第4話 三度目の後悔 彼女の唇はうそをつく(第十六回殺伐感情戦線「嘘」参加作品)

 彼女の唇はうそをつく。だから麻酔をかけて縫い合わせた。

 望んだように月は雲に隠れ、まんまとあたしは彼女の家から彼女を引きずり出した。用意してきた台車に乗せて唇を縫い合わせてから街外れの占いの館まで運んだ。そこには魔女がいて、あたしの望む呪いをかけてくれる。彼女とあたしが必ず一緒に死ねる魔法だ。どちらかが死んだら、もう一方も死ぬ。どんなに離れていても一瞬のうちに死ぬのだ。なんて素敵なんだろう。死んだ時、彼女は永遠にあたしのものだ。

 現代日本で魔女を信じているのは狂人くらいだけど、とっくの昔にあたしは狂っているのだから魔女もいていいし、呪いもあるはずだ。この狂気が本物であるように魔術もまた本物だ。

 街外れの洋館はいつ来ても枯れ葉でいっぱいだ。春でも夏でも必ず枯れ葉が敷き詰められている。乾いた葉っぱを踏みながら敷地に入ると、館の勝手に扉が開いた。魔女だからあたしが来るのを予知していたのかもしれない。

 仄暗い吹き抜きの向こうで魔女は待っていた。頭から黒い布をかぶり、赤い目だけがぎらぎらと輝いて見えた。

「呪いをかけてもらいにきたの」

 あたしは自分と台車にのせた彼女を指でさした。

「いいよ。でも、その子は承知しているのかい?」

 魔女のしゃがれた声からは感情を読み取れない。疑っているのだろうか?

「決まってるでしょ」

 そうだ。彼女はあたしのことを好きだといい、一緒に死にたいと言った。間違いなくあたしは聞いた。もちろん、彼女の唇から出た言葉である以上、それはうそでしかないのだけど、そんなことは関係ない。あたしは信じたいから信じたし、口から出た言葉の責任は本に人が己の命を賭して取ってもらうしかない。

「うそは自分に返ってくる。わかるね。どういうことになるか」

 先にうそをついたのは彼女だと言いたいのをこらえた。

「わかってる」

 もちろんわかってなんかいないけど、呪いをかけてもらえばそれでいい。そしたらあたしが好きな時に彼女と一緒に死ぬことができる。

 納得してもらえたかどうかはわからないが、魔女はなにかを唱えだした。ほんの一分もかからなかった。

「呪いはかけた」

 あっさりとあたしの願いは成就した。

「ありがとう」

 ほんとうに呪いがかかったのか多少不安を感じながらあたしは頭を下げた。それからそのまま台車を押して出て行こうとした。

「お待ち」

 魔女が後ろから声をかけてきた。

「なに?」

「お前はここに来てから三度うそをついた。これから三度後悔することになる」

 うそがばれたのに、それでも呪いはかけてくれた。どういうことなんだ?

「呪いはかけてくれたんだよね?」

「呪いはかけた。私はうそは言わない」

「じゃあ、後悔することなんかない」

 檻のように胸の奥に不安が溜まったが、あたしは毅然とそう言って館を出た。月もない夜道を歩き出して、しばらく経って気が付いた。臭う。なにかが腐っている臭いだ。あたしは不気味な予感に襲われながら、台車をスマホで照らした。

 彼女の顔が腐り始めていた。唇がどす黒い色になって爛れているうえ、ところどころ崩れ落ちて歯が見えている。それにこの臭いはほんとうにひどい。安っぽい生ゴミの臭いだ。

 あたしは醜く苦しむ彼女を見たかったけど、これは醜いというより薄汚い。百年の恋も醒めるという言葉が頭をよぎった。唇を縫ったにはやり過ぎだった。頭を振って邪魔な思いを振り払う。一度目の後悔をしてしまった。

 あたしは彼女の部屋のベッドに醜くなった彼女を置いた。もはや全くの別人みたいになってしまった。ゾンビ映画に出て来そうだ。そしてベッドの下に小型の盗聴器を付けた。


 一睡もせずに朝を待った。彼女が目覚め、家族が大騒ぎになる。それを聞き逃すわけにはいかない。彼女のきれいな声から絶望の悲鳴を聞きたい。うそばかり吐く、その口から絶望を吐いてほしい。

「ふがあ、ふぁふぁがー。ががふぁーだーがー」

 きっと「ねえ。どうなってるの? 鏡を見せてちょうだい」と言っているのだろう。唇が腐って落ちたせいだ。こんなよぼよぼの年寄りの声を聞きたかったわけじゃない。聞くに耐えない。あたしの脳裏に薄汚れた死体のような彼女の顔が浮かんできた。あわてて首を振った。後悔しないと言ったに、そんなことを考えちゃダメだ。二度目の後悔だった。


 彼女の身に起きた悲劇が高校に知れ渡ってから、あたしは何食わぬ顔でお見舞いに向かうことにした。今度こそ、泣き濡れた彼女の顔を見て満足するのだ。醜くなった彼女をかまうのはあたしだけに違いない。でも彼女の病室に行くと、顔の下半分を包帯で覆った彼女をクラスメイトが取り囲んでいた。醜くなれば去って行くと思ったのに、こんなにみんなが来てるなんて思わなかった。包帯をむしりとって、ぼろぼろになった唇を見せてやりたい。そして彼女の横には男の子がいた。やっぱり彼と別れたというのはうそだった。あたしは騙されていた。彼女の唇はうそをつく。

 あたしはうわべは彼女のことを心配しているふりをしながら、早く泣きわめけと心の中で思っていたが、彼女は呆けたような笑顔を絶やさなかった。メモ用紙に、「がんばる。必ず学校に戻ってみんなと一緒に大学に行く」と何度も書いていた。なにかが壊れたのかもしれない。それもまたいい。とことん壊れてしまえばいい。


 だが、事態はあたしの予想外の方向に動いた。彼女と彼氏が心中すると言って病室を抜け出し、行方不明になったのだ。「がんばる」とか「学校に戻る」とか全部うそだった。彼女の唇はうそをつく。クラスの連絡網でそのことを知って血の気が引いた。彼女が死ねば、あたしも死ぬ。一緒に死にたかったけど、男との心中に巻き込まれるなんて考えていなかった。止めなきゃ。探さなきゃ。

 あわてて家を飛び出した時、突然目眩が襲ってきた。自分が死ぬ、とわかった。

 その時、あたしは三度目の後悔をした。



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