背徳の深夜メシ

蟬時雨あさぎ

午前三時の小さな冒険(同題異話SR参加話)

「……う」

 暑い。

 理桜りおの瞼を開けさせたのは、その居心地の悪さだった。次いで、ぐっしょりと汗をかいていることに気が付く。半身を起こせば、背中にねばつくような肌の感覚、じんわりとまとわりつく湿度。

 辺りは暗く、暗く。遮光カーテンの向こうからわずかに見えたのは月の光。枕元にあるはずのスマートフォンに手を伸ばす。

「なんじ……」

 午前三時二分。

 機械がバグを起こす確率よりも自分の脳味噌がバグを起こしている確率の方が高いことを、寝ぼけまなこに理解し一気に目が覚める。

 と同時に、理桜が段々と思い出してくる眠る前の出来事。


 今日、理桜は朝から多恵たえばあさんの畑仕事を手伝っていた。楽しくはあったものの、収穫、運搬、どれをとってもただの女子大生には重労働。

 有難うねぇ、なんて言われ野菜をおすそ分けを上機嫌に持ち帰ったのは良いもの、帰宅後にシャワーを浴びて直ぐに、うとうととしてしまったのである。


 眠りに眠りこけた結果が晩ご飯抜き、歯磨きも洗顔もしていない現状である。理桜が最後に見た時計は、午後六時すぎを指していた。

「……はあ」

 やさぐれた溜息と共に、立ち上がる。

 手探りで寝室を出る。部屋の灯りを点けていきながら、簡単にシャワーを浴びてひとしきり汗を洗い流すと。

 午前三時十四分。台所にて。

 理桜は冷蔵庫を漁る。

 麦茶、牛乳、卵、バター、シーザードレッシング、ケチャップ、マヨネーズ、いくつかの調味料、ホイップクリーム。野菜室にバナナ、オレンジ、おすそ分けの野菜。

(サラダ、っていう気分じゃないんだよね……)

 理桜は戸棚を漁る。

 薄力粉、強力粉、片栗粉にパン粉、上白糖、麦茶葉、コーヒースティック。台所には塩、胡椒、以下省略。

「……」

 理桜は無言で炊飯器を開ける。

 空であることは勿論知っていた。今朝炊いておいた一合の白米全てを平らげたのは、他ならぬ理桜自身なのだ。

(インスタントのスープとか冷凍食品とか、買っとけばよかったなあ……)

 自炊を頑張ろう、とのことで買うのを控えていたのが裏目に出た。つまり、お湯を注いで三分や、電子レンジ五分で食べれそうなものはないということである。


 ふわあ、と欠伸と同時に、理桜の腹がぎゅううう、と鳴いた。


 そこでふと、もう一度冷蔵庫を開ける理桜。

「ん? もしやのやもし……」

 次いで、戸棚を探る。理桜はにやっと笑みを浮かべた。

 奇しくも、ある料理の材料全てがある。

「パンケーキが作れるやん!!」


 午前三時二十分。

 牛乳、バター、卵に砂糖、塩。薄力粉・強力粉、あとはベーキングパウダー。必要なものを一通りそろえると、理桜はエプロンを着ける。

 まず、必要分のバターを切り分けて弱火で湯煎に掛ける。

 量りにボウル乗せて、薄力粉と強力粉を六対四ぐらいの割合で合わせて計量。ベーキングパウダーを落とす。塩を一つまみ。

 ふるいにかけるべきだが、面倒ということで理桜が取り出したのは泡立て器。舞わないように気を付けながら、だまが無くなるように粉を混ぜていく。

「たまごまごまご~……っと」

 卵を割って、贅沢に卵黄だけ使っていこうと卵白を分離して、メレンゲクッキーにでもしようと冷蔵庫にしまう。卵黄に砂糖を合わせて溶かし混ぜ合わせ、そこで聞こえてきたのは、ふつふつと何かが煮え立つような音。

