第5話 薔薇の銀白

 魔物の中において、物質肉体というものを超越した存在が認められている。

 その物が持つ知性においては個体差こそ生じるが、それが及ぼす脅威に関しては往々にして破滅的な力を持つものが多い。

 肉体の滅びがそれすなわち生命の滅びに直結しない化け物。

 それとの契約を結び、助力を乞う、あるいは使役する人間のことを大陸においては「装魔師」と呼び、しょうにおいて彼ら阿僧祇あそうぎは自身の一族を「守人」と呼ばれた。

 それらの魔物が人類に力を貸すというのは大体がその性質によるものが多い。

 あるものは強さを求め、人の内に潜むことによって今のままでは得られることのない気付きを求めて。この場合実際に得られるかどうかは大きな問題ではなく。

 あるものはその人間一個人の生き方に価値を見出して。

 あるものは人の世の何かしらの娯楽に魅せられて、対価としてそれを求めたり。

 あるものは連綿と受け継がれる血筋そのものと契約を結ばされ、その血が絶えるまで見守り続ける一種の守り神として。

 無論善なるだけではなく、血肉、屍を捧ぐことを求める、人類種から見れば純悪も存在する。

 通じて言えることは、人は大小なりともリスクを支払うことによって、それ以上の暴力をその身に宿すことが出来る。

 同時に対等な関係を結んでいる、あるいは完全な支配下に置いているという装魔師は稀だ。

 それだけ、精神体だけで生きられる魔物は尋常ならざるものが多いという証左でもあり、強大な人間はより強大な力を求めるという欲の深さの体現でもあった。


 兎角、彼女はそうらしい。「睡蓮」のメアリ・ローラン。そしてどうやら彼ら「阿僧祇」の一族も。

 同業者としてのシンパシー。

 メアリが接触を図った要因の一つとしては、なるほど確かに動機になるだろう。

 そしてもう一人。

 阿僧祇の身辺を調査していた「睡蓮」において、当然ヤン・ファンもまた阿僧祇が魔装を生業とする一族だと知っていた。

 少なくともこの都市にいる阿僧祇の五人が五人とも魔装師だろうとヤンは考えている。

 現状、魔装の行使、その確認を取れているのは阿僧祇穣、澗三郎、京の三人ではあるが、五人の内三人が魔装を宿しており、長男と四男が使えないというのは考えにくかった。こういう場合は全員が全員そうなのだと決めて掛かった方がいい。

 敵……になるかはまだ分からないが、仮想敵組織として計算した時に戦力の過小評価は愚の骨頂だということくらい、ヤンは分かっていた。

 阿僧祇の最大戦力。それは追々調べていったらいい。そんな考えでヤンは物事を進めることにして、取り敢えずの接触を図った……結果がこれだ。

 目の前に広がるのは凄惨というにはほど遠い、余りに静謐な結果。

 正直言って、ヤンは多少の期待をしていた。「睡蓮」の見習い未満の彼らが引き起こしたこの展開について。

 先に述べたように「睡蓮」という集団クランからすればこの「ドリアードの幹まくつ」に連れてきた彼らは全員、消えてもなんら痛痒のない存在だった。

 本当に最低限の力だけはあるとして一応の入団を許可し、そこから何十、何百という篩に掛け、それでようやく本当の「睡蓮」の一員として認められる。

 その入り口に立ったに過ぎない彼らではあるが、同時に数の暴力というものが存在するのも事実だ。

 都合六対一。

 十人からなる集団から引率の自分ヤン、純粋な籠負が三人。それを引いたのが実質の戦闘要員。ああ、そこから即寝かされた奴が一人いるから、五対一になるのか。

 ならばひょっとして、人数差という単純この上ないアドバンテージでもってこの阿僧祇穣の魔装の一端も見られるのではないか。

 ヤンの抱いた淡い期待はそれだった。

 そしてどうやらそれは余りにも淡く、儚く、彼らに求めるには酷な期待だったようで。

 目の前ですやすやと眠りこけている彼らを過大評価していて、傷一つなく、息一つなく、まるで何事もなかったかのように佇む阿僧祇を過小評価していたことをヤンは深く理解した。

 阿僧祇はそのままでも普通に強い。

 改めて鑑みれば至極当然な結果を、ヤンは受け止めていた。

 でなければこのボウハムにおいて我々「睡蓮」や「黄金獅子」、「啄ばむ鴉レイヴン」の眼を無視するかのように「阿僧祇われらこそが最強」などと謳えるはずもない。

 

 それにしても、だ。

 目の前の綺麗すぎる惨状を見て、ヤンはため息を吐いた。二つの意味で、だ。

 一つは、穣のその仕業の見事さ。

 穣が用いたのは己の拳一つ。対して彼に向かったのは五つの凶刃。これは中々加減が難しい。だというのに、今この現場において一滴の流血もなく、襲い掛かった雛たちは全員見事に顎を一閃打ち抜かれてお寝んねしている。

