第3話 魔窟にて

 魔窟、洞、祠、ダンジョン。

 魔物が生息する場所は地域によって種々様々な言われ方をする。

 どれも指し示すものは一緒。一種の方言のようなもので間違いはない。

 ここボウハムにおいてそれは魔窟と呼ばれ、市街地から少しばかり離れた転移陣から向かうことが出来た。

 魔窟「森閻地帯・ドリアードの幹」。

 ガル帝国にそう名付けられたボウハムの魔窟は未だその最奥にまで到達した集団ギルドがおらず、未踏地域としてその悪名を馳せていた。

 木々と草花、菌糸類が密集しており、現れる魔物は哺乳類型、爬虫類型、植物型、昆虫型と多岐に渡る。

 阿僧祇千歳と澗三郎がボウハム市中を練り歩いている一方、正観、穣、京の三人はそんな魔窟内を今日の十を狩るために探索していた。




「全くもって、理解に及びません」

 右手にて「或蜂あるはち」と銘打たれた自身の苦無くないを弄びながら京は口癖となった愚痴をその一言から始めた。

兄は何故私たちについて来たのですか」

 何十、何百と聞いた言葉だ。穣は右肩で己の相棒なぎなた化野あだしの」を背負い、左小指で耳をほじりながら面倒臭さに眉を顰めた。

「またその話か。お前も大概飽きねえな」

「穣、正観兄上からすれば耳にたこが出来るほど聞いたことかもしれませんが、言う私は飽きませぬとも。何百、何千と言った言葉ですが、兄上方もいつぞや心変わりをして聞き入れてくれるかも分かりませんし」

 思わずため息。毎度毎回の対応をするのは己か澗三郎であるから、嫌気というものも増してくる。

「なぁ、正兄ィからも言ってやってくれ。ついて来たんじゃなく連れてきたってことを、この頑固な妹に」

「ああ」

「いやだから、その後の言葉ってもんをよ……」

 これだ。

 口数少ないこの長兄は、威厳というものを備えているがその代わり会話への意欲というものをどこかに落としてしまっている。昔は此処まで疎むほどではなかったと思うが。

「連れてくるのなら何もあの兄ではなく渺、漠兄上でも姉上でもよろしかったではありませんか」

 これもまた毎回のごとく述べている意見を京は言う。

 阿僧祇は何も今ここボウハムにいる五兄妹だけが全てではない。しょうには彼らの両親祖父母従兄弟は健在だし、正観の次に生を受けた長女刹那せつなもいるし、五男、六男の双子、びょうばくがいる。

 姉も双子の兄も京から見れば明らかに千歳よりも強い。というより、阿僧祇の中にあって千歳だけが弱すぎる。本当に血の繋がった兄妹なのか京が疑うほどに。

「兄上姉上の方がよほど強い。あの兄は里で安穏と過ごすことが似合いでは?」

「千歳は」

 そしてこれも、何回と聞いた答え。これだけは誰の口も借りず、正観が答えるのを譲らない。

「一番強い。……一族の中でな」

 この言葉を初めて聞いたとき、京はむせた。正観兄上も冗談というものを言うのかと、その衝撃で。

 二度、三度聞いたときは多少の愉快さが未だ残っていた。

 四度、五度聞くと流石に聞き飽きて。

 それ以上となると、不愉快だ。

 なによりもその言葉を誰一人として否定しない兄たちに、失望さえ覚えた。

 首を横に振るのが京と、言われている当人、千歳だけであることほどつまらないものはない。

 すかん。

 遠くで肉と骨を穿つ音が爆ぜた。

 音の正体がぐるりと白目を剥く。眉間に突き刺さった「或蜂」が森獅子の頭蓋をコ粉々に砕き、脳漿を撒き散らしていた。

 「或蜂」の尾についた極細の糸を引く。赤い血と血合いの混じった桃色の脂を払って、京は鼻を鳴らす。

 八つ当たりだった。

 虫の居所が悪くなる会話をしたので、視界に入った獣を一匹捌け口とした。右手の「或蜂」を投擲一閃。それだけで凡そは事足りる。それだけで凡そは事切れる。

「あーあー。今日は籠負連れてきてねえってのによ」

 勿体無え。

 愚痴を溢しながら京の癇癪の犠牲となった獅子に穣が近づき、躯の前でしゃがみこんだ。

 籠負はその名の通り「籠を背負う」人々だ。こうして魔窟に集団クランが入ったときに狩った獣の肉や牙、骨、道中で採取した草花を籠に入れ、運搬する役割を担う。集団の構成員として籠負が加入しているところもあれば、魔窟に入るたびフリーの籠負を雇うところもある。

