アフター・シンギュラリティ 終わった世界の暮らし方

真野てん

第1話


 2020年――。

 子供の頃に夢見た世界は、地上の楽園だった。


 尽きることのないエネルギーが夜を照らし、ひとは働かなくとも飢えを知らない。

 車は空を走り、美形の家政婦アンドロイドがいちいち世話を焼いてくれる。


 生産のすべては機械任せ。

 ビッグデータを瞬時に解析するAIの言葉は神託の域に達し、ひとはいよいよ消費行動のみを繰り返す存在になる――そんな未来をずっと思い描いていたのに。


 技術的特異点シンギュラリティは確かに起きた。

 それにより「現実」は、いとも容易く崩壊した――。


「次の方どうぞ」


 無人の栄養パック配給所にて、電子合成の音声案内が流れる。

 列から一歩前に出たおれは、ほかの誰もがそうするように、配給機から乱暴に落ちてきた半透明のパックを無言で受け取ると、そそくさと背中を丸めて出口のほうへと歩いていった。

 人道主義だか何だか知らないが、間に合わせで作られた栄養パックは医療用ですらない。

 グニャグニャとした頼りないそれを懐へと突っ込み、おれは徐々に歩調を速めた。


 ひどい臭いの立ち込めるひとの群れ。

 肩をぶつけながら、外へ外へと逃げ出していく。

 老若男女の別なく生気の感じられない顔が地平線の彼方まで続いているようだ。


 やっとのことで配給所の列から抜け出したものの、取り立てて行くところなどない。

 早いところ寝床に帰って、またネットにつながるだけだ。


 ふと見渡した街並みは、ここ数年変わらない。

 完全に自動化された商店には店員の姿すらなく、棚には法外な値段のついた商品が並ぶ。

 おれたちみたいな『債務者デプター』には、縁のないところだ。


 路上では企業から支給されたスマホにかじり付いて、必死に仮想通貨のマイニングや、ソシャゲのレベル上げにいそしむご同輩がたむろしている。

 みな子供時代にゲームに馴染んでこなかった年寄りばかりである。

 きっともう何日も寝てないのだろう、彼らの顔には死相が現れていた。

 自分はいまのところ、まだマシな状況にある。

 しかし他人事ではない。

 明日は我が身だ。


 一畳半ほどの広さしかない我が城バラックに帰ると、穴だらけのゲーミングチェアに寝そべり、今しがた手に入れた栄養パックを貧相な静脈へと突き立てた。

 それから頭部を丸ごと覆うヘッドギアをかぶり、旧世代レガシィなコントローラーを握る。


 これからおれは「現実」へと帰還する。


「アカウント名とパスワードを入力してください」


 視界に現れたのは無味乾燥な背景と、ログインを促すテキストのみ。

 おれは本名からもじった「タケル」というアカウント名とパスワードを入力した。


 フアァンという独特な効果音がなり、視界いっぱいの画面が一旦真っ暗になる。

 再び視界がヘッドギアのモニターに映し出されたとき、そこには活気あふれる牧歌的な町並みが出現していた。

 そして画面の隅には視界を邪魔しない程度のUIが表示されており、「タケル」と書かれたウィンドウにはいくつかの数値と共に現状のステータスがモニターされていた。


 キューピッツ&キュービックス。

 世界人口の約一割がプレイする箱庭型ゲームのビッグタイトルである。


 果てしなく広いオープンワールドを舞台に、プレイヤーは背中に小さな羽が生えた「クピト」という種族に扮する。

 あまりにも自由度が高いため、もはや目指すものはいないが一応クリアも存在するらしい。


 らしいというのはこのゲームの稼働以来、誰もそこまで到達していないからだ。

 そしてこのゲームは誰も、「遊ぶ」ためにはプレイしていない。


 ログインしてすぐ。

 誰かからの「呼び出しコール」が掛かる。

 通知相手を見ておれは胃が痛くなった。いわゆる運営からの業務連絡だ。

 無視したいところだが、おれはしぶしぶコールに応じる。


「は、はい……」


「応答が遅いですよ『タケル』さん。そんなことでは借金完済がいつになることか」


「あ、はあぁ……スンマセン」


「先週分の利息を滞納されていますね。申し訳ありませんが、現在所持しているウィートから差し引かせてもらいますよ」


 ウィートとはゲーム内通貨の名称である。

 直後、おれのステータス画面からウィートの数値が一万減った。


「ああ……装備を買い替えるための費用が……」


「そんな無駄遣いをするまえにもっと稼いでください。そうだ。渓谷ではいまダイヤキューブの採掘がにぎわっているそうですよ」


「い、イベントですか?」


「そうです。せいぜい稼いで、10シェルくらいは返済してください」


「じゅ、10シェル……」


