あのころのきみに


 みんなが浮かれた顔をしていて、いったいなに? と思う。

 私だけがしけた顔をしているのではないだろうか。そう思えば思うほど気分は滅入っていく。


 来なければよかった。そう思う。でも私には、学校をさぼる勇気すらないのだ。自分が嫌になる。なんでこんなに私はこんななんだろう。みじめで、情けない。今日は学園祭だった。


 私が楽しくない理由はわかっている。簡単なことだった。私に友達がいないからだ。友達のいない高校生って、どのくらいいるんだろう? たくさんいるのかな。そんなのは、私くらいであってほしいと思う。友達がいれば、学生たちのなんてことない出し物にも一生懸命笑って、自分たちも一生懸命なにかやるんだろう。それがどんなにくだらなくて、その場しのぎのものでも、その時間はとても大切なものになるのだろう。それが青春というものだと思う。私はそれを見ている。ただ、私はそこにはいない。


 にぎやかな廊下で、クラスメイトの何人かとすれ違う。私を一目見て、なにもみなかったような顔をする。私も同じようにする。でも、こころは違う。彼女たちは私を憐れんでいるだろう。私にはそれが分かる。自分でさえ、こんなにも哀れなんだから。いたたまれない。学園祭なのに、一人で歩いているだけの私は、幸せで楽しいがいっぱいの今日には、はっきりいって目障りなのだ。


 気分が荒んでいる。楽しそうな人間が憎くて、私は世界さえも憎み始めている。


 教室を幼稚な工作で飾り付けた出店にうんざりして、私は教室棟を離れた。特別教室しかないこの別棟は人がいない。嘘みたいに静かだった。私は適当な講義室を選んで、そのドアを引いた。奇跡的に鍵の掛けられていなかったそこは、誰もおらず、私はその日初めての安らぎを、ようやく手に入れた。


 日の当たらない席を選んで腰かけた。遠くから、なにか音楽のようなものが聞こえる。ロックバンドの演奏のような。それにまざって、生徒たちがはしゃいだ笑い声をあげたり、意味のない奇声をぶちまけたりするのが聞こえた。いらいらしたので、私はイヤホンを耳に差し込んで、何も聞こえないようにした。少しはましになった。


 スマホをいじったり、読みかけの小説をめくったりして時間を過ごした。普段と同じことをしているだけなのに、つまらなかった。今日という日が、そもそも私を憂鬱にさせていた。今日はきっと何をしても楽しくないのだろう。誰かを殺すか、あるいは死にたいと思った。いつもそんなことばかりを考えているわけじゃない。でも、今日はそう思ってしまう。どうしても。


 がらり、と音がしてドアが開く。人が入ってくる。最悪だった。私はまた見られる。目障りな私がいることを知られてしまう。私は目障りで余計な存在になってしまう。こんなことなら、いないほうがいい。


「あら。ここだったっけ。いたわ」


 入ってきたのは、二十代中頃というふうな女性だった。すこし丸みのある体型で、美人という感じではなかったが、人の良さみたいなものにじみ出ていた。彼女は私を見て、微笑んだ。まるで私を探していたかのようだった。


 私がぽかんとして彼女を見ていると、彼女はずけずけと足音を鳴らして歩いてくる。私の隣の席に座って、話しかけてくる。


「村上春樹の短編集? 面白いよね。わたしは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が面白いと思う」


 私もそう思う。あれは面白い小説だった。でも。


「でも好きなのは『海辺のカフカ』なんだよねぇ」


 私の頭のなかを覗いていたみたいに、彼女はにっこり笑った。

「……私も、です」顔が赤くなるのを感じた。


 彼女は全部わかっているみたいに続ける。

「わたしはねぇ。ここの卒業生なんだよね。久しぶりに学園祭見に来たのよ~。まぁ、やってることはぜんぜん一緒だよねぇ。たかが学生。たいしたことやってないわ。あはは」


「大人のひとからしたら、こんなの全然ですよね。だって、自己満足だし」


「そうそう。こういうのは学生の自己満足だから。外の人間にとってはどうでもいいし、くっだらないのよね。あー。若いころ思い出してやんなるわ」


「若いころ?」


「わたし若いころ全然友達いなくって。あ、いまもほとんどいないんだけどね? まぁ。わかりやすくぼっちでさ。学園祭なんかまったく楽しくないわけよ。そうなるのはわかってたのに、律儀に学校に来て退屈な時間過ごしてたりしてたんだよねぇ」


「……へぇ」


 私は気づく。このひとは私をからかっている。ふらっと迷い込んだ教室で、明らかに孤独な人間を見つけたので、それが気に入りそうな作り話をして、もてあそんでいる。そう思い出すと、気持ちは沈んで、冷たいものになっていく。


 私の表情の変化に気づいて、彼女は笑うのをやめる。でも、彼女が私に向けている親しさはまったく変わらない。私におびえもしないし、私を憎みもしない。憐れむこともないし、排除しようともしてこない。ただ受け入れている。いや、が起きている。そんな気がする。


 彼女は口を開く。


「そう。それでいいのよ。あんたはそういうやつ。よく知ってるわ。しょうがないよね。お父さんやお母さん、先生、周囲の人間たち、誰のせいでもないのよね。あんたは勝手にそうなって、そうして生きていくしかできなくなったんだもんね。そして、そのことにちゃんと誇りだってもっている。泣きたくなるような日もあるけど、それだって、あんたが自分で選んだものだもんね」


 私は涙を流す。彼女はそれをぬぐおうとはしない。彼女は知っている。私が、自分の涙を自分でぬぐうことを知っている。


「不安なときや、もう耐えらんない! ってときもあるわよ。そりゃある。今日だってそうだったもんね。でもね。大丈夫だから。あんたは大丈夫。そんなんでもなんとかやっていけるから。どーんと構えて、へらへらやってなさいな」


 私は自分を抑えられない。あう、あうあ、と小さな子供みたいに声を出してしまう。教室には彼女と私しかいない。人に泣き顔を見せるなんて最悪だと思う。でも、彼女に涙を見せることは、なんでもないことのように思える。


「もちろん、嫌なことも怖いこともいっぱいあるけど、でも大丈夫。真っ黒ななにかに押しつぶされていったん死んじゃうこともある。でも大丈夫。心配しなくていいよ。っていうのはさすがに意味ないよね。心配しないってのは無理だから」


 涙は止まらない。このひとは、これを言うためにここに来たのだろうか。私に会いに来たのだろうか。


「友達がいなくても、ひとりぼっちでも、たとえそれがずっと続くのだとしても、あんたは大丈夫よ。ちゃんとやれるから。ね?」


 彼女はちょっとだけ泣きそうになるけど、泣かない。大人なのだ。私よりも。


 立ち上がって、教室を出ていく。私はびいびい泣きながら、それを見送る。


「じゃあね」 


 がらぴしゃとドアを閉める。それから、ちょっとだけドアを開けて、こっちを覗き込んで言う。「やけぐいだけはやめときな」


 そしてドアを閉めて、今度こそどこかに行ってしまう。


 学園祭の騒がしさが遠い。私はもういらいらしたり、悔しくなったり、さみしくなったりはしなかった。ぼろぼろの顔をぬぐって、とりあえず今日は帰ろうと思う。

 旅行にでも行こうかな。一人で。誰にも言わないで。二・三日私がいなくなったって、心配するひとたちはいるだろうけど、そのくらいへっちゃらだった。


 私は大丈夫なのだから。


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眠り見るのは百合の花 @isako

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