第6話

 虚空に黒髪が舞い踊り、プリーツスカートの花が咲いた。

 軽やかな動きで宙を舞う桜子の長い脚が、断頭台の刃のように葉太に振り下ろされる。

 バックステップでそれを躱した葉太の顎を目がけ、すかさず回し蹴りが襲い掛かる。

 スウェーで回避。

 回転する桜子の体は隙を作らず、さらにもう一撃。

 それを迎え撃った葉太の銀の刃が、空を切った。


 桜子が全身の筋肉を撓め、蹴りを中断したのだ。

 その反動を全て乗せた一撃が、今度こそ放たれる。

 肩を使ってガード。

 衝撃が全身に走り抜ける。


 桜子の踏み込み。先ほどとは逆のステップを踏み、前蹴りで鳩尾を狙う。

 クロスガード。

 その腕に足首を絡め、桜子の体が跳ねた。

 葉太の蟀谷こめかみを、ほとんど水平に近い角度で蹴りが狙う。

 前後左右に逃げ場を無くした葉太の体が、膝から崩れ落ちた。


「!?」


 桜子からすれば、まるで溶けて消えたかのような動きで葉太の体が深く沈み込む。

 一瞬の脱力。

 重力に従い崩れ落ちる体を、寸でのところで持ち直し、大地からの反動を全身に乗せる。


 どう。


 その集約として放たれた掌底突きを喰らった桜子の体が吹き飛んだ。

 かろうじて間に合った腕の防御を突き抜ける衝撃に、その端正な美貌が一瞬歪む。

 ふわりと舞い上がったスカートの動きも待てぬように、桜子の足が地に着いた瞬間に前へと駆けだし、粉塵を纏いながら飛び上がった。

 胴回し回転蹴り。

 防いでも躱しても、再び桜子に連撃のチャンスを与えることになる。

 咄嗟に判断した葉太は、自らも地を蹴り飛ばし、正面から迎え撃った。


 桜子のローファーと葉太の革靴が中空でぶつかり合い、巻き上がる風が粉塵を晴らした。

 一瞬の拮抗。

 視線交わる両者の口元が、耳まで裂けそうなほど吊り上がっている。


 示し合わせたように上へと力を逃がし、二歩分の距離が開く。

 踏み込んだのは葉太。

 銀色の刃を真っ直ぐに突き出す。

 刺突。

 もう一度。

 袈裟斬り。


 ぐにゃりぐにゃりと上半身の動きだけでそれを躱す桜子の体が、葉太の右側に回った。

 すかさず繰り出された回し蹴りが葉太の側頭を捉えるよりも遥かに早く、葉太は己の上半身を投げ捨てるようにして、桜子へと倒れ込んだ。

 艶めかしい太腿が葉太の肩へとぶつかる。

 十分に遠心力の乗らない一撃と、腰の入らない肩撃で、相打ちに。


 そのまま銀の刃を突き出した葉太から、桜子の体が離れる。

 その顔面に。


 びおう。


 風を巻いて、銀色の一撃が飛来した。


「うくっ」

 それを受け止めた桜子の左手が焼け焦げる。

 ワイヤーによって葉太の左袖から射出されたは、二つの小さな円盤を組み合わせた投擲武器――ヨーヨーだ。


 当然の如く、桜子たちを害する特殊コートを施された銀塊が蛍光色を発し始めた。

 咄嗟に振り払った桜子の手から零れた凶器は、内部に組み込まれたモーターによってワイヤーが巻き取られ、葉太の元へと帰っていく。

 右手にナイフ。左手にヨーヨーを備えたハンターは、ゆっくりと腰を下ろし、右前半身の姿勢を取った。


 焼けた手をぷらぷらと振って煙を晴らした桜子が、呆れたように言う。


「……それ、私が使ったほうがよくないです?」

「あなた、スケバンって柄じゃないでしょう」

「なら、機関銃のほうがいいかしら」

「それこそ、ハンター私たちの得物ですね」


 ばしゅ。

 

 再び打ち出された投擲を、右に退いて桜子が躱す。

 即座に呼び戻されたヨーヨーは、一瞬の間を置いてさらに射出。

 今度は桜子と葉太の間の地面を抉った。

 引き戻しの隙を縫って間合いを詰めようとしていた桜子の足が止まり、再度の追撃を許してしまう。

 巧妙なフェイントを交えて繰り出される連撃の中で、桜子の顔は、恍惚の笑みを浮かべていた。


「縛せ――」


 その口から、邪悪なる力を纏った呪言が放たれる。


「――『這蕨はいわらび』」


 しなやかな細腕が地に突き出され、月明かりによって生み出された己の影が、ぞわりと持ち上がった。

 数条の黒鞭と化したそれが銀色のヨーヨーを絡め取り、そのワイヤーを縛り上げた。

 それを見た瞬間に、葉太は手元に残るワイヤーをあっさりと放棄した。


 ずるり。と、残像を引いて桜子の体が滑り出で、二度のフェイントを交えて葉太の右に迫る。

 足払い。

 それを後ろに退いて避けた葉太の、さらに右に回るように、しゃがんだままの桜子が回転する。

 花咲くスカートから伸びる真白い脚が、鞭となって腰を狙う。

 後ろへ引く。

 それを追う。

 