「やばい焦げるっ」

 急いで火を止めると、そんなこんなでバターが溶けていた。そこに牛乳を入れ、先程の砂糖卵黄を入れ。泡立て器で液体物を混ざり合わせたら、粉類の入ったボウルへとドボン。

 あとは混ぜる。混ぜる。混ぜる。混ぜて。混ぜ合わせたら。

 ねっとりとしたパンケーキ生地の完成である。


 午前三時二十七分。

 熱せられたフライパンに油を引いて、おたまを使って生地を流し込む。換気扇の音に加えて、じゅーっと弾ける油の音。

 円状になるように底面で伸して、焼き目が付くまで待つ。焼き目が付いたら。

「ほわちゃあ」

 アーティスティックにひっくり返して反対面も焼いていく。

 箸をぶっさして中まで火が通っているようであれば完成だ。生地を流し込んでは焼き、流し込んでは焼き。

「いよーっし」

 用意した分の生地は、大判あつあつ焼き立てパンケーキ三枚になった。


 暗闇と静寂が支配するリビングの中、テーブルの上を照明が点けられて。

「いただきまーす」

 午前三時三十五分。

 ナイフとフォーク、間に大皿、三段重ねのパンケーキ。それらを目の前にして、理桜は思い立った。

(これは――、やるしかないのでは?)

 と。

 冷蔵庫から取り出す、ホイップクリーム。野菜室からオレンジとバナナを取り出して、フルーツナイフで適宜カットを行う。調味料入れを漁れば、お菓子製作キットで余ったチョコペンが御出ましだ。

 持ち前のホイップ技術でパンケーキを飾りに飾っていく。そこに輪切りにしたバナナ、皮をむいて一口大に切ったオレンジを乗せて、最後にチョコペンでクロスハッチをすれば。

「これぞ完璧なカロリーの塊……」

 理桜の前にあったただのパンケーキは、チョコバナナオレンジホイップパンケーキに進化した! これぞ、深夜のプチ冒険カロリーセットである。

 パンケーキへ六等分にナイフを入れると、取り皿にひとかけ移してから、更に一口大にカットして。チョコの掛かったホイップクリームを付けて。

 ――頬張った。

「んん……!」

 口を閉じたまま、理桜が零す感嘆の声。

 背徳の味がした。それはもう、甘ったるい蜜のような味わい。

 パンケーキの生地の甘さ、ホイップクリームの甘さ、そしてチョコレートの甘さ。それぞれベクトル違う甘さが掛け合わさり、混ざり、調和する。ごくり、と嚥下してから思わず。

「おいしい!!!」

 ど深夜に響く大きな賛辞の言葉。

 これぞ理桜が求めているエネルギーでありカロリーであり癒しであった。

 今度はオレンジを添えて口に運んでみる。やはりオレンジとチョコレートの黄金タッグは健在らしい、チョコレートの甘みの中に、オレンジの果実ならではの甘さ、アクセントの酸味が加わることでパンケーキの甘さが引き立つ。

「さいこう」

 バナナとチョコレート、ホイップクリームと共に食べればそれこそ、幅広くクレープなどでも親しまれている組み合わせだ。バナナの独特の食感とふわふわのホイップクリーム、パンケーキ。控えめな主張の甘さが、チョコレートの甘ったるさを抑制しつつ、生かさず殺さずの調和をもたらす。

「……さいこう」

 一枚目のパンケーキが平らげられたところで、理桜の語彙力は溶けた。


 午前三時四十九分。

「ご馳走さまでした……っ!」

 ぺろり、と平らげられた空の皿を前に、理桜は両手を合わせた。無意識に口角は上がり、ご満悦といった様相である。カトラリーと皿をまとめると、流し台において軽く水に浸して。

(洗い物は……まあ、起きてからでいっかあ)

 などと考え、手を洗ったところで大きく欠伸を溢した。どうやら、食欲が満たされたことで家出していた眠気が帰宅したらしい。

(歯ぁ磨いて、もっかい寝よ……)

 ふらり、と洗面所に向かい身支度を整えて。

 午前三時五十六分。

 寝室に舞い戻った理桜は、ベッドに入って三秒入眠した。


 だが、彼女は知らない。


 次に目覚めたとき。


 労働による全身筋肉痛。

 日焼け後の肌荒れ。

 暴食による胸やけ。


 という三重苦が待ち受けていることを――。

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背徳の深夜メシ 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi

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