第1話 エビフライ効果
「……………………」
「……………………」
お互いの存在を認識し、「「……………え???」」と不思議がる声が重なってから数秒お互いは無言で視線を交わした。
「……えと。僕はここに住んでいる者ですが……」
「……私は、今日からここへ住むことになったのですが……」
お互いはそれぞれ、自分のテリトリーであることを示すことで何もやましいことがないことをアピールする。
本当にやましいことはないはずなのに、一度別の場所で出会っていることで少し気まずくなっていた。
「……えっと。神保町へは行けました?」
「~~っ!?」
何もとっかかりが掴めず最初の時に出会った時を話題をふる。
すると彼女は無言で見つめあっていた時よりもさらに強張った顔をした。
「…………たです」
「え?」
「~~っ!行けなかったですっ!!」
最初何を言ったのか聞き取れなかったので再度尋ねたら彼女は震えながら叫ぶように答えた。
「駅には着いたけど。同じようなビルばっかりで……。一回行ったことがある場所だからって油断して…………。何度も探したのに……みつからなくて…………。人に聞こうと思っても……やっぱりみんな無視するし………………」
彼女は、話しながらだんだん声のトーンが下がっていき、何も聞こえなくなったと思ったら彼女の瞳から頬にかけて一粒のしずくがこぼれた。
「あれっ。なんで私、えっ。あれ……」
彼女は自分の頬の感触に違和感を感じ手でその雫を拾う。
そしてまた別の次の雫がこぼれる。
そしてまた拭う。
拭ったそばからだんだん新しいしずくが流れ出しそして────
「うっ。うっ。うぁわあああああああ~~~ん!!!」
彼女の涙腺のダムは完全決壊した。
「………………」
「………………」
「お待たせいたしました。エビフライ定食になります」
エビフライ定食を持ってきてくれた店員さんの声がなくなり、またもこのテーブル席では無音になった。
今、席にいるのは僕と隣に引っ越してきたというさっきまで泣いていた女の子。
彼女の目元は少し赤みがかかっている。
(どうしてこうなった???)
あの後、何かが、ぷっつり切れたのかほぼ初対面の人間の前で堂々と泣いていた。
僕が、直接悪いことをしたわけでないが、目の前で泣かれたので罪悪感が半端ない。
っていうか本当に僕何もしてないよね?ほんと何もしてないよね?
「えっと。その。あっと。大丈────」
「うぁわあああああああ~~~ん!!!」
もう収拾がつかない。
僕の言葉に耳を貸さず、彼女は泣いた。
そばに置いてあった。キャリーバッグを抱いてわんわん叫んだ。
あいにくこのアパートの2階は僕の部屋とその隣のこの子の部屋しかないためすぐに近所迷惑で注意されることはないと思う。
だけどそのうち1階に住んでいる住人やこの泣き声を聞きつけた人が駆けつけるかもしれない。
僕は一瞬、呼吸をおいて
「ごめん。とりあえずごめん。本当にごめんなさい。──」
と彼女の背中をさすりながらただただ平謝りを続けた。
そんなことを5分ほど続けてようやく彼女は「ひくっ。ひくっ」と声の種類を変え、ようやく泣き止んでくれた。
(……ようやく泣き止んでくれた。とりあえず、よかった。)
泣き止んだ彼女は姿勢を変えず、キャリーバッグを抱えたままでいる。背中をさすっていた僕は、どうしたものかと頭のエンジンを全開にして考えた。
1. 彼女をうちの部屋にあげて事情を聞く。
2. 彼女の部屋にあげて事情を聞く。
3. 警察を呼んで事情を話して解決してもらう。
っていうかどれもアウトじゃね?
1. も2. も泣いた女の子の弱みにつけこんで変なことしようとしている軽い男みたいな気がする。
3. も傍から見れば僕が、彼女に何かしたように思われる気がする。
それに僕に心当たりがなくても、実際何かしていたのかもしれない。
そんなことがあったら余計やばい!
なんで入居1日目で僕こんな目にあってるの?