 阿僧祇は強いて言うのならば千歳がその役割を担うことが多いが、広義で捉えればいない方に分類されるだろう。多く狩るときはその時その都度雇っている。

「森獅子……あー、いくらだこれ。安けりゃ捨ておくが……」

 どのみち今回は籠負はいないのだ。折角狩ったのだからなるたけ持って帰って銭に変えてやるのが慈悲というものだが、いかんせん無い袖は振れない。袖が無いから入らないのだ。肉だとか皮だとかの嵩張るものは。

「牙と爪。あー、相場なんぼだ。森獅子」

 穣は何とか市場の値札を思い出そうと頭をひねる。この手の勘定はもっぱら澗三郎と千歳が請け負っている。何度か付き合ったことが無いわけではないが、するりと紐を抜くように出てくるわけにはいかなかった。

 森獅子は単なる獣である。魔物ではない。だが、「獅子」は「獅子」なのだ。一般人でも狩ることは出来ないでもないが、相応の労力と危険を伴う。故に相場が一番判別のつきにくいところ。狩りやすいのなら、安く、狩りにくいのなら、高い。希少価値からいって当然の相関だった。

「爪よりも牙のが高値ですわ。アソーギはん」

「あぁ?」

 後方から穣の疑問に答える第三者の声。西大陸でも南の方に見られる特有の訛り。

「状態のええ犬歯なら一本で大銀貨二枚くらいやろか。毛皮も売れますけど、まあ嵩張りますよって」

 ずらずらと十人ほどの所帯を引き連れて、訛りの男が己の犬歯を指差しながら近づいてきた。

「あぁ……こりゃどうも。確かあんたさんは」

「『睡蓮』のヤン・ファン言います。あんじょうよろしゅう」

 燃えるような赤髪に、弧を描く細目。訛りの男は、自らをそう名乗った。


「いや、それにしても見事なお手前でしたな。流石はアソーギのお方や。かあいらしい見た目しとっても腕前は流石ですな」

 ぱちぱちと手を叩いて、ヤンは京を横目にしつつ森獅子の死骸へ歩み寄った。途中、「かあいらしい」が癪に障った京の舌打ちを耳にしつつ。

「で、どないでっしゃろ。見たところアソーギさんは籠負連れてきてへんみたいやし、皮やらなんやら捨て置くのもこいつに偲びないと思いまへんか?」

 つい先ほどまで命の熱を持っていた森獅子の首を撫でながらヤンは言う。

「ウチらに引き取らせていただくってのは。もちろんタダとは言いません。相場の半分程度でどないです?」

 右手の親指と人差し指で円を作って、ヤンは「どないです?」と穣に投げかける。

「かまわねえけど、そっちはいいのか」

 アレは。

 穣が指差すのは「睡蓮」の他九人。後ろでずっと事の成り行きを見守っている。

 ヤンは穣の指に従って振り返るが、一瞥しただけで顔を戻してからからと笑った。

「ああ、構いません、構いません。今日は単なるヒヨコの引率ですから職場見学ってとこですわ。」

 ひらひらと手を振って愉快そうに。その言葉に一瞬後方が殺気立つが、ヤンは笑みを崩さない。

「そうか? そっちに問題がねえなら構わねえが」

「兄上、その男が本当に相場を知っているのか分かったものではありませんが」

 穣とヤンの商談紛いの会話に京が待ったを掛ける。その言い分には確かに一理あるのだが。

「なんやけったいな事を言うお嬢ちゃんですな。言いましたやろ? こっちは『睡蓮』の看板出させてもらってますさかい、それに泥を塗るような真似はようしませんわ」

「失礼ですが、貴方がたが本当に『睡蓮』だという保証も……」

「京」

「……はい」

「名は知らんがな。ツラを見たことはあるんだわ、俺が。このヤンさんとやらの。確かに『睡蓮』の連中の中にいた」

「ですが」

「それとな。俺たちと『睡蓮』、二ついっぺんに喧嘩売るような馬鹿はそういねえよ」

 諭すでもなく、常と変わらぬ口調で穣は告げる。それは単なる現実であるからそうしたまでであって、事実穣としては諭すつもりはなく、それはどちらかというと呆れを含んだ情動で。

