 牧場の案内をすらすらと言えるようになれば一人前なのだろうが、自分はまだまだ未熟者だ。それだけ成長の余地があるとも言える。


「まず、安全に楽しく見学をしてもらう上で、皆様にいくつか守ってほしいことがあります。第一に覚えていてもらいたい注意点が……」


 最初の注意は大切だ。

 もし機嫌の悪いドラゴンにうっかり手を出して噛まれてしまうなどしたら、子供は恐怖心を感じてしまう。せっかく興味を持ってもらったのに、ドラゴンのことを嫌いになってしまうのかもしれない。


 まず相手をよく知ること。

 異なるものと分かり合うためには、それが一番大切な心構えなのだとトバリはこの牧場に来て学んだ。


 唯一絶対の正解なんて、分からなくてもいい。

 興味を持って、相手に向き合う。その気持ちが架け橋になるから。


(第一に覚えていてもらいたい注意点は……なんだっけ? えーっと、えーっと……あ、そうだ!)


 一瞬、セリフを思い出せずに混乱したがなんとか持ち直した。

 トバリは大きく息を吸って、青空に声を張り上げる。























「牧場ではドラゴンに餌を与えないでください!」





〜完〜

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牧場ではドラゴンに餌を与えないでください! 三ツ葉 @ken0520

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