第3話
どん!!!!
交通事故を起こしたかのような轟音が公園に響き渡り、葉太の体が吹き飛んだ。
5メートルほど無様に転がった葉太のスーツが埃塗れになる。
胸部を襲った凄まじい衝撃と、地面に打ち付けた背中へのダメージに葉太の呼吸がつまり、脂汗が浮く。
それでも、歯を食いしばって地を掴み、充血した目で視線を送った先に、彼女はいた。
首元からばっさりと引き裂かれたセーラー服からシルク地の下着が零れ、豊かな乳房がまろび出ている。
それをぱっくりと断ち割った傷口から滾滾と血が流れ出で、足元に緋色の水たまりを作っていた。その傷が、しゅうしゅうと灰色の煙を上げている。
「う。……ああ。痛い。痛い。ああ。治らない。これは……うぐ。銀の。ぐ。んぐ」
傷口を抑えようとしていた右手に、いつしか長い爪が伸び、夕日を弾いた。
ぞぶり。
肩口に立てられたその爪は、生々しい傷をなぞるように斜めに掻き下ろされ、赤い肉を抉り取った。
「ふぐぅぅぅう!」
獣のような慟哭が桜子の口から洩れ出で、削ぎ取られた鮮やかな肉片がべちゃりと血だまりに落ちる。
それはまるで、淫靡な花弁のよう。
普通の人間であるならば、一目見て分かる致命傷であった。すっかり質量を減らした桜子の胴体が、次の瞬間、ぼこぼこと泡立ち始め、肉が弾けた。
ぼきゅ、と破裂音を鳴らして膨らんだ肉塊は一瞬でスイカほどの大きさにまでなると、次の一瞬で逆再生するようにしぼみ、消えてなくなった。
あとにはただ、傷一つない乙女の柔肌が姿を現し、ゆるゆると蒸気を上げる。
剥き出しの乳房の先端が、遠目にも分かるほどに濃い桜色に染まっているのが見えた。
「はあ。はぁ、ぐっ。げほっ」
荒々しい呼吸を繰り返す桜子の両目は、いつしか真っ赤に濁っていた。
「なぜ、なぜ術が効かない……。いや、効いているはずだ。それなのに……」
その肌は血の気の失せた蒼白。
長く伸びた黒髪は、いつしか艶をなくした闇色に。
うぞうぞと蠢く足元の影が露出した左半身を覆い、次の一瞬で元通りのセーラー服となった。
「ええ。効いていますよ。桜子さん」
がくがくと膝を震わせながら、埃塗れの姿で葉太が立ち上がった。
その手には、銀色の光を放つ一振りのナイフが握られている。
「僕の目には、あなたがかつて愛した少女そっくりに見えます。あなたのことが、愛しくて堪らない。今すぐ抱きしめてその唇に吸いつきたいと思うほど」
「だったら、なぜ――」
「だから殺す」
ず。
葉太の体が前に倒れた。その瞬間、落下する体の勢いをそのままにその体が滑るように前へ飛び出し、ナイフを突き出した。
「ぐっ、お」
桜子の足元の影がずるりと持ち上がり、葉太の視界を塞いだ。
それを真一文字に切り裂いた時には、桜子の姿は半分ほどが赤黒い霧と化していた。
隠形の術だ。
決して逃がすまいと、さらに一歩を踏み出した葉太の足元に、灰色の煙を上げながら、先ほど桜子が抉り取った傷口の肉片が絡みついていた。
バランスを崩し、倒れかけた体をどうにか立て直す。
それでも、桜子の体はもう手の届かぬ場所にあった。
「先生。はぁ。……秋田先生」
葉太の耳がとろけそうなほど甘い声で、桜子が囁いた。
「言いましたよね。先生。私、進路のことで相談があったんです」
足にへばりつく肉片は、ぐにゃぐにゃと形を変え、それを引きちぎろうとする葉太のナイフを躱して時間を稼ぐ。
「なのに、突然斬りつけてくるなんて、ひどい先生」
「では、聞きましょう。あなたの進路は、どこに向かっていますか?」
「時のいや果てです、先生」
「時の、いや果て?」
「ええ。どこまでも続く永劫の時。私、そんなの堪えられないんです」
「ならば、なんとします」
「『面白きこともなき世を面白く』。それが私の望みです」
葉桜の茂る老木を背後に、桜子の体が淡く霞んでいく。
やがて、一滴の血糊をつけた唇だけが虚空に残り、霞は虚空へと溶けて消えていった。
「では、私が――」
「その先は、どうぞ次に会ったときに、お聞かせ願います。ああ、私に口づけがしたいとおっしゃってましたね。折角ですから、差し上げます」
「ぐぅっ」
その唇が大きく開かれ、ぎらりと尖った牙が葉太の首元に食らいついた。
それを銀色のナイフで引きはがし、地に縫い付けるように突き立てると、しばらくじたばたともがいていた唇はやがて力を失い、煙となって溶けていった。
「それでは先生。また、葉桜の頃にお会いしましょう」
そんな言葉を、最期に残して。
葉太は力尽きたようにどさりと倒れ込み、荒い息を吐きながら大の字に寝転がった。
空はいつしか藍色に染まり切り、僅かな橙色が西の空の端に残るばかり。
葉太は大儀そうに胸元を探り、携帯端末を取り出すと、いくつかのボタンを押して電波を飛ばした。
「こちら秋田。監視対象をロスト。……作戦は失敗した」
からん、と音を立てて、銀のナイフが転がり落ちる。
端末も放り出した葉太は、首元に突き立てられた牙の痕を手でなぞり、指に血を擦り付けると、それを舐めた。
舌に甘い痺れが広がり、葉太はうっとりとした顔でその余韻を楽しんだ。
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