第7話 もっと好きになる

 朝一番で、福岡支部の長の元に行く。


「おはようございます」


 元気よく挨拶をし、鞄から退職届を取り出す。


「申し訳ございません。私の勝手な都合です。受け取ってください」


 頭を下げる。

 支部長も困惑した顔だ。


「急にどうしたんですか。成績は1位で、何も問題はない」

「ここでの仕事、福岡での暮らしには非常に満足しています。第2の故郷と言ってもいいぐらい、大好きな場所です。でも」


 注目されているのを感じる。他の社員たちも私たちを見ていて、静かに言葉を待っている。

 私は、思いを吐き出した。


「戻らなきゃいけないんです。リセットなんかできなかった。時間と距離を置いても変わらなかった。私はあの場所が好きなんです」


 いくら距離をとっても、会わないようにしても変わらなかった。

 私は、侑佳さんと一緒にいたい。

 仕事を辞めても、安らかな暮らしを捨ててもいい。

 欲しいのは彼女の隣だけ。

 私は、もう逃げない。


「……」

 

 流れる沈黙。支部長が辞表を破った。


「えっ」

「君の要望は受け入れられない」

「そんな」


 私は覚悟した。何を失っても、彼女との未来は捨てられない。

 だから、だから選んだのに。


「営業サポート」

「はい?」


 目の前の人の言葉が理解できない。

 退職でもなく、クビでもなく、このままでもなく、営業サポート?


「それがこれからの君の仕事だ。転勤して半年で戻るなんて、ペナルティが必要だからな。私の威厳にも関わる。戻って、当分はサポート業務に徹してもらう」

「それって」

「君を失うのは非常に痛い」


 東京に戻れる。

 侑佳さんに会える!


「東京でも頑張るんだぞ」

「支部長……!」


 嬉しさがこみ上げる。

 支部長の優しさに涙が出そうなのを堪えていると、可南子ちゃんが寄ってきた。


「よかったね、早紀さん」

「うんっ」

 

 明るい声に呼応してか、周りの社員たちが拍手をし出す。


「皆さん……」


 何だか、嬉しくて、恥ずかしくなって、皆に向かってペコペコと何度も頭を下げたのだった。




 × × ×

 部長に宣言してから、すぐに飛び立つ日はやってきた。

 キャリーケースを引き、ゲートへ向かうと見知った顔があった。


「可南子ちゃん」

「見送りに来ました」


 そういって彼女は何人もの男性を勘違いさせる、笑みを向ける。


「何度も飲み会したでしょ?」

「足りないですよ。それに」


 彼女が紙袋を持ち上げる。福岡で有名な明太子だ。


「ありがとう、ここの明太子好きなの」

「早紀さん、福岡のこと忘れないでくださいよ」

「うん、絶対に忘れない。また来るよ」

「その時は旦那さんも連れて来てくださいね」


 うん?違和感を見逃せず、聞き返す。


「旦那さん?」

「え、東京にいる彼氏のことが好きだから戻るんですよね?あんなに熱烈に宣言していたじゃないですか。あの場所が好きって」


 確かに私は言った。

 リセットなんかできなかった、時間と距離を置いても変わらなかった、と。

 東京の元カレか、離れ離れになった彼氏と思われているのだろう。


「あ、ああ。なるほど、そういうことで」


 間違いだ。

 でも、きっとそのままの方がいい。勘違いのままの方が面白い。

 いつか侑佳さんを連れてきたら、可南子ちゃんは大層驚いてくれるだろう。


「え、違うんですか?」

「違くないよ」

「じゃあ、何でそんなに笑うんですか」


 笑いたくもなる。また彼女に会えるんだ。

 嬉しくて、嬉しくてたまらない。


「何なんだろうね、この想いは」

「知りませんよ、愛なんじゃないですか」

「そうか、愛なのかもね」


 可笑しくて吹き出してしまう。

 愛。

 たぶんその言葉が1番しっくり来て、私がずっと欲しかった答えだ。


「さすがだよ、可南子ちゃん」

「ど、どういうことですか?」


 アハハと大声をあげる私を、不思議そうな顔で可南子ちゃんは見ていた。


 

