田中カメレオン

秋冬遥夏

田中カメレオン

 前の席の佐藤ウサギちゃんからプリントの束が回ってくる。僕はそこから一枚だけ手元に抜き取り、残りは後ろの席の山田ゴリラ君に渡す。見ると窓際では伊藤ドラゴン君が大きな羽を休めていて、その前に座る斎藤ハムスターちゃんは今日もモフモフとしていて可愛かった。


「では社会の教科書の152ページを開けて下さいね」


 そうみんなに言うのは、担任である川上クジャク先生。いつも大きく綺麗な羽で僕たちを包み込んでくれる、優しい先生だ。嫌っている生徒もいるが、僕は良い先生だと思っている。


 指定された通りに教科書の152ページを見ると、僕たちとは違う人の姿があった。少し前までは人間と動物は別々の生物だったらしい。いつからか少子高齢化や、生物多様性などの考えを通して、今の僕たちのような動物と人間を掛け合わした「キメラ人」が生まれた。それはとても良いことだと大人は口々に言う。鳥と人間を掛け合わせたら、空を飛ぶ「鳥人間」ができるし、逆に動物たちは人間の「話す」「学ぶ」「書く」などの能力を手に入れることが出来る。故に今の動物と人間はWin-Winな関係を築いていると、そう言えるらしいのである。


 しかし気の毒なのは、個人差が大きく出てしまう点であろう。浅井フクロウちゃんは夜行性であるから、昼の授業では良く寝てしまい先生に怒られている。運動会の短距離走では鈴木チーター君には誰も勝てやしない。それでも僕たちは、それぞれの長所と短所を理解し合いながら、なんとかうまくやっているのだった。


 そして僕はというと、カメレオンと掛け合わされたキメラ人だ。名前は田中カメレオン。今は掛け合わせた動物を名前にするのが普通らしい。それが人間と動物を平等に見てるという証拠なのだとか。

 親はいつも僕に「アナタは願えばどんなものにも変身できるのよ」と言うが、僕からしたら、たまったもんじゃない。この擬態化のせいでいつも僕は、自分でいられない。憧れている人や思っている人に変身してしまうのだ。


「ねえドラゴン君」

「ごめん、僕はカメレオンだよ」


 このやり取りをこのクラスになってから何回したことか。

 学校で撮った集合写真なども僕にとっては嫌なモノに過ぎない。過去に撮ったどの写真を見ても自分の姿は写っていないのだ。あるのはその時の憧れていた者の姿になった「偽りの自分」だけ。僕はそれを見る度「この時、お前はこれに感化されていた」というのを突き付けられているように感じ、少しの恥ずかしさを覚えるのだった。


 戦隊ヒーローに憧れていた小さい頃の自分は、全てヒーローの仮面を被っていた。誰にも頼らず単独行動をするオオカミ君をカッコいいと思っていた時は、ずっとオオカミ君の姿になっていた。こんな青春を送りたいと、アニメの主人公になった時もあった。

 でも最近になって気づくのだ、結局は偽物でしかないと。僕は、ライダーキックなんてできないし、一人で生きられるほど強くない。ましてや主人公なんて器でもない。自分の存在は、ただコピーだけをした虚像にすぎないのだ。

 それからというもの僕は、この世界で自分を探し続けているのだった。


 チャイムの音を合図に五時間の授業が終わり、みんなは帰りの支度に入っていた。今日は早帰りでみんなと遊べる日なので、クラス中がソワソワした雰囲気に包まれていた。

 僕のことを「ドラゴン君」「ドラゴン君」と呼ぶ声の中に唯一、「カメレオン君、遊ぼうぜ」という声が聞こえた。声の主はドラゴン君だった。彼だけはいつも「自分が本物だから」という理由で、僕のことをカメレオンだと理解してくれる。存在を認識してくれる点は嬉しかったが、僕は心のどこかで嫌な気分にもなるのだった。


「いいよ」

「え」

「だから、今日遊ぼう、ってこと」


 みんなより何倍も大きいランドセルに荷物を詰め込む彼は目を見開いていた。それもそうだろう、これまで僕は彼をどこかで避けてきたのだから。


「珍しいな、いつも頑なに断るのに」


 僕は、今日は遊びたい気分なだけさ、とカッコつけて言った。本当はずっと遊びたかったのだ。それでも今まで、憧れの存在を長時間見ることがなんか癪だったから、誘いを断っていたのだった。


 さようなら、と先生が言い。さよなら、と生徒が言う。これを学校では「帰りの挨拶」と呼んでいる。何故やるかはわからないが、毎日やらされている。これが終わると僕たちは帰ることが許されるのだ。


「ほら、乗れよ」


 そう言って彼は僕に背中を見せた。きっと、遊ぶなら遠くに連れていってやる、と言いたいのだろう。僕は小さい声で、ありがとう、と言ってから彼の大きな背中にしがみ付いた。


