第2話 阿僧祇家の兄弟
ガル帝国帝王直轄領ボウハム市二番街六丁目食事処「うさぎの営み」にて、魔物狩り三等の
彼らが「うさぎの営み」にて食卓を囲む一番の理由は、帝国にあって珍しく米を取
り扱っているからだ。
帝国の出自ではない彼らの主食は麦ではなく米。週に数度ならばまだ我慢も出来るが、やはり長くこの土地に居つくのならば米を食えるところがいい。「うさぎの営み」は阿僧祇がボウハムを訪れるより前――二年と三ヶ月――から米の取り扱いをしており、更には阿僧祇のパトロンとなってからはより彼らの故郷の料理を研究し続けてくれていた。
「
阿僧祇家長男、
「最新の
「早すぎるってんだろう? はっ! 西も東も変わらねえ! 出る杭は気にいらねえんだろうよ!」
「では兄様、順当でなく行けば良いのではありませんか?」
小さな両手を添えるようにして握り飯を持つ
「おい京、順当じゃなくなったら駄目だろうよ」
「兄上、お京が言いたいのはそういうことではないと思いますよ」
「ああ? どういうこった澗」
穣がテーブルに半身乗り出して眉をひそめて澗三郎に問うた。
「順当も順当、大順当にすればよい……そう言いたいのでしょう。なあ、お京?」
京は頷いた。小刻みに噛みしめていた握り飯を嚥下していく様はさながら可愛らしいげっ歯類のよう。
「文句ややっかみなど叩き潰してしまいましょう。阿僧祇は到底叩けぬ杭だと知らしめませぬか、穣兄様」
得心がいったのか、穣は深く頷いてかかと笑う。
「当然だな。有象無象が幾ら束になろうが俺たちに敵うはずもない。そうだな、正兄ぃ」
「無論。それ故の阿僧祇」
正観が眼を閉じて、川が高きから低きへ下るが如く当然のことのように言う。
「あの……兄上?」
さて、しかし言うには容易いが、結局どのようなことなのかと四男、
「つまりは、どうするおつもりでしょうか?」
横に座る京が、嘲るように鼻を鳴らした。
「単純なこと」
瞠目したまま正観が言う。
「今日十狩るとする。ならば明日は二十を狩る」
「それでも足らねば?」
澗三郎が笑みを湛えたまま分かりきった答えを問う。
「次は三十」
正観の代わりに、今度は穣が言った。
「それでも足らねば四十を狩ります」
そのようなことも分かりませぬか。言外に侮蔑を匂わせて、京が冷ややかな視線を千歳に向けた。
つまるところ、どういうことなのだろう。
分かりませぬか、と真実問われても、分かりませぬと返すしかない程度に千歳には足りている常識と足りていない実力があった。
兄と妹が言っていることは、分かる。とても簡単なことを言っている。
だが、それは過程を全て省略して、答えだけを提示されている。凡人たる千歳からすれば、知りたい部分は解法であって解答ではなかった。
「……では、僕は何をすれば?」
兄妹たちは言葉通りにするのだろう。今日十狩って、明日二十狩る。それが出来る人たちだ。だが、自分には出来ない。阿僧祇という家に産まれてただ一人、阿僧祇千歳のみが常人の尺度で測ることが出来る。それでしか測ることが出来ない。
「変わらない。我々は常日頃のままに過ごせばいい」
それが阿僧祇というものだ。
長兄たる正観がそう締めた。
阿僧祇。
西大陸の東に浮かぶ島国、
西大陸国家からすれば、人類の生存限界、その東の果てであるとされる国に住まうはずの彼らが何故海を渡り、大陸一の国家、ガルにまで辿り着いたのか。
凡その理由は言葉にすれば至極単純なもの。
一つは、後顧の憂いが無くなったから。
一つは、己が一族こそ三千世界において最も優れていると信じているから。
他にも幾つかの理由はあるが、大きく拠るものはこの二つからだった。
そして理由の一つとなった彼らが抱く傲慢にして大いなる自信は、万人が認めざるを得ない真っ当な確信として姿を変えていた。
だが、海を渡った阿僧祇の中にも一人だけ、落ちこぼれと言っていい者が存在した。
それこそが。
「千歳。言いたいことは分かるけれどそう怒るな」
「いいえ澗兄上、怒ってなぞいませんよ。ただ正兄上らが言うことがいまいち要領を得ないだけです」
街を歩く。
阿僧祇家四男千歳と三男澗三郎がボウハムを街を行く。
千歳は随分と大股に、肩を怒らせてずんずんと。
澗三郎はそんな千歳に遅れぬよう小走りに。
「まあなんだ。正兄上が言うことはあまり気にするなよ。あの人は言葉が足らないだけなんだ」
澗三郎が走り寄り、宥めるよう千歳の肩を抱いて歩を並べた。
「何もするな、という言葉にそれ以上付け足すものはあるのですか」
肩に組まれた腕をそっと外して、嘆息と共に千歳は言った。
常日頃と変わらぬ日常を送る。ただ、魔物を狩る頻度だけは増す。正観が告げたその後に、「私はどうすればいいのですか?」と尋ねた千歳に対する返答がそれだ。
「ええ、ええ、そうでしょうとも。私は足手まといなのでしょうよ。誰でもない私が一番そのことを知っています。ですから、それでも、何かの力になりたかった。微力でもいいから阿僧祇に貢献したかった」
だというのに返って来た言葉が「何もするな」だ。
「それが最適なのでしょね、正兄上からすれば。いいえ、他の兄妹からすれば。何もしないことが一番の貢献。それならば澗兄上、いっそ僕はいなくても一緒なのでは?」
「千歳」
「僕は本当に阿僧祇なのでしょうかね?」
「千歳!」
澗三郎が、千歳の行く手を遮るように立つ。
「言い過ぎだよ。千歳。お前は阿僧祇だ。正真正銘、俺たちの弟さ」
……本当に?
喉元までこみ上げてきた言葉を千歳は必死に押し留めた。
分かっている。これは単なる癇癪に過ぎない。
悪いのは自分だ。力のない自分こそに責がある。
千歳は深く息を吐いた。
「……冗談。冗談ですよ。分かっています」
「それに俺たちは知っている。正兄上より穣兄上よりも京よりも何よりも、お前が一番優れた才能を持っているよ。何度も言ったろう?」
それこそ悪い冗談だと、千歳が内心で思っていた言葉だ。
これまでも何度となくそう言われてきた。ことあるごとに、正観も、穣も、澗三郎もそう言う。
それを否定し続けているのは、千歳自身と、母と京だけだ。
――ちくりと心が痛んだ。
「だからお前はそのままでいいんだ。焦らなくていい。焦る必要なんてないから」
漠然とした言葉。
頼りようのない言葉。
確固とした自信、寄る辺というものを上手く形成できていない千歳からすれば、その言葉の重しはあってないようなもので。
吹けば飛んでしまいそうな不安定な己が一個、ぽつんと存在しているだけだった。
「……はい」
ずっとだ。
物心ついた時から、こうしてずっと
そして、今も笑う。
吹けば飛ぶような軽さでもって、千歳は澗三郎に曖昧な笑みを返した。
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