第5話  雨 (第十七回殺伐感情戦線「雨」参加作品)

 雨と死ぬことにした。

 みんなはあたしたちのことを愚かだと言うだろう。それでいい。あたしたちは美しく愚かなまま死ぬのだ。雨は、こけしのようなおかっぱ頭で、つるんとした頬と澄んだ目がきれいな子だった。


 琴吹美琴ことぶき みことが「雨」と呼ばれるようになったのは小学校の頃だ。彼女は雨が好きで、傘もささずに歩いていた。ひとりで笑いながら雨の中を歩く様子は少々キチガイじみていたので、何度かそういう姿を見てからみんなは雨を避けるようになった。そのうち雨の日はお母さんが車で迎えに来るようになったけど手遅れだった。雨のことはクラス全員に知れ渡っていた。

 あたしの家は雨と同じマンションだったから幼い頃から学校も一緒で登下校もほとんど一緒だった。ようするに幼なじみだった。でも、特に親しいわけではなかった、あのことがあるまでは。それまでは気が付くといるのが当たり前というくらいの存在だった。雨のことはよく知っていたから、キチガイ扱いされて、のけ者になっていてもあたしは気にせず、雨と一緒に学校に行き、帰り道も一緒だった。

 あたしたちの関係が変わったのは中学校の卒業が近づいた時のことだ。雨は私立に進み、あたしは公立に進むことになった。

「もう一緒に登校できなくなるね」

 ある日の帰り道に雨がつぶやいた。あたしが、「そうだね」とあまり考えずに答えると、雨は、「遊びに来ない?」とあたしを誘った。雨の家には何度も行ったことがあるので、あたしは、「いいよ」とそのまま同じマンションの雨の家に行った。


 雨の家には誰もいなかった。共働きで帰りがいつも遅いのだという。言われて、そういえばそうだったと思い出す。やたらと本の多い雨の部屋に入ると、きれいな色のビンを雨が持ってきた。ヤバい。

「それ、酒でしょ」

「うん。あたしよく呑んでる」

「あたしは呑まないよ。親にばれたらヤバいもん」

「ちょっとなら大丈夫だよ。顔が赤くなるくらい」

 雨は当たり前のようにそう言うと、ビンの栓を開け、二つの小さなグラス注いだ。淡いピンク色でシュワシュワしていた。あたしは思わず見とれ、それから雨と乾杯してしまった。甘くて呑みやすい。

「なんだかジュースみたい」

 そう言うと雨はにこにこ笑って、さらに酒を注いだ。調子に乗って数杯呑むとくらくらしてきた。

 気が付くと、あたしも雨も裸で抱き合っていた。雨はあたしの身体をつま先から足の付け根までていねいになめ回し、「好き」とうわごとのように何回もつぶやいていた。あたしは平衡感覚が狂っていて、そのうえオナニーでも感じたことのないような気持ちよさに溺れて、なにがなんだかわからなくなっていた。

 正直、雨とこういうことになるなんて考えてもみなかったし、そもそも男子とだってこんなことしたことないのだ。でもそんなことを考えていられなかった。雨の唇は柔らかくて気持ちいいし、指で敏感なところを撫でられたり、つままれたりすると身体がびくんとなる。

 されてばかりじゃ悪い気がして、あたしも雨の身体を触り、唇をはわせた。これじゃ完全に雨の思う壺だと思ったけど、思う壺にはまって悪いことなんかなにもないのだった。あたしは開き直って、門限いっぱいまで雨と互いの身体を貪った。


 雨と恋人同士になったあたしは、終末によく止まりに行くようになった。雨の部屋で声を殺して、口づけし睦み合った。そういう関係になって、すぐに雨が心を病んでいることを知らされた。メンタルクリニックに通院しているのだという。そこでもらった睡眠薬や向精神薬をふたりで呑んで遊んだこともある。お薬は楽しいからいい。

 雨が落ち込んだり、自傷の衝動に襲われたりした時はやっかいだ。あたしがいくら抱きしめて話しかけても収まらない。目の前で腕を切られるのは何度見ても耐えられない。そのうち、あたしも自分の腕を切るようになった。あたしたちは形のない不安や絶望に押しつぶされて泣きながら互いの血をなすりつけ、傷をなめ、身体中に切り傷と噛み痕をつけて夜を過ごした。


「一緒に死のう」

 そう言われた時、驚かなかった。いつかそうなると思っていた。ふたりで街外れの占いの館に行き、どちらかが死ねば片方も同時に死ぬという呪いをかけてもらった。あたしたちは死ぬ時は一緒だ。

 それからあたしたちは死ぬ方法と時期を相談した。ハワイに行くとか、沖縄がいいとか、あるいは東京オリンピックの聖火ランナーの正面にビルから飛び降りるとか、薬とアルコールでらりった頭でバカなことを言い合った。死の実感はなかったけど、一年後自分はこの世にいないという確信めいたものはあった。

 いつものように雨の家に泊まり、深夜まで自殺計画で盛り上がった。

「ごめんね」

 突然、雨が泣き出した。

「あたしが巻き込んじゃったんだ。ほんとにごめん」

 あたしは首を横に振り、「あたしは幸福だよ。ありがとう」と雨を抱きしめた。

「ありがとう」

 雨もそう言うとあたしの背中に手を回した。しばらくそうやって抱き合っていた。やがて雨は、すっとあたしから離れると、窓を開けてベランダに出た。ひんやりと湿った夜の空気が入ってくる。

「雨の匂いがする」

 そう言って乗り出すと、そのまま消えた。

 あっ、と思った次の瞬間、あたしの意識は消えた。




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病葉の棺(わくらばのひつぎ) 一田和樹 @K_Ichida

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