 × × ×

 空の上から見た、久しぶりに見た東京の夜景に涙が流れる。

 気づいた気持ち。彼女への想い。

 彼女の代わりなんていなくて、私の代わりもいない。

 同じ性別だけど、1番しっくりくる。

 その出会いは間違いだったけど、きっと間違いじゃない。

 

 不安もたくさんある。見えない怖さもたくさんある。

 けど、彼女の笑顔を見たら、不安なんて吹き飛んで、彼女の優しい声に怖さなど消えてしまうだろう。


「侑佳さん」


 彼女の名前を呼ぶだけで、心が温かくなる。

 可笑しい。

 いつからこんなに彼女のことが好きになっていたんだろう。

 見慣れた街が、彼女がいるだけでこんなに大好きな場所になる。


 そして、もっともっと好きになる。

 



 × × ×


 真っ暗闇の雪原の中を歩く。

 朝早いので、眠く、関東では考えられないほどに寒い。

 でも、引き返したいとは思わない。


「ここらへんかな」

「そうですね、早紀さん」


 握った手。握られた手。


「見えるといいな」

「見えますよ、だって」


 一人じゃない。


「早紀さんと一緒なんですよ」

「理由になってない」


 思ったことと、同じようなことを言われて動揺する。

 でも、その言葉の通り、彼女となら見られる気がしてくるから不思議だ。


 雪原の先に広がる、湖を見る。向こうから、朝日がのぼるまでもう少しだ。

 手袋で覚束ないながらも、カメラを取り出し、準備をする。

 

「昨日見た星空も綺麗でしたね」

「ねー。プラネタリウムもびっくりの綺麗さだったよ」

「もっといい言葉ないんですか、早紀さん?」

「えーっと、侑佳さんと一緒だったから世界で1番綺麗だった?」

「もう早紀さん!」


 頬を膨らませ、怒る彼女も可愛い。

 彼女は怒った腹いせか、巻いていたマフラーをほどき、私の首に巻き、体をぎゅっと密着させる。

 寒いはずなのに、すごく暖かい。


「もう朝日が見られなくても、悔いはないかな」

「駄目です。絶対に見るんです」

「欲張りだね」

「ええ、早紀さんとの思い出は絶対に妥協しません」

「欲張りだ」


 侑佳さんといられるだけで私は幸せだ。

 これ以上、幸せを望んでいいのだろうか。


 徐々に光の気配がしてくる。

 ファインダーを覗き込み、構える。

 いよいよだ。


「早紀さん」


 彼女が私の名前を呼び、思わず、カメラから目を離す。

 マフラーを一緒に巻いていたせいもあるが、彼女の距離は近すぎた。

 触れた唇はひんやりと冷たかった。

 

「きゅ、急にしないでよ!心の準備が」

「朝日にも見られたくなかったんです」

「もう!」


 イチャついている私たちを待つわけもなく、朝日がのぼり始め、私は急いでカメラを構える。

 ファインダーの向こうに光が溢れる。

 

「綺麗……」


 隣の彼女が感想を述べる。

 きっと今日という日に代わりはなくて、見た光景の美しさはどんな数式でも表せない。

 だって、世界はこんなにも美しくて、


「綺麗なのは、侑佳さんだよ」


 大好き人と一緒にいる毎日は特別で、こんなにも楽しい。


「早紀さん反則です。この絶景の中で言われたら惚れちゃいます」

「私はずっと前から侑佳さんに惚れているよ」

「私だって、あの日から」

「あの日って?」

「言わせます?」

「聞きたい」

「言いません!」

「えー」

「えーじゃありません」

「とりあえず、もっと写真を撮ろうか」

「……それもそうですね」


 二人でカメラに向かって微笑む。

 「はい、チーズ」と言い終える前に、シャッター音が鳴ったのが私達らしかった。

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代理のテイリ 結城十維 @yukiToy

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