孤地獄
ぜっぴん
孤地獄
今日も今日とて私は、昇りゆく朝日を見て一日の始まりを確認しました。
不思議な物です。見慣れた物というのは次第に、噛み締めたガムみたいに味気無くなっていくのに、この有明の時間はいつまで経っても、私にとって気持ち良くて堪りません。濛々と空に光が灯っていくが私に時の経過を良く感じさせてくれ、とても落ち着かせてくれるのです。
さて、まず歯を磨きます。乱暴に、硬い歯ブラシの毛でもって前歯をしごく。歯磨きはもはやアクティビティ、退屈で無心になる筈なのにこれがなにか妙に飽きない。急げば急ぐほど大きく音を鳴らして、その音がやけに心地よくて落ち着くんです。
周囲の人にはあまり共感してもらえませんでしたけど、歯磨き粉特有の甘さ、これがまあ美味い。私ほど好きな人も珍しいのではないでしょうか。なんてったって、舌に絡めて味わって、水で回収して吐き出した時の清涼感で目を覚まさせるのを一つ、日課としているほどですから。
身支度をさっさと済ませスリッパ引っ掛け今日も朝っぱらから河川敷を歩く、これもまた飽きないもんです。移り変わる事をせず、何時だって同じ顔をした誰も居ない世界を見回して、何度も同じ妄想を反芻する。
小学校の時から時たま振り返ってきたちんけな妄想です。
好きな子が居て、私が居て、二人がただただ青臭い恋に耽る、ステレオタイプな妄想。毎日毎日、まるで本当に体験してきたように。
新しいパターンなんかも試します。ぽつぽつ歩く数時間の間、首は力を抜いて伏見勝ちに。真っ直ぐ頭上に日が昇る頃には、疲れて土手に倒れ込んで果たしてどれほど繰り返しただろうと溜息をつく。
水際で風に揺れてる夏草の向こう、元気が出るほど景気よく照らす太陽が反射して眩しい。Tシャツが蒸れて気持ち悪いのが気になる限りですが、目を瞑って夢をみたくなります。
地べたに手をついて横たわるだけでも、体中を草むらが引っ掻いて擦り傷が出来て、終いには痒くなる。しかし最早いつもの事で、前膊を掻きむしりながらも16時までの暇はこの場所で寛いで過ごしています。
それまではここで、どうしても違う事を考えていたいんです。明日も明後日もそう。そう言う風に繰り返そうと、最初の時から決めているから。
7月10日、今日の日付です。
自殺した人と云えば、その日のその瞬間を永遠に繰り返すらしいですが、この自殺とはいったい何処から何処までの判定なんでしょう。例えば、少しでも希死念慮を抱きながら車道へ足を踏み入れ轢死したならば、これは地獄へ落ちなければいけないのでしょうか。
私はあの時、河川敷から自分の家に帰ろうとしていました。気が病んでいた自分を慰めに、ただ涼みに行っただけでした。息を吸う暇も無かった瞬く間、右耳に迫る音。確かに聴こえたはずでした。なのに少しも躊躇いなく踏み出して、ふとまずいと気づいて。
余りに短すぎた時間はまるで、ただ風が吹いただけのような錯覚を残して私を孤地獄へ引きずり込みました。
嫌になります。今でもその一瞬に縛り付けられ、踏み出したあの喧騒の木霊が私に、責苦を与え続けている。
でも、同時にこれは、神様が、私を終わらないようにしてくれたんだとも思うんです。始まらなかったことにしてしまうより、終わらないことにしてしまうのがいいとお考えになられたならば、私はそれでいいと思うんです。
今はもう、そう思うんです。
只今7月10日16時43分。あの時点まで残り時間10分を切ったので、今日も今日とて私は瞋恚を燃やし、不倶戴天の仇を呪いに車道へ飛び出そうと思います。
孤地獄 ぜっぴん @zebu20
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