 睡蓮と阿僧祇。片一方はまず間違いなくボウハムにおいて、ひいては帝国において三本の指に入る集団と、もう一方は帝国において歴代最速で駆け上がっている集団。

 その睡蓮を騙りその阿僧祇を騙す。

 凡そ、というか。遍く集団は甘くはない。己の名を騙ってその勇名に傷を付ける者を睡蓮は見逃しはしないだろうし、阿僧祇もまた同じ。

 阿僧祇家を騙す、騙そうという者がいるのならばその時は、少なくない量の血を贖いとして差し出させるべきだ。例えそれが致死に及ぶ出血だったとしても。

「悪りいね、ヤンさん。ガキ扱いが嫌な年頃なんだ」

「ははあ。分かりますよって。ボクにもそういう頃ありましたさかいに」

 したり顔で頷きあう二人を見て、京は右手が疼いた。

 そこに転がる森獅子と同じように強制的に覚めることのない眠りに就かせてやろうか。ひゅん、と、京の右手で一回転した或蜂が羽の音を小さく上げる。

「第一、金を払うって言ってくれてんだから、断る道理もねえだろ。テメエが勝手に狩ったんだ。魔物でもねえ単なる獣を。このままじゃ皮も肉も捨て置くだけになるんだから、一銭でも売っ払うに決まってんだろ?」

 でないと確かにこいつが不憫だろうが。

 森獅子を見下ろす穣のその目に慈悲はなかったがしかし、道理と道徳が存在した。

 それは確かに正論であって、勘気に逸ったのは自身なのだから京は言葉に詰まる。同時に自身の言葉を翻すことの出来ない若さと頑なさが口からぎりぎりと漏れ出た。

「……ではお好きになさればよろしいではありませんかっ」

「おう、だからそうすんだよ」

 吐き捨てて、京は一人先に進んでいった。

「あーあ、行っちまった」

「いいんですか? 一人で行かせて」

「いや、どうせ兄ィが……」

 ついて行く。穣がそう言い終わる前に、確かに正観が京の後を追って行った。

「はあ、なるほど、やっぱ家族愛って奴ですか」

「まあ、京一人でも死なねえだろうけどな。あれであいつも阿僧祇おれたちだから」

「心配はさほどしていないと。流石ですな」

 言いながらヤンは右手を挙げ、ゆらゆらと揺らして後方にて立ち尽くしている……彼の言うところのヒヨコを呼んだ。

「聞いてたやろ? 相場の半分、アソーギさんに支払うことにする。ボケっとしてないでさっさと森獅子これバラしぃや」

 その言葉に数匹の雛がたどたどしくも動き始める……が。

「ファンさん、納得行かねえよ。どうして俺たちがそんなハイエナみたいなことやらなきゃなんねえんだ」

 数匹の雛が、そう囀った。

「……あ?」

 片膝を突いたまま、ヤンが雛を下から見上げる。糸のように細い双眸は閉じているのと見紛うほど。だというのに、声を上げた雛はそれに射竦められ、一時の間腰が引ける。

 しかして、それを受けてもまだ引かぬ胆力と物覚えの悪さがその雛にはあった。

「俺たちゃ魔物を狩るために『睡蓮』に入ったんだ! 誰とも知らねえクソガキの鞄になった覚えはねえぞ!」

 ぴり、と、その言葉に雛たちは己が野心と反骨心に火が点いていた。

「……外野から言ったらあれだが、ヤンさん。あんたの所って教育ってもんがなってねえんだな」

 全くもって空気の読めていない言葉を穣はのたまい、一斉に殺気立った視線が送られる。「雛」とは言うが、見目で判断する実年齢は明らかに穣と同世代かそれより上の年齢層で構成されている。「クソガキ」というのも間違いではなく、むしろ事実なのだが。そのような存在に「教育がなっていない」と言われる屈辱。

