2


 外に出てる、と告げて俺は最寄りの本屋まで足を伸ばした。

 あの雰囲気はさすがに居たたまれない。


「…………おっ、音々だ」


 店内に入ると珍しい人影が見かけた。

 向こうも俺に気付いて、駆け寄ってくる。


「先輩が本屋なんて珍しいですねぇ? 小テストの点数でも悪かったんですか?」

「そういう音々こそどうしたんだ。ここは喫茶店じゃないぞ?」

「むむ……失礼ですねぇ。それくらいわかってますよぅ」


 よく見ると、音々が後ろへ回した右手には料理雑誌らしきものが握られていた。

 なるほど、そういうことか。


「今日、来るのか?」

「そのつもりだったんですけどねー。なんかだそんな気分じゃなくなっちゃいましたー」

「カグラが癇癪を起こすからそいつは勘弁してくれ……」

「えへへ、嘘ですよー。先輩の困った顔みたらなんだかやる気が湧いてきましたー」


 それくらいで機嫌が戻るなら安いもんだ。


「夕飯楽しみにしてるわ」

「任せてください!! 腕によりを掛けて絶品を作ります!!」

「……それ、俺が買ってやろうか?」

「急にどうしたんですかぁ? なにか悪いものでも食べましたかぁ? それとも、ついに恋人としての自覚が芽生えたんですかぁ!?」

「んなわけないだろ……ただ、音々にも凛にも色々と迷惑掛けちまったしよ……まぁ、そういうことだ」

「そう、ですか……」


 雑誌を受け取り、俺は会計を済ませて音々へ手渡す。


 だが、音々は受け取る素振りをみせず、どころか、なぜか口を尖らせていた。


「罪な女ですねぇ、薬師先輩も……」

「急にどうした」

「だって、先輩は薬師先輩がお姉ちゃんに迷惑を掛けたからって、あたしに謝ってるんですよね? ただの友達って関係なのに。そういうのは、なんだかなぁ……って」


 ……どうやら見抜かれていたらしい。


「なのでぇ……やっぱり、そういう貸し借りみたいなものはなしにしたいです。それに、薬師先輩のあれは単なる事故みたいなもので、謝られるようなことじゃありませんから。謝るんだったら、薬師先輩がお姉ちゃんにすべきですしねっ」


