アクロン・ヴェルマーの最期

 俺は凶悪な睡気の抵抗に遭いながら覚醒した。窓の外は朧げな薄明が漆黒の闇夜を塗り替えつつある。コンラッドの来訪を待つことなく、綿蝋をつけたような艶を放つ甲冑が朝日を反射させた。

 支度を終えた俺は一言も発することなく城下で待つ将兵の元に向かう。準備は既に整っており、士気の高さと絶妙にピリピリとした緊張感が漂う。策を弄さねば敗北必至の戦いを乗り越えた将兵の精悍な面持ちを今日ばかりは頼もしく感じた。


 全軍のうち一千五百を残し、アルバレン城塞の守備をセレスに委任すると、三千の兵を率いて東進を開始した。アルバレンとエルドリアは五十キロ弱で、本来ならば二日を要する距離だ。それを出来るだけ縮めるよう行軍を厳正に統制すると、翌日の正午には踏破できる見込みとなった。

 本来の行軍速度を遥かに凌ぐ短時間で街道を踏破すると、昼前には念願のエルドリア城は遠目で視認するまでに至った。


「ヘンリック様、リンデル男爵のほか、多くの貴族は寝返りました。ただアクロン男爵を筆頭とする一部反帝国皇子過激派の面々が依然おりまする」


 エルドリア城で趨勢の変化を見守っていたエッカートが報告を行う。もはや戦争というよりは政戦だ。内部を突き崩すのは容易であった。

 それでも抵抗するものはいる。元々帝国から婿入りした俺を快く思わない存在は多かった。俺を政治の中枢に据える事で、帝国の影響を大きく受けるのを危惧している。元々説得が身を結ぶことのなかった貴族たちだ。ここで一網打尽にさせてもらう。


「その反帝国派の連中は如何している」


 籠城は厳しい。エルドリア王城にはリンデル男爵ら多くの敵がいる。背後から槍を突き刺されるのは避けたいはずだ。野戦を挑んでくる確率は高い。


「はっ。放った斥候によると、ヴェルマー男爵は総勢1000の兵を率いて街道の狭まった場所に潜んでいる模様。おそらくは奇襲を狙っているかと」

「左様か。それが分かっていれば何の脅威もない」


 俺は三千五百の軍勢で四万の大軍を撃ち破った。委細を聞いたヴェルマー男爵が、俺にできるなら自分にもできると勘違いしたのかもしれない。あれは敵の油断があり、かつ事前の準備を綿密に行った結果の勝利だ。決して付け焼き刃で勝てるものではないのだ。

 そして奇襲は作戦が露見すれば意味を成さない。とはいえ兵数差から考えても正面から勝利するのは難しい。奇襲を行おうというのは至極真っ当な作戦である。


「如何なさいますか」

「しばらくは気付いてない素振りで行軍を続ける。工作部隊を敵に忍ばせよ。時を見計らって伏兵を攪乱するのだ」

「承知しました」


 エッカートは五十の工作部隊を率いて敵部隊に忍び込んだ。存在感を操作する魔法はこういう時に役立つ。敵に気づかれることなく溶け込めるからだ。

 三千の兵はそのまま街道を進んだ。









(ククッ、ヘンリック・レトゥアールさえ討ち取ればこちらの勝利よ)


 アクロンは野心を携えながらも、元々はそれなりに落ち着き払った人物であった。しかし今はそんな面影は一切窺えない。王国に与し、国の頂に上り詰めたことへの『驕傲』と、自らの行いによって国を乱した事実への『罪悪感』が混ざり合い、精神は歯車を脱し、大きな狂いを見せていた。

 加えて、王国軍は既に国へと撤退している。この事実は、ヘンリックとの戦に勝利すれば、自分は名実ともに『大公』の地位を得ることになる。そこに悲壮感などどこにもなかった。

 ヘンリック率いる三千の兵はやがてアクロンら一千が潜む、狭まった場所に差し掛かった。

 木々の生い茂る中、矢庭に立ち上がったアクロンは、力強く命令する。


「全軍突撃せよ! 狙うはヘンリック・レトゥアールの首ただ一つ!!!」


 アクロンの指示に従い、一千の伏兵が一斉に襲いかかるーーはずであった。しかし裂帛の声は耳を鳴らさず、実際に動いたのは半数に過ぎず、よく見ると力なく仰向けになっている者もいる。

 直後、一本の矢がアクロンの頬を掠めた。赤黒い鮮血が噴き出す。


「ひっ……!」


 大公国を纏めるにはおよそ相応しくない悲鳴を上げたアクロンは、情けなく尻餅を着いた。そして直後、首筋に鋭利な刃が当てられる。


「アクロン・ヴェルマー男爵、お命頂戴する。何か言い残すことは無いか」


 私兵隊の総隊長を務めるコンラッドの低い声が木々に跳ね返りこだまする。少しの沈黙ののち、アクロンは口惜しげに歯噛みした。


「くっ、我らの動きが露見していたというのか。エクドールの盟主であった先祖の悲願を果たすことができなんだ。結局は国を乱した裏切り者の蔑称を被り、御家を潰すことになってしまった。誠に情けない」


 瞑目し、後悔の念を独り言のように呟く。


「そもそも根本から間違っている。私も帝国からの流れ者に過ぎぬが、ヘンリック様は決してこの国を乱すつもりはなく、むしろ国の力を上げようと尽力されておられる。それを見抜けなかった、それだけだ」

「もはや今世に生きる意味はない。殺すなら殺すがいい」


 コンラッドはそれに応えることなく静かに首を一閃すると、呻き声を発し間も無く事切れた。


 敵大将のアクロン・ヴェルマーの死は戦の趨勢に影響を与えることはほとんどなく、予め知っていた三千の正規軍にとって、半数に減った奇襲部隊などむしろ格好の餌であり、容易く一網打尽にされていた。

 最後の戦いとしてはあまりにも呆気なく、正規軍は完勝でエルドリア城に凱旋した。エルドリアは思った以上に荒れ果てていたが、戦の終結に誰もが喜びを露わにする。その光景は新たな国の誕生を暗に示していた。

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