幸福な死を、今ここに

紗沙神 祈來

幸福な死を、今ここに

 昔からコンプレックスだった。

 見た目でも性格でも学力でもない。自分の名前が。乙女おとめという名前が。

 私はファッションに興味なんてないし色恋沙汰にも無関心。それよりも体を動かしたりスポーツをしている方がずっと楽しく、幸せな時間だった。

 だからこそ乙女なんて名前が嫌いだった。

 自分はそんなものとは程遠い存在だったから。

 特段その名前でイジメを受けたりすることはなかった。多少弄られることはあったが私にとってはその方が楽だった。

 けど、どうしても嫌だった。

 自分の存在が名前と正反対なことが。

 いつからか名前を呼ぶことも、聞くことも億劫になっていった。

 まるで恐怖症のような感覚。

 学校も休みがちになっていった。

 そんなことが続き中学を卒業して高校生になった。

 今思えばこの時が人生の転機と言えるのだろう。

 高校生活が始まり約1ヶ月、私は文芸部に入部した。

 そして高校での部活が始める日。

 文芸部の部室に行き、ドアを開けるとそこには。

 窓辺に座り長く、艶やかで綺麗な黒髪を近くの海から吹く潮風に靡かせながら佇む人がいた。

 胸が締まった。初めての感覚。

 そう、私の初恋は、2個上の女の先輩だった。


 それからというもの私は先輩とよく話すようになった。

「先輩、何読んでるんです?」

「人間失格だよ。この本すごい好きなんだ」

「へー。でもそういうのって難しくないですか?」

「だからこそいいんだよ」

 と、真面目に自分の好きなことについて話している先輩の姿を見るのがたまらなく好きだった。

 横からでもわかる整った顔。大人びた雰囲気。その全てが先輩で、先輩がすぐそばにいるという証でとても嬉しかった。


 そしてある日。

「なぁ、乙女ってさ、名前の由来とかあるの?」

 先輩が突然、そんなことを聞いてきた。

 思い出したくなかった。由来ではない。自分がその名前だということを。

 私はその場で立ち尽くした。

 頭が真っ白になって、どうすればいいのか分からない。

「おい乙女?どうしたんだ?」

 呼ばないで。その名前を。

「乙女?大丈夫か?」

 やめてやめてやめて。

 それ以上私を.....

「乙女?」

「来ないで!呼ばないで!その名前を!」

「.....っ!」

 あー、やってしまった。言ってから気がつく。

 私は拒絶してしまったんだ。先輩を。

 その事実を認識した途端、涙が溢れそうになった。どうしようもなく、とめどない悲しみを止めることができない。

 だからその場を急いで去ろうとして踵を返そうとした。

「ちょっと待って!」

 その声が聞こえたとほぼ同時に右手を掴まれる。

「離してください。私はやっぱりここにいるべきじゃ.....」

「いるべきじゃない、か。それは私が乙女の名前を呼んだからか?それとも拒絶してしまったからか?」

 この人は全て分かっている。私がなぜここを去ろうとしたのか。だからこそ名前で呼びかけているのだろう。

「分かっているなら聞かないでください。先輩を拒絶してしまった以上、私は.....」

「誰が嫌だと言った?」

「.....え?」

「誰が嫌だと言った。私は拒絶されてしまったことは自分の責任であると思っている。安易に名前を呼ぶのはよすべきだった。君が自分の名前にコンプレックスを持っていることは薄々気づいていたんだ」

「だったら.....」

 そっとしておいてほしい、そう言おうとした。けど言えなかった。

「でもな、君は乙女なんだよ。いくら女の子っぽくなくたって君は紛れもない女の子だ。私はその事実を知ってほしかった。だからわざと呼んだんだ。けど結果的にそれは君を傷つけることになってしまった。すまない」

 私はどれほど愚かなんだろう。心配をかけた挙句、気持ちを踏みにじるなんて。

「.....いえ、先輩は悪くないんです。これは私が、私が受けいれていなかったのがいけないんです」

 そしてこの日をきっかけに私は本格的に先輩に恋に落ちる。

 それはもう、狂気的に。


 そして時はたち、冬。

 高3である先輩の卒業式。

 私は部室にいた。

 この機会を逃せば、もう想いを伝えることはできないかもしれない。

 だから告白しようと決意した。

 それから10分ほど待っても先輩が来ない。

 どうしたのだろうと窓から外を覗く。

 するとそこには。




 男子生徒とキスをする、先輩の姿があった。







 これまでのことを思い出しながら私は潮風を全面に受ける。

 波が激しく岩に打ち付けられる音がする。

 天気は快晴。なんていい日だろう。

 これまで辛かったなぁ、なんてことを感じる。

 初恋にして初めての失恋。

 やっぱり、私なんかが恋なんてするべきじゃなかったんだな。

 まぁ、それもこれも全て今日で終わりだ。

 崖の先に立ち、ある袋を抱く。

 そして一言。

「じゃあ、先輩。また向こうで会いましょう。次こそ、私と一緒ですよ」

 私は人生で1番の笑いとともに、その場から飛び降りた。



 後日、その崖の周辺で女性の遺体が見つかった。

 ――もう1人の女性の生首と一緒に。

 その遺体を検察していたある人はこう言ったという。

 まるでその遺体は恋する乙女のように、微笑んでいた気がする、と。

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