「いや、面目ない。お恥ずかしいところを見せてしもうて」

 雛……男たちに向ける絶対零度の視線から一転、ヤンは心底から決まりが悪いといった様子で頭を掻いた。

「こいつら全員いっぺんかつんとやったったんですけどね、どうもまだ立場というものを理解してへんみたいで」

「言っちゃあなんだが甘かったんじゃねえの」

「みたいですなぁ。……アソーギさん、すいません。ちょっとばかり時間頂けますか。再教育しますさかい」

 穣の言葉は「睡蓮」というトップクラスの魔物狩り集団に対して明らかに敬意もへったくれもないものだというのに、それに一切の反論も苛立ちの様子もないヤン・ファンに対して男たちは腹に据えかねるものを覚えている。

 しかし、ゆっくりと立ち上がるヤンを前にして男たちは絶望も抱く。彼らのは紛れもなくヤン・ファンだ。ヤンの言うところ「かつんとやった」は実際にそれをやられた男たちからすれば分かる。「そんな可愛らしい言葉で飾れるものではなかった」と。

 この細目の男は、ヤン・ファンという男は名実共に「睡蓮」の一員であって、それに相応しい化け物なのだと男たちは知っていた。故に。

「いや、どうせこいつらは俺と戦りあいたいってんだろ」

 男たちの狙いはこの糞餓鬼あそうぎである。

「喧嘩売られてんのも俺だし、俺たち阿僧祇を舐めてるってのも分かる」

「……単純にこいつらがアソーギを知らんだけやと思いますけど」

「同じことだヤンさん。俺たちを知らねえってことは舐めてるってことなんだよ」

「知ってた場合は」

「知ってて喧嘩売ってても舐めてるだろそりゃあ」

「なるほどそらそうですな」

 からからとヤンが笑う。

「そしたら、お手数ですけどお任せしても?」

「ああ」

 穣は担いだ化野を地面に置いた。重々しい音と共に砂埃が舞う。それだけでこの男が持つ常人ならざる膂力の一端が垣間見えた。

「安心しろよ。表道具は使わねえ……いや、勿体ねえって言った方が分かりやすいか?」

「アソーギさん、別にボクとしてはこいつら全員殺してもなんら問題にしませんけど?」

 さらりとヤンが爆弾発言を投下する。その言葉に思わず男たちが泡を食った。

「ああ!? そりゃどういうことだファンさん!」

「さっきも自分らけったいな事言うてたけどな、ボクとしては、というか、『睡蓮』の総意と思って欲しいんやけど」

 ないない、とヤンは顔の前で手を振って。

「自分らはまだ『睡蓮』の一員でもなんでもないで?」

 そこらへん勘違いしてもらったら困るなぁ、などとヤンは嘯いて。

「碌に実力も備えてない連中なのに、どうしてそんな考えになってまうかな? ちょっと考えたら分かることやと思うけど」

「せやから皆ここで死んでも構わんし痛くもない。精々ボクの時間が少しばかり無駄になったなぁ程度」

「まあ万に一つ、億に一つ。アソーギさんに全員掛りでも勝てたら文句なしで『睡蓮』入りでええよ」

 その一言に、男たちは一斉に己の獲物を抜き放った。

 鈍色に光る刃が木漏れ日を反射して昏く輝く。

「どないです? こいつら全員殺る気満々ですけど、アソーギさんはこれでも獲物は使いません?」

 ヤンの言葉にも、ぎらぎらと血気奔る男たちにも心底不思議そうに穣は首を傾げた。

「使ったら折角の籠負が死んじまうだろ」

「いやいやいや、見ての通り籠負はそこの三人ですよって」

 長柄の武器を持たず籠を背負う男は三人。当然彼らだけが籠負であって、非戦闘員扱いの彼らだけが戦列から離れて事の推移を見守っている。

「いや、何言ってんだ。どう見たってこいつら全員」

「籠負だ」

 無造作に一歩踏み出し、自然体のまま穣は手近にいた、一番囀りが煩かった男の顎を拳で一閃、打ち抜いた。

 途端、男は糸が切れた操り人形のように自重を失い、地面に溶けるように沈んでいく。

「な? こんな簡単に寝ちまうんだから、やっぱ非戦闘員かごおいじゃねえか」

 穣の一言を皮切りに、男たちの意味を持たぬ悪罵が響き渡り、四方から殺意に塗れた凶刃が穣に向けて突き立てられた。

 

 


 

 


 

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