もう、助けてだれか……。何か良い案を──
「……きゅるる」
「ん?」
今、どこからか音がした。思考をまとめようとしていた緊張感の中で、それにふさわしくない効果音だった。
「……………………………………………………おなか、…………すきました」
先ほどまで泣いていた女の子から、いきなりのハングリーコール。
あまりにも意外で突然の発言だったので、不意に笑いそうになった。
だが、明らかに真っ赤な顔になっている彼女がこちらを見てきたので口を固く結んで表情を変えないようにした。
どうやら恥ずかしかったみたいだ。
「………………ご飯。ごちそうさせていただきます」
とまぁこんな成り行きで歩いて30秒ほどにあった定食屋に二人で入ってしまったのだ。
正直、僕としては定食メニューがどれも1000円ほどするものしかない店みたいだったので、もう少し、リーズナブルな店にしたかった。
しかし、他の店だと昼間に行った天丼チェーン店やそのすぐそばのラーメン屋などだが、そこは徒歩10分ほどかかる。
そんなところまで歩いて行ける雰囲気でないことは分かったためすぐそばの定食屋にした。
彼女は注文したエビフライ定食が来てから、すこし沈黙があってそれが嫌になったのか、こちらを一瞥して手を付け始めた。
ちなみにエビフライ定食はどうやらこの店の一押しメニューらしく、彼女が席に着くなりメニュー表の「エビフライ定食」の文字を指さした。
僕はどれでもよかったので同じものを注文した。
彼女の食べるペースが、少し早くなってきたのを確認し、僕も食べ始める。
ただ僕は、先ほどのことが気になって全然箸がすすまない……。
そんな両者の食べるスピードに差異はあるものの依然、沈黙は続いた。
他のテーブルでは話し声や笑い声が聞こえる。こちらはエビフライの「サクッ、サクッ」という音だけが響いた。
「…………ごちそうさまでした」
「えっ?」
見ると彼女は、定食をあっという間に完食した。
先ほど注文が来たときは店の時計の長い針が7を指していたが、今見ると9に差し掛かるかどうかといったところだ。女の子にしては驚異のペースだろう。
僕なんてまだ半分も食べられていないのに……。
そんな彼女の食事スピードに驚いていると「…………さっきはごめんなさい……」と彼女が軽く頭を下げ、謝った。
「すみません。さっきは取り乱しました。あっ。私、
「あっ。いや。こちらこそ。202号室に住む進藤新といいます」
「進藤さん……。よ、よろしくおねがいします……」
「こちらこそおねがいします……」
再び沈黙が……。 それにしても夏目栞さんというのか……。
そういえば名前を聞いていなかったな。
そりゃ道聞かれて、キレられて、驚かれて、泣かれてとドタバタだったもんな。
彼女の顔へ視線を向ける。
先ほど、泣いたこともあってか目元が少し腫れていたが、肌が白く顔立ちが良い、各パーツごとのバランスが良いように思えた。
そんな彼女は両手の親指を合わせクニクニさせていた。
「えっと……。さっきのことですが、……少し嫌なことがありまして……みっともなく泣いてしまいました……」
「嫌なことですか?」
「はい……」
彼女はふぅと。一呼吸、落ち着いてから口を開いた。
「私、今日福島から上京してきたんです」
「福島って東北の?」
「はい。そうです。実は神保町へ用事があって……だけどそこで色々嫌なことがあって……」
「……もしかして僕何かしましたか?」
「あっ!いえ違います! ……いや違くはないんですが、それはあんまりで……」
「はぁ……」
少し要領が掴めない話だったが、僕は彼女──夏目の話に耳を傾けた。
神保町へ向かう前に自宅の最寄り駅の巣鴨駅に降りたこと。
自宅までの地図が無く、切り替えて神保町へ向かおうとしたが、神保町駅までどう行けばよいか分からなかったこと。
電話しようとしたら携帯が使えなかったこと。
どうしたらよいかわからないでいたら僕が声をかけてくれたこと。
実は神保町へ行く手段は簡単で、恥ずかしかったこと。
最後ダメ押しで僕が尋ねた質問で色々たまっていたものが爆発したこと。
「……とりあえず。そんな別れ方をした僕が実は隣の部屋に住んでいることがわかって驚いてしまったってこと?」
「ちっ、違います!!。そうではないです!」
彼女はテーブルから身を乗り出して否定してきた。
「たしかに駅で別れる前のあなたの……進藤さんのあのにやけ顔はむかつきましたが……」
(いや。むかついたんかい!!!! ってか俺、実際話聞いた限りでは一切悪いことしてなくない!? 彼女の言うにやけ顔とかも彼女の感覚の話だし、状況としてはむしろ善意の塊のような働きのようなきがするけど!?)
「実はその後、気づいたんです。実は、神保町駅に着いてからも行きたい場所へ道がわからなくて……。お昼ご飯も食べないで歩いて……。でもやっぱりたどり着かなくて、改めて人に道を尋ねたら誰も聞いてくれなくて……。やっぱり東京の人はつめたいんだなぁと。自分から聞くのが怖くなってきました」
「…………」
「そう思ったら、進藤さんのにやけ顔が思い浮かんできて……。最初はむかついていましたが、その時になって声をかけてくれた進藤さんの優しさが身に染みてきて……」
「……でも。それでも今日はたどり着けなくて……。しょうがないから今日はあきらめて帰ることにしたんです。……でも明日からこんな場所で住むのかと思ったら、やっぱり怖くて……。不安だったんです。そしたら急に進藤さんが現れて……驚いたんです……」
「……そうか」
夏目の言葉を聞いてなんとなく理解した。
今日で身に染みた東京の洗礼のようなもので心にダメージを受けて、今後のことを思うと不安だと思ったら、こちらで唯一助けられた僕とまた会えたことで感極まったのだと。
「……話はわかったよ」
「……はい」
「夏目さん。もし何かあったら、なんでも聞いていいよ」
「……はい……すみま── え?」
どうやら彼女は、怒られるとでも思ったのだろう。僕の意外な返事に驚いた様子を見せた。
「まぁ、何かの縁だし、隣の部屋に住んでいるからっていつでもってわけにはいかないと思うけど何か困ったことがあったら相談乗るから」
「……いいんですか?」
「もちろん」
「~~~~っ! ありがとうございます!!」
彼女はそんな優しい言葉を聞いて初めて僕に笑顔を見せた。
※ 彼女は食事しはじめてから笑顔だったが、それはきっとエビフライが好きだったんだろう。
そしてこの笑顔もお腹一杯食べれてうれしかったんだろう。
そうこの笑顔もきっと『エビフライ効果』の影響だろう。
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