葉桜の桜子
三月に入ったものの、寒さはなかなか和らいでくれません。
そう、僕が今震えているのは、寒さのせいなのです。
今日が生徒達の門出の日、卒業式だという事とは、無関係なのです。断じて、感激のあまり震えているわけではありません。
校舎の外で、卒業する生徒達と写真を撮ったり、最後の言葉を交わしたりしていましたけど、それらが途切れて一人になる瞬間が訪れると、胸の奥に熱いものが込み上げてきました。
彼ら彼女らとは、今日でお別れ。おかしいですね、何だか目頭が熱くなってきました。
「生徒の晴れ姿に涙する。しばらく見ない間に、君はずいぶんとセンチメンタルになったみたいだね」
泣いてなんかいませんって。
僕は目をこすりながら、近づいてきた彼女の方を見ます。
懐かしい姿。アナタは、変わっていませんね。
「久しぶり、葉太くん」
「ええ。お久しぶりです、桜花さん」
春川桜花さん。かつて付き合っていた彼女と、15年ぶりの再会です。
制服姿だったあの頃とは違い、お互いピシッとしたスーツに身を包んでいます。
久しく見ることのなかった桜花さんは、当時のようなポニーテールではなく、長い髪を下ろしていましたけど、醸し出す雰囲気は昔のまま。
そして、あの頃と同じ澄んだ瞳で、真っ直ぐに僕を見つめてきます。
「三年間、妹がお世話になったね。すまない、本当はもっと早く挨拶に来るべきだったのだけど、すっかり遅くなってしまった」
「良いのですよ。それよりもその、アナタ達の正体って」
「ああ、君も知っての通り、狐だよ。代々山を守る、
あっさりと秘密を明かしてきました。
その辺のことは聞かない方がいいのかと思い、桜子さんにも詳しくは尋ねられずにいたのですが。
「良いのですか、バラしても? 昔は必死に、隠そうとしていたじゃありませんか」
「そうは言っても、君はもう知っているのだろう。だったら、隠すだけ無駄じゃないか。それに今の君なら、真実を知っても受け入れてくれるだろうし、他言もしない。そう思ったから明かしたのだけど、違ったかい?」
まあ、その通りなのですけどね。
クスクスと笑う桜花さんを見ていると、なんだか見透かされているような気がします。
「本当はやっぱり、隠しておいた方がいいのだけどね。だけど桜子を人間の学校に通わせると決めた時から、バレる覚悟はしていたよ。君も知っての通り、あの子は化けるの上手くないし、隙だらけだから」
それは、まあ。
幸い、僕以外には正体がバレることなく、今日までやってきましたけど。
けど秘密を守るため、僕も苦労をかけられました。ふとした拍子で桜子さんに耳が生えた時は、慌てて誤魔化しました。
熱を出したせいで上手く化けられなくなり、校内で狐の姿になってしまったこともありましたっけ。あの時は大変でした。
「だけどバレると思っていて、よく通わせる気になりましたね? それに桜子さんの話だと、アナタは彼女に、自分の後を追ってほしくなかったようですけど。なのに何故、無理にでも止めなかったのですか?」
「それは、まあ。理由はどうあれ、あの子がやる気になっているのに、反対する気にはなれなくて。それにその、良くは無いとは思っても、真似されること自体は、悪い気がしなかったんだ。お姉ちゃんお姉ちゃんと言って、後をついてくるあの子が、可愛くて可愛くて」
頬を赤く染めながら、幸せそうに笑う桜花さん。彼女のこんな表情、初めて見ましたよ。
どうやら桜花さんは、桜子さんの事が大好きなようですね。
「それにね、実は知っていたんだよ。あの子の入学に合わせて君が赴任してきて、担任になるってことをね」
「えっ? でも、桜子さんが入学希望の願書を提出した頃は、そんな話はまだ」
「そこはほら、知り合いの占い師に、未来を見てもらったんだ。君には馴染みが無いかもしれないが、私の住んでいる里では、わりとよくある事なんだよ」
はあ、そうですか。
妖の生活、分からない事がたくさんあります。
「君の事を知った時は驚いたよ。そして同時にこう思った。君ならきっと、上手くやってくれる。桜子の事は、全部任せてしまおうって」
「は? あの、良かったんですか、そんな簡単に信用して。僕は頼りになる先生ではありませんし、アナタと最後に会ってから、だいぶ時間が経っていたのですよ。よくそんな男に、大事な妹を任せる気になれましたね」
「それは、女の勘という奴だ。君なら大丈夫だという予感があった。事実、任せて良かったと思っているよ。おかげであの子、やりたい事を見つけられたからね」
しみじみと語りながら、遠くを見つめる桜花さん。
ええ、そうですね。桜子さんは見事に、自分のやりたい事を見つけられました。彼女が見つけた夢、それは。
「センセーイ! お姉ちゃーん!」
噂をすれば。
