大陸の趨勢

 ヴァラン王国の敗戦は瞬く間に大陸各地へ広がった。王国軍の実に半数を動員しての侵攻が失敗したのだ。加えて相手は弱小国家と揶揄されるエクドール=ソルテリィシア大公国である。あまりにも鮮やかな勝利にある者は沸き立ち、ある者は喫驚し、またある者は嘲笑った。

 そしてそれは新たな時代の到来を予感させる。この大陸は王国と帝国が戦力を拮抗させ、長い間領土はほぼ変わることなく維持されてきた。それが途端に崩れるのは必定で、王国の民は戦々恐々と怯えを露わにした。

 いつ帝国が攻め入ってくるか、そんな懸念に駆られるのも無理はなかった。悠長に構えてはいられない。現に帝国は戦の準備を始めている。そもそも戦力的には常に帝国が優位に立ってきた。これを好機と捉えるのも当然で、下手をすれば一気に滅ぶ可能性も十分考えられる。大陸全土が帝国のものとなれば、必然的に圧政に苦しむ者は多くなる。


 戦国の世は強い者が偉い下克上の時代である。それは国家ごと覆された旧レトゥアール皇家が主な例だろう。帝国が王国を打倒し大陸全土を収めたとなれば、帝国臣民は王国民にどんな感情を抱くか。それは友好とは程遠く、一方的な慢侮な感情。同じ国にあっても、身分の差が増大してしまう恐れがある。


 それでもヘンリックは「大公国が帝国と足並みを合わせて王国領に侵攻しようとしている」という情報を流布させた。二方面から侵攻を受ければ王国もひとたまりもないだろう。王国もそれは望んでいないものの、実際は大公国にこれ以上戦を続ける余裕は残されていない。だからといって手を出さなければ王国の思う壺だ。


 そこで工作部隊を駆使して王国内に大公国軍の返す刀による逆侵攻の噂を流布させた。厭戦感情の増大で世論を和睦に傾けようと細工を施したわけである。


「くっ、よもや王国軍が敗北するとは思わなんだ。これもロンベルク公爵が王国の権威に泥を塗るような、恥ずべき大敗を大陸全土に晒したことが全ての原因だ。ロンベルク公爵には責任を取ってもらわねばならぬな」


 ヴァラン王国では激しい議論が展開されていた。三大公爵の一角、クロルド・ヴェリンガーが他を威圧するような鋭い視線でギロリと睨み付ける。先の戦で戦死したグラハム・ロンベルク公爵の嫡男で、グラハムの死により次期当主に内定していたレグナルト・ロンベルクは萎縮し切っていた。父を失ったことはレグナルトのみならず、ロンベルク公爵家に現在進行形で致命的な影響を与えている。王国内で傑出した権力を担っていたロンベルク公爵家の権威は失墜し、この元老院での発言力を著しく失ってしまっていた。弱冠15歳という当主となるにはあまりにも若いその未熟さと、レグナルト生来の臆病な性格が災いし、この場にいる貴族らの嘲謔の格好の的となっている。


「まぁまぁ、クロルド殿。レグナルト殿も若くして父を失い気を落としているはず。そう厳しいことを言うものではないでしょう」


 責めるクロルドとは対称的に、それを宥めるように微笑を浮かべるのはこれまた三大公爵の一角であるジラルフ・コルベであった。その笑みの裏に潜む影は誰よりも苛烈であり、性根が捻くれた男である。それを知るのはクロルドと既にこの世を去ったグラハムのみであり、殆どの貴族には穏健派として名が知られていた。

 しかし表面上とはいえ本来ならば対等の立場にあるはずの相手に庇われる構図は、ロンベルク公爵家の失墜を色濃く示しているのは明白だった。


 ロンベルク公爵家が急速に力を失った以上、この二人が国を牛耳るのは不可避だと言えるのが現状である。


「ふん、まぁ良い。それより目下の議題は大公国の侵攻だ。市井では公国が逆侵攻に出ると噂が立ち、帝国の侵攻を前に収束不可能な混乱に陥っている。誇り高き王国軍とはいえ、半数を失うという醜態を晒したお陰で帝国単体でも手に余る」

「左様。しかし大公国も相当無理をしているはず。何せ一度敗北を喫し兵の大半を失っているわけですからな。交渉は進めやすいと思われますぞ」


ジラルフの一声でやや弛緩した空気が漂った。


「大公国が提示する条件ですが、端的に申しますと北西のブレスレン一帯の割譲に加え、和睦後の対等な同盟関係の確立、そしてエクドール=ソルテリィシア王国の建国を認めること、とのことにございます。この条件での和睦が成った場合、大公国側は捕らえた貴族の身柄を引き渡すとの由にございます」


