狂い咲きの桜は、ある人々を狙い撃ちにした
母の病院には毎日顔を出さないわけにはいかなかったから、私は警察の人に事情を話して、いつも通り午後には病院に行った。父が思いやりらしきものを見せて用意してくれた桜の枝は、慌ただしく過ごし、動転していたせいで持っていくことはできなかった。でも、それでよかったのかもしれない。桜の枝を持っていくのは、母の記憶の中ではあくまで可愛い男の子のままの、大事な大事な貴志を殺した凶器をわざわざ持ち込むようなものであるということが、後にわかることになる――
解剖の結果、判明した貴志の死因は、桜の花粉による中毒死だったからだ。
なんでも、日本全国で一斉に咲いた季節外れの桜の花粉には強い毒性があり、それを吸い込んだ人を死に至らしめる性質があったのだという。貴志の場合は、未明に咲いた庭のヤマザクラの花粉を吸い、たちどころに絶命したと推測される、と説明された。
それならば何故、同じ家にいて、同じ桜の花粉を吸った父や私は無事だったのか。その理由は、日が経つにつれて徐々に明らかになっていった。
桜花粉中毒による死者数は、桜が咲いた当日――二〇二〇年六月十六日――に判明した分だけでだけで三万人を超え、二週間後にはその桁が一つ増えた。一人暮らしのいわゆる孤独死案件が、一週間の間に次々と発覚したのだ。
桜花粉中毒による死者の男女比はおよそ八:二で男性が多数を占め、年齢層は二十代から六十代までと幅広く、その中でのボリュームゾーンは三十~四十代だった。
彼らには一つの大きな共通点があった。それは、「長期にわたり引きこもりの状態にあり、医療に乗りにくい性質を有していたこと」である。
「医療に乗りにくい性質」とは回りくどい表現だけれど、要は貴志みたいな、ただ働きたくないだけの性根の悪い引きこもりを指してそう言っているのだろう。これはただ単に私がそう思っているというわけではなく、定義上「引きこもり」の要件を満たす人であっても、社会復帰に向けてなんらかの行動を取っている人だとか、家族が抱え込んで出そうとしないけれども本来は精神科病院で治療を受ける方がよい人だとか、有り体に言えば「頑張っている引きこもり」とか、「それは仕方ないな、という可哀相な事情がある引きこもり」は死を免れていることが、調査結果からは明らかになっているのだ。
どういう仕組みでそうなったのかは専門家にも全く見当が付かないらしいけれど、結果的に、「どうしようもない引きこもりを淘汰する」という役割を、狂い咲きした桜の、毒を含んだ花粉は果たしたようだった。
桜は、本来の季節に咲く場合と同様、一週間から十日ほどで一斉に散り果てたけれど、それでめでたしというわけではない。。
たとえどんなどうしようもない
貴志が思いもよらない形で死んでしまったこと、あの凄惨な死に顔を見てしまったことが
それをいいことに私が中心になって病院との話し合いを進め、貴志が死んだ十日ほど後には、家の近所にあるリハビリ専門病院に母を転院させることに成功した。転院先では少しずつ回復し、転院から一ヵ月が経った今では装具を着けて歩く練習をすることができるようになっているし、認知機能障害の方もだんだんとよくなってきて、短い時間ならきとんと会話が成立するようになった。貴志が死んでしまったこともようやく理解して、ぽろぽろと涙をこぼして泣いた。その姿に私ももらい泣きしてしまった。やっぱりお母さんは、可哀相だ――と。
私が東京で仕事を辞めてこちらに来ていることも母はおぼろげに理解して、「もういいから東京に戻りなよ」としきりに気にするようになった。
母の行く末――リハビリをもう少し続けた後、施設に入るのか、それとも家に戻るのか、それについてはまだはっきりしていない。母は戻りたいようだけれど、それで本当に幸せなのか心配な気持ちもあって、母を後押しするべきなのかどうか決めかねている。
あと二ヶ月ほど――秋がくる頃まで様子を見て、母の行き先が決まって、「もう大丈夫だ」と思えるようになったら、私は東京に戻ろうと思っている。
狂い桜 金糸雀 @canary16_sing
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