森の魔女は魔物に連れ去られ、少年と共に海を渡る

白鷺雨月

第1話森の魔女

 その魔女は森の奥に住んでいた。

 光もあまりとどかない、深い深い森であった。

 森のなかで薬草やきのこを採集し、それらから薬をつくり、村人にその薬を売り、細々と生計をたてていた。

 

 彼女のもとにおおよそ月に一度ほどの割合で薬をとりにくるのは赤い頭巾をかぶった少女ただひとりだけだった。

 赤ずきんの少女はいつものように薬を受けとると、代金と一緒に干し肉や小麦粉をわたした。

 それとカゴいっぱいのあるものをわたした。

「ねえ、アンナさん。たのまれたから持ってきたけど、こんなかびだらけのオレンジなんてどうするの」

 赤ずきんの少女はきいた。

「これはね、秘伝の薬をつくる材料になるんだよ」

 魔女は答えた。


 それは平和な日常だった。

 魔女アンナは貧しくはあるが、この生活を気に入っていた。


 そんな生活も一瞬にしてくずれさった。

 赤ずきんの少女がアンナのいれたハーブティーを飲んでいると、突如、狼の兜をかぶった騎士が乱暴にはいってきた。

 その後ろには黒い神父の服をきた男がたっていた。

「貴様が森の魔女アンナだな。神に逆らい、人を堕落させるおまえたちをわれら教会は許さぬ」

 そういうと騎士と神父はあっという間にアンナをつれさってしまった。



 薄暗く、じめじめと湿った牢屋に彼女はとじこめられていた。

 待っているのは絶望だけだった。

 魔女裁判の名のもとひどい拷問を受け、自白を強要され、むごたらしい火炙りの刑にされる。

 裁判をうけ、助かったものなどきいたことがない。

 寒い牢屋の中、震えながら涙をながしていると、燃え盛る炎の音がきこえた。


 松明が燃えている。


 松明に照らされた、端正な少年の顔がみえた。

「アンナさん、あなたを助けにきました。あなたは魔女などではない。僕たちと同じ志をもつものだ」

 そう言い、手馴れた手つきで牢屋の鍵をはずす。

 中に入り、アンナの細い手をつかんだ。

 立ちあがるとアンナは少年の青い瞳を見た。

 その瞳はすんではいるが、その奥底にはどこか不気味な光が潜んでいた。


 この少年を信じてもいいのだろうか。

 

 だが、生き延びるにはこの少年を信じるしかない。

 アンナは少年の手を握り返した。


 

 馬車に乗せられた彼女は一晩かけてある港街へと連れてこられた。そこで船にのり、別の街へとわたっていく。

 はじめて見る海にアンナは驚愕と驚異を覚えた。

再び馬車に乗せられ、今度は三日ほど旅をした。

 

 少年はエドワードと名乗った。

 

 旅の途中、アンナから薬草のことをきくと熱心にメモをとっていた。

「地味なきのこにも毒があるものがあるんだよ」

 そう言うアンナの言葉を真剣な眼差しできいていた。

 旅のなかで、アンナはこの真面目で聡明な少年を気に入るようになっていた。


 やがて彼らは目的の建物に到着した。



 石造りの背の高い建物であった。見上げても、その頂点をみることはできなかった。

 少年に連れられ、その建物にはいると、アンナは思わず口元をおさえた。

 壁にはまるで記念品のように瓶詰めにされた様々な生き物が並べられていた。

 とさかに人間の歯の生えた鶏。

 頭のない胎児。

 縫い後だらけの腕など。

 

 倒れそうになるアンナの背をエドワードは抱き抱えた。

「これは僕たちの進歩の一つです。普通の人にはなかなか理解してもらえませんが」

 少年は言った。


 エドワードに抱き抱えられながら、アンナは一人の男に引き合わせられた。

 安楽椅子に座る銀髪の男はなめるようにアンナを見た。

「連れてきました、先生」

 エドワードは会釈する。


 ごくりとアンナは唾をのみこんだ。

 

 狂気が服を着て座っている。


 目の前の男はそう思わせるに十分な空気をまとっていた。

「私はジョン・ハンター。さあ、森の魔女よ、我々と共に科学という名の毒を飲もうではないか」

 うすら笑いを浮かべ、男は言った。



 エドワード・ジェンナーが天然痘の治療に種痘を用い、多くの人々を病魔から救うのはこれより数十年後の話である。そのかたわらにとある女性がいたが、それが森の魔女であったかどうか、正確な資料は残されていない。


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森の魔女は魔物に連れ去られ、少年と共に海を渡る 白鷺雨月 @sirasagiugethu

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