 音々は俺が買ってやった雑誌を奪い取り、お返しにとばかりにお金を握らせてくる。


「時間を潰すんでしたっけ? つまり、まだ家には帰らないんですよね?」

「あ、ああ……もうしばらくは」

「誰かと待ち合わせですかぁ?」

「まぁ、そんな感じだ」

「ふぅん……。まぁ、深くは詮索しないでおきます。じゃあ、あたしはさきに先輩のお家にお邪魔してますねぇ」

「悪いな……っと、そういえば……」

 俺は制服の内ポケットに手を突っ込み、預かり物を取り出す。

「まだ御利益があるかわかんないけど、返しておく」

「……はぁ。なんだかままなりませんねぇ」


 お守りを受け取った音々がひとりごちるように呟いて、小さなため息を吐いた。


「どうして先輩が大怪我したのに、これが無事に戻ってくるんですかねぇ。お守りがこれじゃあ、どうみたって御利益なんてなさそうです」

「処分は音々に任せるよ」

「……じゃあ、今度また同じのをくれますか?」

「神社に売っていたらな」

「なら、先輩が新しいのを買ってくれたときに処分しようと思います」

「そうかい。近いうちに準備しておくよ」

 どこか満足げな表情を浮かべて音々が小さく頷いた。



 音々と別れた俺は適当に週刊少年誌の最新号を読み潰す。


 そうしているうちに薬師から連絡がきたので、再びおんぼろアパートへと戻った。


「ごめんなさい、神座くん。気を遣わせてしまって」

「別にいいよ。それより、ちゃんと話はできたのか?」

「そうね……。話は、できたと思う。なんだか不思議な気分だけれど」


 まだ目元は腫れぼったくて赤いままだが、どうやら満足はできたみたいだ。


「ならよかった。賀茂さんには感謝しなくちゃな」

「え、ええ……そ、そう、ね……、それはそう、なのだけれど……あのっ、その……」

「……どうした?」

「ああ、いや……その……ええ、っと…………」


 薬師が両手の指先を胸のあたりでまごつかせている。頬もどこか赤く、とても気恥ずかしそうに俯いて。


「色々と、ありがとう。それと……、ごめんなさい」

「……急にどうしたんだ」

「えっ……その反応は、想定外なのだけれど……」


 普段は俺に散々な口ぶりだからこそ、紡がれた感謝と謝罪の意図がわからない。


「色々と迷惑を掛けてしまったし……、神座くんが助けてくれなかったら、私はもうこの世にいなかったかもしれないわけで……」

「別に俺は迷惑だなんて思ってない。何度も言ってるだろ。惚れた女のために命を賭けられるんなら、それは男の本望だって。そんで、結果として薬師を救えた。残ったのはその結果だけだよ」

「…………っ、ず、ずるいわ……、そういうの」

「なんだよいまになって。ずっと前からこんなふうにアプローチしてただろ。本当に大丈夫か? まだ何かが取り憑いているんじゃないのか……?」

「へ、平気よっ、さくら以外はなにも取り憑いちゃいないわっ」


 だったらなんだ、その反応は。

 いつも、うざったいとばかりにいなしていたくせに。


「と、とにかく、なにかお礼をしないと気が済まないわ。なにか、してもらいたいことがあれば、できる範囲で……約束、する」

「随分と急な提案してくるんだな……。さては、それも守護霊の入れ知恵とやらか?」

「……だ、だったら悪い!?」

「いや、別にそんなことねぇけど……」


 薬師が本心からそう思ってくれていたらな、と淡い期待をしただけだ。


 なんにせよ、守護霊には感謝する他ない。


「……なら、デート一回でどうだ」


 念願だった。

 薬師とデートをしてみたいと、ずっと思っていた。

 これまでずっと、予定があるだの、都合が悪いだの、先約があるだのと、のらりくらり断られ続けていたが。


「……駄目か?」

「ええっと…………」


 薬師は俯いたままじっと考え込むように小さく唸る。


 逡巡する気持ちは理解できなくもない。


 なにせ、やんごとなきご令嬢である。こうして放課後に異性と行動をともにするだけでもそこそこ気を遣っている有様だ。


 それが名目上もデートとなれば、一層の注意を払う必要があるのは当然で。


 まぁ、今回も駄目なんだろうな。



 そんな諦念が去来する、まさにそのときだった。


「……わかった、わ。善処、してみせます」

「……………………えっ」


 俺は雷に打たれたかのように固まった。


「な、なんですか、その反応はっ!!」

「あ、いや、その……まさかそんな返事がもらえるとは思ってもみなかったわけで」


 駄目元だったことがいざ叶うとなると、存外、こんな反応しかできなくなってしまうのだなと思い知る。


 ……そうか。

 デート、してくれるのか…………。


「……ええっと…………そうだな、薬師がいいなら、どこにいくか、考えておく」

「……わ、わかり、ました。候補は、私も、考えて、おきます……」

「…………」

「…………っ」

「その……いつ頃がいいとか、あるか?」

「……春服を、着たい、かな。色々とあって、出掛けられていなかったから」

「そう、か……わかった」


 じわじわと実感が伴ってくる。


 気恥ずかしさも相俟って、とてもじゃないけれど薬師の顔を直視できない。


 けれど、それは相手も同じようで。


「と、とりあえず……今日はもう解散……で、いいか?」

「え、あ……、そ、そうね……、私もこれから用事があるし……うん」


 ぎこちない会話をしながら帰路へと就く。


 薬師とは家の位置がまるきり反対側だから、大通りに出ればそこからは別々の道だ。


 この空気がとても心地よくて、できることならこのままもう少しだけ……なんて欲が出てきてしまうけど。


 そんな本音を言い出せる度胸まではなくて。


 結局、大通りに辿り着いてしまった俺たちは、もどかしい空気のままに向き合った。


「じゃあ、な……」


「ええ。また、明日」


「……いいんだよな、さっきの、信じて」


 雑踏に混じる自分の声は、いつにも増して小さく聞こえた。


 けれど、


「……うん」


 彼女の、その返事は、確かに、しっかりと、この耳が聞き届けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憑いてる彼女のおとしかた 辻野深由 @jank

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