校舎から出てきた桜子さんが、手を振っています。そしてニコニコと笑いながら、僕達の前まで駆けてきました。
「桜子さん、お友達への挨拶は、もう終わったのですか?」
「バッチリだコン。それにしても、二人が同級生だったなんて。今朝お姉ちゃんに聞いた時は、ビックリしたコン」
ごめんなさいね、黙っていて。桜子さんを桜花さんの妹としてではなく、一生徒として向き合いたかった僕は、今日までその事を黙っていました。
そして桜花さんは、僕と同級生だったことは伝えたものの、付き合っていた事は伏せている様子。昔の事とはいえ、そういった話をするのは少し照れ臭いですから、助かります。
きっと桜花さんがナイショにしているのも、同じ理由なのでしょう。
「卒業おめでとう、桜子。高校生活は楽しかったかい?」
「うん、最高だったコン。ワタシもお山に帰った後は、こんな素敵な学校を作りたいコン」
「そうか。それじゃあこれからも、勉強を頑張らないとだな。未来の先生」
桜花さんに頭を撫でられて、気持ちよさそうな桜子さん。
未来の先生、ですか。彼女なら、きっとなれますよ。
桜子さんが見つけた夢。それはお山に帰って、先生になるということでした。
自分が学校生活の中で学んだことを、山にいる子供たちにも伝えていきたいのだとか。
教え子が僕と同じ教師を目指すなんて、何だか不思議な気分です。桜子さん、素敵な夢を、見つけられましたね。
「あ、そうだ。忘れるところだったコン。三年間お世話になった先生に、最後にイリュージョンを見せるんだコン」
思い出したように、顔を上げる桜子さん。イリュージョンって、いったい何をするつもりなのでしょう?
すると不思議に思う僕に、桜花さんが囁いてきます。
「この子、君に喜んでもらいたくて、妖術の練習をしていたみたいなんだ。何でも幻術で、満開の桜を見せたいらしい」
「桜ですって? それって……」
「言っておくけど、私が言ったわけじゃないよ。まさか姉妹で、同じ発想をするなんてね」
ええ、そうですね。
15年前、僕達の卒業式の日。桜花さんは術を使って、満開の桜を見せてくれました。それを、今度は桜子さんが。
近くに生えていた、桜の木の前に立つ桜子さん。木には小さな蕾がついていますけど、まだ一輪の花も咲いていません。
彼女は両手を大きく天に掲げて、声を上げました。
「枯れ木に花を咲かせるコンー!」
次の瞬間、一陣の風が吹きました。すると今まで蕾だった桜の花が、みるみるうちに開いていくではありませんか。
一つ、二つ。蕾が開くたびに、木を彩っていく花弁たち。それはあの日、桜花さんが見せてくれた光景そのものでした。
「見事なものですねえ。けど、大丈夫なんですか? こんな事をしたら、騒ぎになるんじゃ?」
「心配ない、これはただの幻。そして見えているのは、私達だけだよ。ふふ、腕を上げたみたいだね、桜子」
嬉しそうに微笑む桜花さん。そうしている間にも、花はどんどん色づいていって。殺風景だった木は、ピンクと緑の見事なコントラストを描いて……ん、緑?
「あ、あわわ。満開の桜にするつもりだったのに、間違って葉桜にしちゃったコン!」
あわあわと慌てふためく桜子さん。
満開だったのはほんの一瞬。今や桜の木は、ピンク色の花と緑色の葉っぱが交ざった、葉桜になってしまっていました。
何と言うか、桜子さんらしいですねえ。けどこれはこれで、良いじゃないですか。
「僕は、葉桜も好きですよ」
「コン?」
「風に舞う花弁は、まるで旅立ちを意味しているようで、芽吹いた葉は、新たな始まりを予感させます。満開の桜ももちろん綺麗ですけど、葉桜には葉桜の良さがありますよ」
桜花さんが咲かせたのが満開の桜で、桜子さんは葉桜。それでいいのです。違う良さがあるからこそ、面白いのですよ。
すると今度は桜花さんが、ガバッと桜子さんに抱きつきました。
「私も好きだよ、葉桜。こんな素敵な物を見せてくれて、ありがとう桜子」
「あわわ。お姉ちゃん、そんな抱きついちゃ、恥ずかしいコン!」
仲良さげにじゃれ合う姉妹、微笑ましいですね。
恥ずかしそうな、だけどどこか嬉しそうな桜子さんと、彼女が咲かせた葉桜を、交互に見つめます。
桜子さん。アナタはアナタだけの良さを磨いていって、立派な教師になって下さいね。
ああ、そういえば桜には、こんな花言葉もありましたっけ。
『優れた教育』。桜子さんの未来を予感しているような、素敵な言葉です。
おしまい🦊
葉桜の君に ~落ちこぼれの妖狐~ 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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