第4話 睡蓮と守人

 阿僧祇千歳が今現在置かれている状況は当人からすればよく分からないものであった。

 話があると唐突に連れ込まれたカフェテラスにて、目の前に座るは一人の女性と、そして彼女のサインを求めてひっきりなしに訪れる人波。

「やあ、こちらから話しかけたというのにまったくすまないね。見ての通り私はこれで中々人気があってね。巷では、フフ。『白銀の君』だなんて言ってくれる人もいるらしい。フフ、なんともまあ、面映いことだね」

 視線を彼女のファンだろう子供から受け取った色紙に落としたまま、その女性は申し訳なさがいまいち感じ取れない語調で千歳と澗三郎に謝罪した。

「これで子供には全員書いたかな? 見ての通りこれからちょっと彼らと話したいことがあってね。心苦しいがサイン会はこれで終了とさせてもらうよ」

 えぇ、と彼女を取り巻く周囲の人波から声が上がった。それに対して「すまない、すまないね」と片手を挙げて宥める彼女。「向かいに座ってるあいつら誰?」「知らんのか? あれがアソーギだよ」と散り散りに去っていく野次馬の中からそんな会話が漏れ聞こえた。

「待たせたね。フフ、それにしても君たちも名前が大分売れているようだね。妬けちゃうなぁ、まったく」

「はあ、これはまた、どうも」

 千歳の横に座った澗三郎が感情のこもっていない声で返す。

「確か貴方は『睡蓮』の……」

「そう、『睡蓮』のメアリ・ローランだ、よろしく。気軽にメアリでもメリィとでもお好きなように呼んでおくれ」

「ではローランさんと」

 間髪いれず澗三郎が答えた。

 メアリは眼を丸くして澗三郎を見つめた後、つい、とその碧眼を千歳に移した。

「ローランさん、それで、一体どのようなご用件でしょうか」

 千歳もまた、澗三郎と同じくそう呼んだ。

「フフ、そうか、そうか。なるほど、これは素敵なお二人さんだ」

 納得したかのように二度三度頷いた後、メアリは座っていた椅子の背凭れに体重を預けて天上そらを仰ぐ。「用件、用件ねぇ」と小さく呟いて。

「君たちと純粋に話してみたかった……それじゃあ、ダメかな?」

 千歳たちに見せていたつるりとした美しいおとがいを隠して、メアリは首を傾けた。


「ごゆっくりどうぞ」

 取り敢えずお茶でも飲みながら話そう、奢るから。とのメアリの一言を受けて、三人の前には湯気を立てた紅茶が一つ、緑茶が二つ並べられた。

 そして、千歳と澗三郎が頼んだ透ける翡翠色の飲み物をメアリは心底不思議そうに眺めている。

「……どうしました?」

「ううん、こう言ってはなんだが、本当に緑茶それを飲む人がいるんだなあと関心していてね」

「我々も始めて紅茶それを飲む人を見たときは同じ感想を抱きましたよ」

 澗三郎の至極当然の返答を喰らって、メアリは暫くの間固まった後。

「うん、全くの道理だねそれは」

 右手で自らの顎を撫でながらそう言った。

「フフ、愉快だね。そうだ、その緑茶について一つ恩着せがましいことを言ってもいいかい?」

「どうぞ」

 澗三郎が促す。

「何を隠そうそれを仕入れるように言ったのは私でね。君たちの故郷の味ってやつかい? それを味わえるように手配しておいてあげたのさ」

「それはまた、ありがとうございます」

「フフ、いいさ、いいのさ。ゲストをもてなすのはホストの義務って奴だよ。お気になさらず」

 ならばそのことを我々に告げなければいいのに。

 二人の会話を眺めつつ千歳は口と表情にこそ出さないが内心でそう思った。

「何も返す品もありませんが……」

「いやいや、君たちの時間をちょっと頂く、そのことが十分な返礼だよ。さて、何から話そうかな。まずは君たちアソーギと話しをしたいと思い立った理由からにしようか。うん、そうしよう」

 メアリは湯気を立てる紅茶を口に運び、潤滑油が如く僅かばかりに唇を湿らせた。

「君たちはヤン・ファンという男を知っているかい? 『睡蓮わたしら』の仲間の一人なんだけどね。彼が数ヶ月前からどうにも気になる集団クランがいるとずぅーっとぼやいていたんだ」