 彼は僕を背負ったままベランダに出て、グルルルと喉を鳴らしてから空に飛び立った。優しい風が頬を掠めて、少しくすぐったかった。

 初めて見る、空からの景色。それはとても広く心地のよいものだった。地平線が弧を描いていて、地球が丸いことを改めて思い知った。ふと振り返ると学校はゴマ粒のように小さくなっていて、なんだか今まで小さな世界で過ごしていたんだな、なんて思ってしまった。


 羽は大きな音を立てて空気を切っていく。僕の「偽物の羽」では2秒も空中にいられなかったのに。やっぱり本物は凄いな、と改めて思わされた。そしてどこか嫉妬してしまう自分がいるのも確かだった。


 どこに行きたい、と彼が聞くものだから僕は、このまま飛んでいたい、と答える。それを聞くや否や、面白いヤツだな、と大声で彼に笑われた。そんなに笑わなくても良いのに、という言葉は心の中にしまって置いた。


「そうだ、ソウゲンに行くぞ」

「ソウゲンって、あの草原?」

「そうだその草原だ」


 彼は、しっかりと捕まっていろ、と言ってスピードを上げた。想像したよりも彼の背中は大きくて居心地が良かった。そして厚いウロコ越しにも微かな温もりを感じるのが、すごく安心できた。


 草原にはすぐに着いた。彼がドスンと寝転がるものだから、僕も真似をしてコロンと寝転がった。草原は見ている分には綺麗だったが、寝転がると湿っていて気持ちが悪かった。見上げると空がどこまでも広がっているように見える。大きくて白い積乱雲が一つ、僕たちを優しく照らす太陽が一つ、浮かんでいた。


「なあ、聞いていいか」


 隣で響く彼の声に、うん、と返す。横を向くと、彼はずっと空を見ていた。絶対に僕と目線を合わさない、という信念さえ感じた。彼は空を見たまま、呟くように口を開いた。


「なんで、いつも俺の姿をしてるんだ?」


 僕は数十秒悩んでいた。なんで、と聞かれても分からない。いや、本当は分かっているのだが、言いたくないのだ。自分がドラゴン君に憧れているから姿が似てしまう、なんてカッコ悪すぎるではないか。


「本当はなりたくなんてないさ」

「そうなのか」

「ああ、そうだ」

「そうか」


 ドラゴン君は沈黙を吹き飛ばすようにガハハと大きい笑い声を響かせる。地面が揺れているのを背中越しに感じた。なんで笑っているんだ、と聞くと。彼は、お前も俺と同じなんだと思ってな、と言ってまた笑った。


 それはどういうことか、と尋ねても今度は答えてくれなかった。僕と同じように、彼にも言いたくないことくらいあるのだろう。彼は代わりにグルウと喉を鳴らすのだった。それが、なんだか可愛く見えた。


「俺さ、本当は自分が嫌いなんだよな」


 彼が唐突にそんなことを言った。僕は驚いた。彼にもそんな風に思うことがあるのだな、なんて思った。僕は、お互い様だよバカ野郎、とアニメキャラを真似て言ってみるのだった。


 それからずっと他愛のない話をした。いつの間にか空は赤く染まっている。話を聞いていると、彼も僕と一緒の人間だということがわかった。姿は違えど、悩みがいっぱいあって、ハムスターちゃんのことを可愛いと思っていて、どう生きていったら良いのかわからないと言っていた。多分、昔に憧れていたヒーローも、オオカミ君も、アニメの主人公も、結局は僕と同じなのだろう。いろんな悩みを持っていて、いろんなモノに感化されて人は成長していく。そういうものなのだろう。


「そろそろ帰んねえとな」

「そうだね」


 僕は彼の背中に身を預けた。彼はまたグルルルと喉を鳴らして、翼を大きく開く。よし飛ぶぜ、という彼の一声で僕たちは一気に空を舞った。どこまでも清々しい青の中を上へ上へと飛んでいった。彼にこのままどこかに連れて行って欲しい、なんて思いながら僕は彼の背中に顔を埋めた。彼の背中は行きよりも温かくなっているように感じた。


「ねえ、一つ聞いていい?」

「ああ」

「僕はこのままドラゴン君の姿でいていい?」


 彼はまたガハハと笑ってから、当たり前だろ、と言った。僕はそれを聞き、やっぱりドラゴン君はカッコいいな、と思うのだった。憧れは憧れに過ぎない、僕がドラゴン君になれるわけじゃない、でもこのような強くて優しい人になりたい、とそう思った。偽物だっていいじゃないか。きっとこの偽物が僕なのだ。



 これから数年後。ドラゴン君は人気俳優になり、僕は彼のものまねタレントとして、テレビで有名になったのは、また別の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

田中カメレオン 秋冬遥夏 @harukakanata0606

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