阿僧祇の旗へ

@sakai_yama

第1話 名もなき少年

 往々にして、魔物を狩る者たちは人の理を逸脱したものが多い。

 そもそもが狩るべき対象である魔物たちが既に人の理から外れた生物であり、必然それに対抗するのであれば人並み外れて強くあらねばならない。

 獣ではなく、魔物。そこには途方もないほどの絶壁が横たわっており、いかに魔物という括りの中で卑小なる存在であっても、それを一人で狩ることが出来る時点で一廉の人物であるのに間違いはない。

 いわんや上位の魔物を容易く刈り取る者たちはその人間性による悪名勇名の違いこそあれど、市民からすれば軒並み英傑が揃っていると見られていた。

 魔都「ボウハム」。

 西大陸一の大国、ガル帝国において最も魔物が生じ、それ故に最も英傑共が集まる都市は今、熱狂の渦中にあった。長く長く続いている、絢爛たる化け物たちの競い合いに都市は沸き、人は喝采し、それはさながら永遠にも思える黄金の時代を過ごしていた。

 魔物から採取出来る骨や牙、皮膜は武器を生み。吐き出す結石は貴族共が挙って買い上げ宝石としての加工を施し。肉は珍味として好事家共の間で取引された。

 魔都はうねる。

 市民は魔物を狩る人間に熱を上げ、彼らを祭り上げ、そして評価した。

 一等の魔物狩り、二等の魔物狩り、三等の魔物狩り。

 ――富と名声が欲しいのならば、ボウハムへ歩を進めろ。

 西大陸一帯に広まったその言葉に間違いはなく。

 我こそはと腕に自信のある者が次々と魔都へ入り、ある者は瞬く間にその命を散らし、またある者は三代に渡って遊んで暮らせるだろう財を一晩で成した。

 魔都は唸る。ごうごうと音を立て、人々の欲望を喰らいつつ、日夜その威容を肥大させていく。

 そして今日もボウハムという巨人の胃の中に、一人の少年が飛び込んでいった。




「なあおっさん、この街で一番強い集団クランてのはなんだい?」

 魔都ボウハムにてごまんと存在する飲食店、その内の名もない一つの店主である中年男性は、目の前のカウンターテーブルに座ってパンに噛り付く少年を見下ろした。

「……坊主、お前さんはボウハムに来たばっかかい」

「そうさ。道を歩いて、集合馬車を乗り継いでを繰り返して十日、昨日着いたばっかりでね。田舎の出だからあんまり詳しく知らないんだ」

「そいつは長旅ご苦労さん。一切まからんがね」

 ぞりぞりと硬い手触りの己の髭を撫でながら店主は何の感慨もなく言う。思わず少年はその無感情ぶりに唇を尖らせた。

「なんだいそりゃあ。もうちょっと言い方ってもんがあるだろ」

「あのなあ坊主、ここを何処だと思って言ってやがる。此処はボウハム、帝国ガルのボウハムだ。中には一月二月掛けてやって来る奴だってざらにいる。言っちゃ悪いが十日なんざ珍しくもなんともない。何しに来たが知らねえが、他所での非常識は此処での常識さ。今後この街でやっていこうってんなら覚えておきな」

 硬い馬車の荷台と、延々歩き続けた道中で痛めた尻と腰を思うと抗議の声を上げたくなるが、少年はそこはぐっと堪えて、その八つ当たりのようにパンを乱雑に噛み千切った。

「……じゃあ、まあ、それはいいや。それよりもおっさん、集団だよ集団。今この街で一番強い集団は?」

 集団クラン

 魔物を狩る連中は、やがてその魔物が生み出す経済効果の浸透と共に効率を求めて個での狩りから群での狩りへ姿を換えた。一対一で己の存在を誇示するかのような、一種の決闘のような狩りから、徒党を組みより効率的に能率的に魔物を狩る方法へと変質している。

 その群を表す言葉が集団。人の箍が外れた、箍が外れた人の群れ。

「幾つか名前が挙がるだろうが、まず一番に出る名前が『黄金獅子』だろうよ。対抗で『睡蓮』だな。少数精鋭って意味では『啄ばむ鴉』レイヴンが個では最も強いって言う奴もいる」

「ふうん、なるほど、面白いな。黄金獅子に、睡蓮、啄ばむ鴉ね。おっさんありがと。そしたらその三つのうちどれかに入ることにするよ」

 四分の一ほどまで食べ終えたパン、その残りを拳で握り潰して一口に放り込んだ少年は、生温いエールで流し込み席を立った。

「入ることにするって、坊主、そいつは……」

 無理だ。そう告げようと思った店主は口を濁らせた。

 多いのだ、これくらいの年齢でこの街にやってくる男には、このような大言壮語が。

 いくら言ったって聞きやしないし、店主からしても「いくらも」言うほど親身になる必要がない。

 際限のない自信に満ちた言動は、若さ故の過ちとも言えるし、若さのみの特権とも言える。好きに走って、好きにすっ転んで、派手に擦り剥けばいい。

 それに、万に一つの可能性の方もありえる。ありえるのが、ボウハムという街だ。他所の常識は此処の非常識。名も知れぬ少年が一等の集団に入れるだけの実力を持っているという可能性が存在する限り、この街はその全ての理不尽を許容する。

「あー、まあ、頑張んな」

 少年は食事代として硬貨一枚を親指で上空に弾き、身体を翻した。

「覚えときなよ、おっさん。この街の非常識は俺の常識。いい言葉だろ?」

 釣りはいらないよ。そう言って少年は背中を向けたまま右手を上げてひらりと振った。

 店主は握った手のひらを開いて硬貨を見つめる。

「……ぴったりじゃねえか」

 釣りも何もあったもんじゃない。

 店主はカウンターから出て、少年が残していった食器を取りに行こうとしたところでふと思い出す。

「あー……」

 思い出して、まあいいか、と首を振った。

 一等から十等まで区分される魔物狩りの集団。先ほど名を挙げたのは文句なしの一等の連中であり、同時に古参でもある名門だ。

 なれば、飛ぶ鳥を落とす勢いで等級を上げ続けているあの集団は、果たして純粋な実力だけで見ればどの位置に食い込むのか。

 僅か二年と三ヶ月で三等まで登ったあの集団。名を確か。

「アソーギ、つったか」

 ボウハム史上最速で等級を上げ続けているその集団。勢いだけで見れば、まず間違いなくトップの彼ら。少年にその存在を伝え忘れていたのだが、やっぱり、まあいいかと店主は思う。

 この街に長居出来るのならその内嫌でも名前を知ることになるだろうし、実際まだアソーギ、は三等であるにはある。近いうちの二等への昇格も噂されていて、それが真実に変わるとしたらこれまた最速での二等昇格ではあるが、まだ一等に至ったわけではない。

 むしろ少年に伝える云々よりも、今度仲間内で語る時のいい話のネタが出来たと店主はほくそ笑んだ。「実力だけで見たアソーギの序列やいかに」だ。

 この街での最大の娯楽は魔物狩り集団の活劇と、それを語ることだ。ボウハムで生まれ育ったものなら言葉が語れるようになればそのまま集団について語ることが出来る。

 そしてもう一つ、店主はボウハムに入ったその次の日に一等の集団に入ると宣言をした少年の名も聞き忘れていたが、それについては大した問題でもなく。

 この一週間後、似たような話をする少年が店主の店を訪ねた時にはすっかり記憶の中から消え去っていた。

 


 

 

 

 

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