 シェルとは運営組織が流通させている仮想通貨であり、1シェルでだいたい1000万ウィートの換算である。つまりは10シェルは一億ウィート……。

 貨幣制度の激変によりすでになくなってしまったが、一億ウィートは二億円ほど。

 しかしそれすらおれが背負っている借金の半分にも満たない。


「それでは健闘を祈ります。ごきげんよう」


 一方的に通話は切られた。

 残されたのは賑わう大通りにぽつんと立つひとりの「クピド」と、針で刺されたような胃の痛みだけ。

 おれはしばらく一歩も動けなかった。


 ゼロ年代の初頭に貨幣制度は一変した。

 電子マネーがリアルマネーに取って代わったのである。

 一方、世界中でシンギュラリティが起き、人間がこれまでしてきた仕事のすべてはAIやロボットに置き換わり、失業率95%という事態を引き起こした。

 もはやまともに職に就ける人間は一部の富裕層だけとなり、残りの人類は彼らのおこぼれによって生かされることになる。

 生まれた直後に背負わされる借金と、生きてるだけで増え続けていく負債額。

 だからおれたちは『債務者デプター』と呼ばれるようになった。


 いまやゲームのなかだけがおれたちの「現実」なのだ。

 ゲーム内での消費活動が、そのまま運営組織が流通させている仮想通貨の価値となる。

 つまりはシェルの価格維持のためにおれたちはこのゲームで生活をしているのだ。さっきのように借金の取り立てにもあうし、滞納が続けばアカウントの没収もあり得る。

 このゲームは「遊び」ではないのだ。


「よお、タケ。こんなクソ暑い盛りに、渓谷探索だって?」


 なんとか気を取り直したおれは、この町にある行きつけの洋食屋を訪ねた。

 もちろんこの店主もプレイヤーである。リアルでは一度も会ったことはないが、この町を共に一から作り上げた仲間のひとりだ。


「まいっちゃうよ。虎の子の一万ウィートも取られた」


「かっかっか。タイムラインにばっちり流れてたぜ。おごってやるから飯でも食ってけ」


 カウンターに並べられたのは、オムライスとスープのセットだった。

 脳内に埋められたマイクロチップ(もちろん有料で強制購入)の影響で、匂いも味もほんものそっくり、いやそれ以上の出来ばえである。

 満腹感すらあるから勘違いしてしまうが、ときどきプレイ中に餓死者が出るのが玉にきず。


「なあ……」


 おれはケチャップライスをスプーンでつつきながらつぶやいた。


「あんたのガキの頃の夢ってなんだった?」


「なんだよ、藪から棒に。そうだな……」


 すこし太めのボディに毛むくじゃらのテクスチャを張り付けた店主が腕を組む。


「料理人、だ」


 にかっと。

 狂暴そうなデザインに似合わぬかわいい笑顔と白い歯を見せる。


「叶ってんじゃん」


「まあな。おまえはどうなんだよ」


 聞かれるかなとは思っていた。

 だから一応、答えは用意していたよ。


「冒険家」


「叶ってるじゃねえか」


「まあね」


 おれたちはふたりして笑いこけた。

 しばらく客の来ない店内に、下品でガサツな声が鳴り響く。

 やがて店主は手のひらのうえに、50センチ角の立方体を出現させた。


「このちいせぇキューブを一から積み上げてよ、よく作ったもんだぜ、この町ごと」


「あの頃はまだ、キューブの種類も15個くらいだったか?」


「もう人生の半分以上はゲームのなかだ」


「……ガキの頃に思い描いてたのとは違ったが……これもまた人生か」


「そういうこった」


 オムライスを食い終わったおれは、おもむろにカウンター席を立った。

 UIの空腹ゲージもいつしか「FULL」に変わっている。


「行くのか?」


「ああ。帰ってきたらダイヤで大金持ちだ」


「まあゲームのなかだがな。しかも運営に吸い上げられる」


「それを言うなよ」


 ケチャップライスの香りと乾いた笑いを残し、おれは洋食屋をあとにする。

 一旦、プライベートルームにもどって装備を整えたら、ダイヤキューブラッシュに沸くというイベントの渓谷へと出発だ。


 そう。

 思い描いた未来とは違ったが、おれはいま「現実」を生きている。

 リアルにはない現実を、失った充実感と共に。


 オムライスで満たされた腹と幸福感がおれを突き動かした。

 だから。


 腕から流し込まれる栄養パックに、穴が開いていたなんて気づかなかった。

 もともと強度不足の粗悪品なうえに、乱暴に商品を落とす配給機。

 加えて、どうやら人ごみのなかで傷つけたらしい。


 2020年の夏。

 それはとても暑い盛りのことだった――。

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