 這うような動きで肉薄する桜子の首筋にナイフが振り下ろされる。

 首の動きでそれを躱し、腕を絡めとる。

 右足だけで立ち上がりながら、大きく後ろへ振り上げられた左足が、バレリーナのように持ち上がり、己の背中越しに葉太の顔を蹴った。

 

「ぐぅっ」


 体重の乗った一撃ではない。だが、遠心力によって加速した靴底に強打された葉太の視界が揺らぎ、たたらを踏む。

 その足元に、千切られた桜子の黒髪がひとひら。


「呑め。『裂英さくはなぶさ』」


 己の体の一部を媒介に魔術が発動し、闇の泥沼がぽっかりと口を開けた。

 ぞぶり。

 一瞬で飲み込まれた葉太の左手だけが、辛うじて顔を覗かせる。

 暫くの間もがき苦しむように虚しく空を掻いていたその掌を、優雅な仕草で伸ばされた桜子の足が優しく沼地に押し込めた。


「とろっとろにしてから、啜ってあげますね、先生」


 そして――。


 ぼきゅ。


 沼地が、爆ぜた。


 銀色の光が柱となって夜天を貫き、吹き飛ばされた闇の魔力がぼたぼたと降り注ぐ。

 それをシャワーのように浴びながら、桜子が爆心に空いた大穴を見やる。


「はぁっ。はぁ」


 そこには、上半身裸となり、肩で息をする葉太の姿があった。

 ぷすぷすと灰色の煙が昇り立ち、憔悴した、それでいて恍惚の笑みを浮かべる葉太の顔を霞ませている。


「なるほど、上着の中に護符を仕込んでましたか」

「ええ。他にも武器をいくつか。全部ダメになってしまいましたが」

「それにしても……うふ」

「??」

「ああ、失礼。服の上からでもうすうす気づいてたんですけど、秋田先生が予想以上にいい筋肉からだをしてるもので……少々催しを」

「それは光栄です」


 さくり、さくりと、葉太の足が土を食み、穴から抜け出して埃を払う。

 鋼の如くに鍛え上げられた体に巻き付けてあった鉄鞭を手に掴み、解いた。


「また、その可愛らしい先っぽ、撫で回してあげますね。知ってますか? 人間の体って、頭を捩じ切られても、敏感なトコロを撫でると、びくん、って跳ねるんですよ。とっても可愛くって、大好きなんです」

「なるほど、では――」


 ぴしゃん。

 月明かりに照らされた夜の底を、鞭の先端が叩く。


「あなたの体でそれを試しましょう」

「くひっ」


 闇が躍る。

 銀が光る。

 空気が焼ける。

 地が爆ぜる。

 靴底に仕込まれた刃が閃き。

 血飛沫の結解がそれを阻む。

 

 交わされる視線は甘く蕩け。

 口元には淫靡な笑み。

 徐々に白くなっていく黄色い月と、若葉の茂る桜木に僅かに残る花弁がそれを見守っている。


 ――ねえ、先生。私、進路のことで相談があったんです。


 ええ、お聞きしましょう。


 ――先生は仰いましたね。今、こうして、ここにいること。それだけで、良いのだと。


 はい。


 ――本当にそう思いますか?


 ええ。


 ――私たちも?


 そうです。例え【あなたたち】が、幾千年もの昔から、ずっと、のだとしても。


 ――知って、らしたんですね。


 はい。


 ――それなのに、私たちを滅ぼすのですか?


 あなたたちは、化け物ですから。私と同じように。


 ――非道い人。


 駄目ですよ。私も怪物。あなたも怪物。私一人を置いて、一体どこへ行こうというんです?


 ――なら、ずぅっと、【私たち】を愛していただけるのかしら。


 いいえ。


 ――え?


 私が愛するのは、。桜子さん。


 

 ずおう。

 深淵より出でた暗闇の風巻しまき立ち、黒髪の美女一人、その中に。


東雲しののめきたる前――」


 背後に負った黒水くろうずが、ぎゅるぎゅると収縮し、その細いかいなに纏わりついていく。


「――焦がれ掻き抱け。『千絣雲手ちがすりうんじゅ』」


 異形と化した両腕を蠢かせ、女王が微笑む。


 相対するは、人の男一人。

 諸肌を晒し、髪は解れ、顔色青白く、握るは一振りの小刀。

 然れども、その口元に、凄絶な笑みを。


「さあ、もっと」


「もっと」


「もっと」


 二つの魂が。



『愛し合いましょう』



 笑って。


 わらって。


 わらった。


 

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