 一度目の前でそうして眠らされた人間を見て、十分に注意を払っていただろうに、これだ。

 一部始終をその眼で捉えていたヤンからすれば、同じことを五度繰り返されただけ。最早それは穣が打ち抜いた、というよりかは好き好んで打ち抜かれに言った、と表した方が正しい写像。

 その崩れ落ちた姿勢の無様さにさえ眼を瞑れば、木々からの木漏れ日もあいまって、ピクニックに来て遊びつかれた無邪気な子供のように健やかに眠っているようにさえ見える。……寝転がっている多数がむくつけき青年であるけれども。

 故に出てくる言葉が静謐すぎる惨状。

 暴力が行使された残滓が全く感じ取れない、異様な光景。

 阿僧祇は人の壊し方をよく知っている。その強弱さえも意のままに操るのだろうことが一目で分かる仕上がりとなっている。

 これほどの業を身につけるということは、よほどの数で試したのだろうな。ヤンは内心で拍手を打つ。

 そしてもう一つのため息は、「睡蓮」が選ぶ「最低限」に対してである。

 幾ら相手が悪かったとしても、この有様は余りに酷い。

 多数を取って篩に掛け続け選抜する方式とはいえ、流石に帰ったら入団基準の見直しを上申しようと決心しながら、ヤンは白目を剥きだしにして能天気に眠る彼らを起こす。

 ヤンが彼らに爪先でトンと蹴りを入れるだけで意識を取り戻す、穣の絶妙な力加減に、再び、「はぁ」とため息を吐いて、眼一杯の侮蔑を眼を覚ました彼らにぶつける。

「情っさけな」

 これでは確かに、全員が非戦闘員かごおいが精々であるとヤンは穣の言葉を肯定する。 

 メアリ・ローランもまた今日、阿僧祇に接触すると言っていた。

 同じ魔装師同士、語りたいこともあるのだろう。では彼女はどうするだろう。軽い手合わせくらいならしてくるだろうか。

 そうなると比較的分かりやすい物差しになるのだが。

 こればかりはメアリの思考を読まなければならないので、ヤンは早々に考えるのを諦めた。

「とっとと起きた起きた! 起きたらさっさと進む!」

 そうしてヤンは一人一人を蹴り起こしていった。



 

 魔装師おなかまを見つけた。

 メアリ・ローランからすればこれは中々に喜ばしいことだ。

 まず第一に、人の身に宿すことが出来る身体……精神体を持った魔物の絶対数が少ない。更にそこから一旦は肉体を捨てて人の身に宿る好奇心、あるいは向上心を持ったものでなければ交渉にならない。

 双方が聞く耳を持たなければ人間と魔物の間で成立するのは話し合いではなく殺し合いである。

 それら諸々の壁もあって、メアリはこのボウハムという脳から頭蓋という天井を取っ払ったような突き抜けた連中がごろごろといる街にあっても指で数えるほどにしか同職と会ったことがない。

 しかもこの阿僧祇という連中、全員が全員魔装師である可能性が大だとヤンから聞いた。

 ――一族総出で頭がブッ壊れている。

 自身も大概壊れていると自認しているメアリをもってして、阿僧祇にはそんな意見を抱かざるを得なかった。そしてその話を聞いた途端、メアリから阿僧祇に向けられる興味は一気に爆ぜた。

 建前と本音が逆転する。

 メアリからすれば阿僧祇の勢いなどクソほどどうでもいい。しかし「睡蓮」からすれば懸念事項の一つとして考えられるのがそれだ。

 これでメアリに「睡蓮」に対する帰属意識というものが薄かったのなら早々に阿僧祇と話し合って殴り合って殺し合って語り合う思うがままに敵対するところだったのだが。

 生憎彼女にもそれなりの帰属意識と身につけた社会性があった。

 故に彼女はヤン・ファンの狙い通りに。

「フフ、どうだろう。同じ魔装師同士、ちょっとかたり合わないかい?」

 思うままの殺し合いでなく、あくまで交友を深めるスキンシップのため、殴り合いを提案した。

 彼女が腰に佩いた直剣、「薔薇の銀白ローゼスアルジェンタート」を鞘ごと右手に取り、澗三郎の顔の前に突き出して。

「構いませんが、どちらで?」

 素知らぬ顔で応じる澗三郎に、メアリは満面の笑みを浮かべて答えた。

「今此処で、さ!」

 抜剣の音。

 銀の薔薇がしゃらんと立てるその響きは、周囲に絢爛さを湛えている

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阿僧祇の旗へ @sakai_yama

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