凱旋

「大公閣下、戦勝誠におめでとうございます!」


 エルドリア城は戦勝の宴が催されているーーことはなく、ヴェルマー男爵に与した貴族の美辞麗句をひたすら聞き流す無為無聊に時を浪費していた。まあ退屈な一方で胸のすく思いではある。賛辞の言葉を並び立てるのは、大小の違いはあれど俺の能力に疑問を持って離れた者達だ。気まずそうに部屋の端で縮こまり、身の所在を弁えている貴族もいる一方で、厚顔無恥にもこうして俺を褒めちぎる者もいる。


「貴様らがどんな言葉を並び立てようと意味はない」


 緊張感がありながらもどこか柔らかかった空気が、ヘンリックの言葉を前に一気に温度を下げた。

「そ、それは如何なる意味で?」


 動揺を孕んだ言葉が俺の耳に届くとともに、間が騒々しく響めいている。ヴェルマー男爵に味方した貴族は青ざめて視線を彷徨わせている。


「そもそもこれはヴェルマー卿が起こしたことだ。王国に単身刃を向ける勇気のある人間など滅多におらぬ。それも余程の愚者か、身の程知らずの直情的な阿呆くらいだ。俺も貴様らの立場だったらそうしていた」


 鋭い口調とは裏腹の言葉だった。戦は空気に大きく左右される。いくら俺、というより「アルシアナの身柄を押さえた俺」が正当な綺麗事を述べ、諸将を鼓舞したとしても、一度大敗を喫した、ましてや兵の戦力差は歴然とあれば、多くは大公国への忠義より自分の安全を優先する。


 結局は力がものを言うのだ。そんな空気が逡巡する貴族にも伝播すれば、自然と鞍替えする気は薄れてしまう。即ちヴェルマー男爵に与したイコール忠誠のない貴族ではないのである。


「お言葉ですが大公閣下、それは我らを無罪とする、ということですかな?それはあまりにも初めから閣下に味方した者達が報われませぬ」

 

 これまで口を噤み、一切媚び諂うことのなかったセルジオ・リンデル男爵が初めて困惑混じりに口を開いた。ヴェルマー男爵に与した中では一番の有力者であり、また他の貴族からの徳望も篤い。

 状況からしてもある程度弁解の余地はあるとは言え、国を傾けたヴェルマー男爵に与したのだ。家名の存続は許されても、普通なら領土の召し上げ等の罰則が下っても文句は言えない立場である。それを無罪放免とは、いくらなんでも軽すぎる処遇だ。むしろあって然るべきだ。最初から大公家への忠義を貫いた者達の信望にも関わるだろう。


 その言葉はこの場にいる者全ての総意でもあった。視線を彷徨わせていた者も一斉に双眸をこちらに向けて返答を待っている。


「ほう、貴様はリンデル男爵であったな。ここで何も言わなければ問答無用で無罪放免となったかもしれぬのに、殊勝な男だ。無論、貴様の申す通りなんの罰も与えないというのは拙い。だからと言って、俺は俺自身が罪と思わない者に罪を着せるような暗愚な男ではない」


 俺はここで完全に貴族を掌握したかった。罪の意識のある者達にそれを否定する言葉を投げるとどうなるか。必ずしも全員ではないだろうが、ある程度の謝意を感じざるを得なくなる。恩を売っておけば今後の統治も円滑になり、大公家の権威も上がる。


 ヘンリック生来のカリスマ性かもしれない。口が思った以上によく回る。本来ならここで俺に与しなかった者に罵詈雑言を浴びせて然るべき処罰を与えていたかもしれないが、多少影響を受けているとはいえ人格は「宮籐稔侍」である。平和な国に生まれ、平和な世界を視界から溢さぬまま生涯を閉じた。基本的に罪のない者を裁けるほど肝が太い人間ではない。


「貴様らに罰は与えぬ。こうして王国を大公国から追い出し、再び領土を得ることができた。死人に処罰を下すことはできぬ。その代わりに貴様らに罪を着せることは簡単だ。だが多少の不満は持つのではないか?」

「……」


 面々は一様に黙り込むことしかできない。自業自得とはいえ仕方ない状況だった。多少不満は持つかもしれない。そんな思考が彼らの胸に去来している。


「無論、何もなしでは俺の味方をした者達が報われぬ。それこそ罰を与えぬ以上に不満の種になるのは明瞭だ」


味方をした者に表立って不満を宣う者はいない。基本的に大公国への忠義が篤い者達だ。不満は胸に溜め込む質だろう。まあアルシアナの存在あってこその仮初の忠義に過ぎないだろうがな。

 罰を与えるより褒美が少ない方が火種として肥大化しやすいのは、俺が一番知っていることだ。レトゥアール帝国は、戦功を挙げた貴族に与えた報酬があまりにも期待と乖離していたことが原因で、その結果募った不満がクーデターを誘発したのだ。

 適正な報酬は国の体制を健全にする。褒美は処罰以上に慎重になる必要があった。


「故に大公家の直轄領を褒美として与える」

「なっ」


 俺の一言に玉座の間が一気に騒ついた。直轄領を削るということは即ち大公家の力を削るということだ。大公家の力を削るということは、必然的に貴族の力を必要以上に強くしてしまうことになる。力を失った国の長が貴族に国を掌握される様子は、王国を見ていればよく分かる筈だ。


 勿論国の力が削がれてしまうのは統治上良くない。俺も何のメリットもなくこのような条件を提示しているわけではない。王国との和睦を予定している。

 グラハム・ロンベルク将軍の討死に加え、多くの武闘派貴族の身柄を確保しており、王国の軍事力は半減している。この状況から帝国が攻め入ったらどうなるか。王国は均衡を失い一気に窮地に立たされることになる。それは避けたい筈だ。故に王国は大公国との交渉のテーブルにつかざるを得ない。王侯貴族の引き渡しを条件に領土を要求すれば、王国側も飲むしかなくなるわけだ。加えて領土割譲の暁には「完全なる独立国家として」王国と同盟を結び、帝国に掌を返す。ヘンリックの帝国への復讐心は色褪せていない。ここが第一歩である。

 しかし、この場で余計なことは告げない。あくまで「身銭を切ってまで忠誠の篤い貴族に報いる」という権威ある大公像を印象付けるためだ。

 腹に抱える気持ちは差異あれど、集まっていた面々は比較的穏やかな表情で共通している。ヴェルマー男爵に与した後ろめたさも薄れ、歓喜の雰囲気が徐々に形成されつつあった。

 

 俺は今日ばかりは良いだろうと、この世界に来て初めて大勢の前で表情を崩した。

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