イルカショー

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イルカショー

 イルカがショープールから突然客席に向かって飛び出して来た。イルカの巨体に何人もが瞬時に圧死した。さらに二匹三匹とイルカは、今度は高く飛び上がりながら客席に落ちて来た。誰も逃げる暇なく死んだ。

 その日は二〇二〇年夏の連休の最終日だった。連休の頭には列島に台風が来ていたため誰も外に出られなかった。故に最終日にはかなり多くの人が水族館にやって来ており、特に平時から大盛況のイルカショーの開始までにはいつもに増して多くの観客が客席でショーの開始を待っていた。

 山下は元々イルカのトレーナーを志してこの職場にたどり着いたのではなかった。彼女がしたかったのはシンクロナイズドスイミングであった。しかしオリンピック選手の選考にも漏れ、行き場をなくしていた。そこに、イルカとともに水の中でショーを行う仕事をやらないかという話をもらい、新たなシンクロのエンターテイメント文化を作ろうというような強い思いを持って、この職場にやって来たのである。

 死んだ魚をイルカの口に放り投げる、体力の限界を超えた調教特訓、職場上司からの無茶な言い寄り、仕事を始めてからのオリンピック強化選手への引き戻し要請(それも眉唾物だった)。それでも山下は頑張った。彼女が好きでも嫌いでもないイルカたちは山下を心から愛し、彼女の命令ならば、成功報酬がなくとも聞くようになった。

 そして彼女は特訓を始めた。イルカを明確にターゲットに向けて直線的に突撃させる技、ドルフィンミサイルと、同じくその巨体の体側を幅のあるターゲットに叩きつける技、ドルフィンナパームの練習だ。

 その最強必殺技を極めるため、脳筋に血を吹く思いで猛烈な特訓を行ったのは、自分を振る、どころか、自分は初めから二号であり、一号の女がイルカショーが好きだからそのうち見に行くよ、と言っていたナルシストの元彼である田中を殺すためであった。田中は自分との赤裸々な行為を撮影したビデオデータを持っている。公開されるなら死なば諸共、彼を消すしかない。事故に見せかけて。

 そして連休の最終日、とうとう田中がやって来た。大して可愛くもない女を連れて。

 山下の動悸は際限なく上がり続け、呼吸も困難となったが、今日が最後の瞬間だと思うと、身体中がゾクゾクして、いうことを聞いてくれるような気持ちにもなるのだった。

 田中は初めから山下に気付いており、まさか信じられないようだったが朗らかにこちらに手を振って来た。捨てた女に。

 捨てられた女はショーの最中にイルカミサイルを炸裂させた。平常プールの中だけで完結するイルカの鋭いジャンプが突然客席に突き刺さる。イルカも観客もただでは済まない。一方的なジェノサイド。

 しかし、田中はまだ生きていた。田中の女はイルカの尖った口に顔面を貫かれ死んだが、田中はまだだ。

 すぐさま山下は次の合図を下した。二撃目、三撃目のイルカナパームが田中を襲うが、田中は運良くも二匹のイルカの間に挟まれ無事だ。それでもその顔には嘘くさい引きつった笑いが張り付いている。気に入らなかった。

 こちらの持ち玉はあと一匹、若い小型イルカのラッキーである。これで外せば後はない。

 山下は最難度の奥義を放った。それは、ラッキーの口の先に自身が立ち、彼のジャンプ力を推進力とし、天高く飛び上がり、ターゲットに向けて落下して体ごと思い鏃と化して相手に致命傷を負わせる、イルカローリングクラッシュである。

 山下はラッキーの膂力を借り水中から客席上空に飛び上がった。向かうは二匹のイルカに挟まれ身動きが取れずしかしながらへらへら笑っている、その田中の真上だ。田中は何が起こっているのかよくわからない。ただ死にたくないとは思っていた。

 そして彼が最後に見たのは、太陽を背負い逆光になった黒い影、つまり彼が捨てたイルカトレーナーの決死の姿だった。

 山下は田中の頭上に正確に全体重を乗せた肘打ちを叩き込んだ。田中の頭蓋は割れて死んだ。山下の片腕の骨も粉々に砕けた。痛みは感じなかった。

 そして山下は天を仰いだ。自身を客席に送り込んだラッキーの巨体が太陽を背負い逆光になった黒い影となり、彼女が飛び出して来た軌道をなぞるようにこちらに落ちて来ていた。

 自分は痛みを感じないだろうが、イルカたちには悪いことをしたな、と山下は初めて思った。そして後悔の波に苛まれた瞬間、ラッキーに潰されて圧死した。

 五秒後、観客席でようやく時間がまた流れ出し、阿鼻叫喚が始まった。イルカと人間の血液や内臓が飛び散り、半死半生、またはすでに息のない人々とイルカという二種類の哺乳類が体躯を混ぜ合わせて死のキャンバスに地獄絵図を描いていた。会場にはいつの間にかショーの終わりを告げるシャボン玉が吹き乱れており、幻想的な音楽も響いていた。ここに救急車のサイレンが混ざるまで、まだしばらくの時間が必要であった。

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