 さながら夜寝る前に枕元に忍び込んだ蚊の如くね。

 メアリの比喩を「それはまた、厄介なものですね」と澗三郎は無感動に答える。「だろう?」と肩を竦めて見せるメアリを、千歳はどこか遠い眼で見ていた。

「なんでも破竹が如く勢いで等級を上げている集団だとかで、兎角気になると言っていたんだ、ヤンという男はね」

「恥ずかしくもその時の私は大して気にも留めていなかった。そういう集団はたまに現れるし、相応の実力は備えているのだろう。ただしかるべき等級に辿り着いたら、そこで止まる。そこからはまあ……一つ上がれば優秀な方かな。不思議とそういった集団は勢いが止まったところで頭打ちになるんだ。悪いと下がるところもある。不思議なものさ」

 だけど。

 メアリがぱん、と手を叩いて澗三郎に指を差す。

「止まらない。止まらなかった。そりゃあ、気になるだろう? 何処まで来るのか、何処で頭打ちが来るのか。……これで中々『睡蓮』というのは長くやっていてね。主要メンバーは代替わりもしていたりしていなかったりなんだ。ただその中でも古株の奴に話を聞いても言うんだ」

「此処まで一足飛びにやってくる集団は記憶にないってね」

「このままの勢いで一等にまで辿り着くかもしれない。そうなるとまさかの『睡蓮』と同等級だ。この国の査定において頂点だという認識になる、自他共に。私たちと同じということは、私たちと同じことが出来るのと同義だ。私たちが狩れるものは君たちも狩れる。そうなると猟場が重なるかもしれないよね。じゃあその本質はどんなもの? その性質はどのような形? ……いやあ、これは誰が見ても気になるよね?」

 それが君たちに声を掛けた理由。

「つまりは人となりを知りたいのさ。長々と語ったけど結局のところそれだけ。……あ、私はね。ヤンが何をしたいのかは知らないよ」

 その言葉を受けて、澗三郎は少し引っかかりを覚えた。

「その言い方だとそのヤン・ファンという人も我々に接触を図ろうとしているのですか?」

「図ろう、というか、もう図っているよ。色々君たちアソーギのことを調べさせてもらったんだけど、大体この日は三人が魔窟に潜って千歳くんともう一人が残っているんだろう?」

 つまり、ヤンはそっちの三人と話をしに行ったみたいだよ。

「我々が誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けるような連中だという考えは無かったのですか?」

「フフ、調べた限りでは中々理知的な人たちだって評判だよ? 世の中には本当に話の通じない獣のような奴らもいるからね。こういった街中でも問答無用で抜いてくる奴だっているよ」

 そういうのは全員ぶっ飛ばしたけどね。メアリはからから笑った。澗三郎は頷いて緑茶を啜った。それが出来なければ、「睡蓮」は今の地位にいないだろう。

「そう言ってもらえるのは有り難いですね。一番話しが通じないのは京……二女の京でしょうが、若気の至りと見てもらえれば」

「覚えておくよ」

 

「まあ、そんなところかな。君たちと話してみたいと思った主な理由は」

 言いながら、メアリは椅子の背凭れに体重を預け紅茶を啜った。

 澗三郎もまた、緑茶を啜り、唇を潤わせる。

 千歳は一人、店内から外の景色をぼうっと眺めていた。

「主な理由以外にもあるのですか?」

 呆けたまま、ぽつりと千歳の口から零れる。

 なんとはなしに口にしたその一言に、メアリは眼を丸くして薄く笑う。

「いやあ、これを尋ねていいものかって、内心で思っていたんだけどねぇ」

 そちらから聞いてくれるんだったらいいのかなぁ、などと謎の遠慮を見せるメアリが己の心臓に左手を当てて「おいで」と呟く。

 胸元からずるりと半透明の小さな馬が顔を出した。

 その背なからは二枚の白い翼――透けているというのにそこだけ薄っすらと色づいて見える――が生えており、よく物語として語られている天馬の類がそこにいた。

「君たちも私と同じ奥の手を持っているって聞いたんだけど、本当かなってね」

 その言葉に、澗三郎は残っていた緑茶を一息に飲み干した後、嚥下する喉にて答えを返す。

 滴り落ちていく液体を飲み干す度に上下するそれを守るようにして現れてのは小さな白い猫……いやさ虎。

「なに、別段隠し立てしているわけでもないのでお気になさらず」

「我々阿僧祇はしょうにては守人を勤めていまして。守人とは何かと問われましたら」

 これですよ。

 澗三郎は首元に巻きついた小さな白虎の喉元を人差し指でくすぐりながら答えた。



 




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