「なに?! それは強気にも程があるだろう。幾ら何でも到底受け入れられぬ条件だ!」


 クロルドは目を見開きながら大公国の強欲な条件を糾弾する。ブレスレン一帯はエルドリアの南に位置する非常に広大かつ肥沃な土地であり、農業が盛んな地域である。ここを譲るなど到底受け入れられる条件ではなかった。

 ヘンリックもブレスレンが肥沃な土地で価値が高いと知った上での要求であり、またエクドール=ソルテリィシア大公国から「エクドール=ソルテリィシア王国」とすることにより、王国の支配下から完全に脱し国としての主権を確立し、かつ公ではなく「国王」が頂点に立つ王国としてヴァラン王国との対等な関係での同盟関係を望んでいるというわけだ。


「大公国が我が国と対等になろうとするなど、国王陛下への冒涜であろう。皆のもの、そうは思わぬか?」


 賛意を示す者の「そうだ」という声がポツポツとあがるが、これまでのようにほぼ全会一致による採決とはならない。クロルドは不快げに眉を顰める。


「それは同胞を見捨てるという意味か?」


 重苦しい沈黙を切り裂いたのは、これまで一度も声を上げていなかった国王ジークハルト・ヴァランの声であった。


「国王陛下、それは如何なる意味で?」


 クロルドは眉を吊り上げて尋ねる。


「大公国は先の戦で捕縛した貴族の身柄を抑えているということだ。つまりこの元老院に参加している面々も嫡男や弟など、親族が囚われたままになっている。この条件を飲まねばそれを見捨てることになるが、それでも良いと申すか?」


 普段からは想像もつかない程の凄みを宿した声にグラハムは歯を食い縛り、又はジラルフは視線を落とした。


「大公国が提示した条件だが、こちらとしては飲む他なかろう。多くの貴族の命には変えられぬし、この条件を飲んだ場合には王国と手を組んで帝国と戦う意志がある。大公国はあらゆる手段を駆使して我らを撃ち破ったのだ。力強い味方になるのは間違いなかろう」


 理路整然とした堂々な口ぶりに、公爵の面々は口を噤む他ない。


「そもそも大公国との軋轢は貴殿らの暴走により、大公国に無茶な要求を強いたことにある。ロンベルク公爵を糾弾する前に、貴殿らの越権行為こそ責められるべきなのではないか?」

「……」

「もとより近年の貴殿ら公爵家の行動は目に余るものが多かった。我ら王家を蔑ろにした結果が、今の王国の状況である。何か申し開きはあるか?」


 主導権は既にジークハルトのものと化していた。クロルドやジラルフからすれば痛い所を竹槍で突かれた格好である。

 ジークハルトの国の領土を対価にしてでも、捕らえられた貴族の命を救おうという心根に打たれた者が少なからずいた。そしてヴェリンガー、コルベ両公爵が絶対的な権力で牛耳っていた国の体制が遂に変化を見せる。目を覚ましたように大公国との軋轢を生んだ公爵家の行為を糾弾し、逆に王家の権力を往年のものにまで戻す勢いになった。

 そしてエクドール=ソルテリィシア大公国改めエクドール=ソルテリィシア王国との対等な関係が構築され、王国側も歩み寄る形で帝国との戦に備えて足並みを揃えていくことになる。


 ヘンリックは帝国との対決に向け、より一層決意を固めた。ヘンリックは「帝国の民を圧政より救う」という悲願を、一日たりとも忘れたことはなかった。それはある意味建前でもある。原動力は国を乗っ取ったゲレオンらへの恨みだ。


(復讐は何も生まないと言うが、果たしてそうだろうか。例え個人的な恨みが原動力となっているとしても、民を救わんという思いは決して嘘ではない。復讐の先にそれはある)


 ここから始めるのだ。帝国は大陸における最強国家。王国が味方にいようと、弱体化した事実に変わりはない。他力本願は綻びを生む。

ヘンリックは自分がこの世界に生まれ変わった意味を考えた。決して楽な道ではない。むしろこれからが正念場というべきだろう。


 窓の外には朱を帯びた紫陽花色の夕焼けが広がっている。その中に弱々しく浮かぶ鱗雲に、ヘンリックは拳を被せた。

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【書籍化決定!】銀鉱翠花のエクドール 縞杜コウ/嶋森航 @Kiki0914

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