第5話 離れて

 福岡で働き出し、半年が経った。


 福岡にはすぐ慣れた。本社よりも、業務の範囲が広く、上から下まで自分で担当できるのでやりがいがあった。また支部には社員が20人もいなく、働きやすい職場だった。


「早紀さん、お昼いきましょうよー」


 電話を置き、背伸びしている所を後輩の小島可南子ちゃんが話しかけてきた。

 フロアの時計を見る。気づけば12時をまわっていた。


「もうお昼なんだね」

「早紀さん、集中しすぎですよ!息抜きしないと」


 本社はピリピリしていた緊張感ある場所だが、ここは良い意味で気の抜けた職場だ。うるさくない程度に仕事以外の会話も多く、すぐに皆の名前と趣味を覚えたものだ。


「そうね、ご一緒するよ」

「わーい」


 可南子さんは無邪気で可愛い。実際、福岡支社男性の何人かが狙っており、私に相談してきた人もいる。フリーの私に相談してもね……。

 立ち上がり、入口へと向かおうとすると、可南子ちゃんがポスターの前に止まった。


「早紀さん、すごいですねー」


 壁に貼られたポスターの横には名前が書かれており、その隣に赤い花が貼り付けられている。営業成績ボード。今どき珍しいと思うが、福岡支部では採用されていた。

 その中で、私の名前の横にたくさん赤い花が飾られていた。

 営業成績トップ。ちょっと恥ずかしい気持ちもあるが、誇らしい。

 こっちに来て、『彼女』のことを忘れて、順風満帆に過ごしていたのであった。




 古びたお店だが、味は抜群な定食屋さんのカウンターで隣り合って座る。

 東京にいた時は、コンビニばかりでお昼を楽しむ余裕はなかった。


「相変わらずここのカツ丼は美味しいね」

「でしょでしょ~」


 可南子ちゃんもカツ丼を嬉しそうに食べながら、答える。


「でも、東京の方が絶対美味しいもの多いですよね?」

「そんなことないって。いつもコンビニばかりだったよ」

「うはー、大変だったんすね。こっちは良くも悪くものんびりしているんで、お昼は自由なんですよ」

「ええ、凄く居心地良いわ」


 自分が褒められたかのように嬉しい顔をする、目の前の女の子。


「本当ですか~嬉しいです。いやいやー、早紀さんみたいにできる営業さんが福岡に来るなんて驚きでしたよ」

「私なんて全然だよ」

「謙遜しないでください~。こっちでも営業成績ぶっちぎり1位じゃないですか。早紀さんが来たおかげで福岡支部の成績かなりアップしているんですよ」

「ありがと。役立てているかな」

「もういなきゃ仕事が回らないですね」


 可南子ちゃんの言葉に、「そりゃ困るわ」と思わず苦笑いする。


「そうだそうだ」


 急に何か思いついたかのように、彼女が鞄を漁る。

 出てきたのは、チケットだった。


「良かったらどうですか?」


 息を呑む。


「サッカーのチケット?」

「そうです。客先に行ったときに貰ったんですよ~」

「そうか、福岡にもサッカーチームあるもんね」

「なかなか順位は上がりませんけどね。早紀さんはサッカー興味ないですか」

「興味はあったかな」

「あった?」


 過去形。

 侑佳さんがいたから、興味があった。

 彼女がいたから、楽しかった。


「いや、何でもない」


 油断すると、こっちに来てもすぐ思い出してしまう。

 逃げてきたはずなのに、物理的距離で拒んだはずなのに、心は許さない。


「それで自分、この日合コン入ったんでいけないですよ~。良かったら貰ってくれません?せっかく貰ったのに捨てるのはもったいなくて」

「合コンって私も呼びなさいよ~」

「えっ、早紀さん東京に旦那さんいるんじゃないですか?」


 なんだ、その情報。


「いないいない。指輪していないでしょ?それに付き合っている人すらいない」

「まじですか。えー、おじちゃんたちのデマか。わかりました、次からは誘いますね」

「ありがとうね」


 忘れるためには、上書きするしかない。

 埋まらない穴でも、無理やり埋めるしかない。


「それでチケットいります?」


 悩みどころだった。彼女と行った以来、スタジアムに足を運んだことはなかった。

 サッカー観戦すれば、彼女のことを確実に思い出す。

 でも、断るのは悪いと思った。


「せっかくだから行くよ」

「ありがとうございます~」


 チケットを受け取り、対戦相手を見る。


「東京のチーム……」

「あ、強いチームですよね。代表選手も何人かいますよね。イケメンの名前何でしたっけ?内なんとかさんが好きで」


 東京のホームで侑佳さんと一緒に応援したチーム。

 自分でも顔が強張ったのがわかった。





 スタジアムの入口に辿り着く。

 たくさんのサポーターが歩いている中、私は私服姿だ。

 段ボールからユニフォームは取り出さなかった。そもそも今日は敵チームだ。東京のチームのユニフォームを着て、福岡の応援はできない。


「……」


 ふと入口付近を見た。

 

 入口で待っていれば、彼女が来る。

 そんな気がした。

 「早紀さん」と嬉しそうに呼ぶ彼女とまた会える。


 首を大きく振り、否定する。

 そんなわけはない。約束もしていないし、ここは福岡だ。

 侑佳さんは、ここにはいない。もう会うことはないんだ。

 そう自分に言い聞かせ、スタジアムの中へ歩いていった。



 × × × 

 良いパス、シュートに思わず声を上げる。

 ゴールが決まった時は、自然と立ち上がってしまった。

 あの時は恥ずかしがったハイタッチも、今では知らない周りの人たちとできる。

 気づいたら、笑顔が溢れていた。


 × × ×

 試合には負けた。


「楽しかったー」


 けど、やっぱりサッカー観戦は良いな、と思った。

 彼女が教えてくれたから、ということもあるが、それだけじゃない。

 夢中になることは楽しい。会場の一体感が心を躍らせる。


 周りを見ると、東京のサポーターたちが笑顔で歩いていた。

 はるばる福岡に来て、勝利したのだ。嬉しさもひとしおだろう。


「そうだ」


 バッグを漁り、カメラを取り出す。

 せっかくだからスタジアムを写真に撮ろう。これも新しい、良い思い出となるはずだ。

 そう思い、振り返り、スタジアムを見て、ファインダーを覗き込む。


「あっ」


 声が聞こえた。

 思わず、声の方向にカメラを向けてしまった。

 ファインダーの中に、東京のチームのユニフォームを着た女性を捉える。

 誰よりも会いたくて、1番会いたくない人。そのために私から離れたのだ。

 なのに、なんで。

 久しぶりに見た顔は驚きの表情で、

 私は何も言わずに、

 逆方向に走り出した。


「ちょっと、ちょっと待って、早紀さん!」


 名前を呼ばれ、心臓が跳ねるも足は止めない。

 人混みを掻き分けながら、私は侑佳さんから必死に逃げた。

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