第3話 異形の墓
「お墓がおかしいの」
弥生が突然おかしなことを言い出した。
「墓?」
「うん。誰かがあたしのお墓を作ってくれたんだけど、それがなんかおかしい」
女子高生ふたりが放課後の帰り道にする話じゃない。弥生の長い髪が風に揺れた。
「ねえ。一緒にそのお墓を見に行ってくれない? 家に帰って着替えたら行こう」
弥生があたしの目をじっと見つめた。つぶらな瞳を目の前にしたら絶対にNOとは言えない。
「うん」
うなずくと弥生はほっとしたように微笑んだ。なまぬるい風が街を支配している秋の始めのことだった。
翌日もあたしと弥生は同じように歩いていた。
「お墓のことどうなった?」
あたしが訊いても弥生は首を傾げるだけだ。弥生とあたしはお墓に行かなかったし、弥生はなにも覚えていない。
「なんだっけ?」
あたしはそれ以上訊かない。他の話題をふった。他愛ないことを話しているのが一番。互いに幸福でいられる。
毎夕、あたしと弥生は一緒に15分間歩く。たった15分の逢瀬。それが幸福だ。あたしはそのためにここを離れず、旅行にも行かず、同じ時間にここに来て彼女と歩いている、60年以上も。
15分がすぎると、彼女は消え、15分の記憶も失せる。あたしが彼女を殺した高校二年生のあの日までの記憶にリセットされる。そしてまた翌日あたしと会話する。世界から隔離されたあたしたちふたりの15分の世界。街外れの洋館、彼女の骸を前にして呪いをかけた。あたしがここに来れなくなったら、呪いは解けて、彼女は永遠に失われてしまう。
でもたまにすごくいらだって、彼女に全てを話したくなってしまう。こんな風に。
「おかしいと思わない?」
こんなことを言っちゃいけない。そう思っても止まらなかった。弥生はびっくりして立ち止まる。高校生にしては幼い面差し。肌はつやつやとして輝いている。髪の毛だって、さらさらだ。あたしとは全然違う。
「あなたは高校生なのに、なぜあたしは白髪頭のおばあちゃんなの? 同級生のはずなのにおかしいじゃない?」
弥生とあたしは同級生なのに、彼女だけが昔のままだ。あたしは時とともに老い、醜くなった。一緒に歩くのが恥ずかしい。彼女と話している時に、あたし自身に自分の姿が見えないのが唯一の救いだ。彼女を見ている限り、高校の同級生という幻想に浸っていられる。
彼女の表情が固まった。15分がすぎたのだ。彼女は消えてしまう。
私は放心状態になっているおばあちゃんに声をかけた。
「さあ、おばあちゃん、帰ろう」
そう言って傍らに寄り添うと、おばあちゃんは私を見た。
「う、うん」
私が孫だとわかったのか微妙だけど、素直に言うことをきいてくれるみたいなので安心した。あたしはスマホで母にメッセージを送る。
「いつものとこにいたから一緒に帰る」
高校の帰りがけにおばあちゃんを連れて帰ることが増えた。認知症なんだろうけど、病院や施設に入れたくはない。せめて、一緒の家に住んでいればもう少しめんどう見てあげられるんだけど。
帰り道、おばあちゃんはなにも話さなかった。ぼんやりと私の顔や制服をながめては、ため息をついていた。なんとなく切ない気分になった。
門扉を押し、おばあちゃんを離れまで連れていって部屋に座らせると、私は母屋に向かった。
「叔母さん、来てたんだ」
リビングに入ると、伯祖母がソファに腰掛けていた。どことなくぼんやりしているおばあちゃんと違って、伯祖母さんはいつもきりっとしている。まだまだ現役って感じがする。いつも黒いパンツスーツで淡いグレーの眼鏡をかけている。髪は短くてきれいな銀髪だし、こういう年の取り方をしたい。
「姉さんは、またあんたの高校行ってたの?」
「うん。いつもの呪いの話をしてたよ」
「ごくろうさま」
そこに母がケーキと紅茶を盆にのせて現れた。思わず私は歓声を上げた。色とりどりのケーキがいくつもある。どれを選ぶか迷ってしまう。うちの母は見るたびに形が変わる。ひどくおかしなことだけど、なぜかいつも母だと認識できるのが不思議だ。今日の母は、ぽっちゃりした体型で、目が細い。いいお母さんって感じがする。
「おばあちゃんは離れに?」
「うん。食べていいんだよね?」
「もちろん。叔母さんもどうぞ」
私はさっそく目を付けたショートケーキに手を伸ばす。
「おばあちゃん、離れじゃなくて、こっちで一緒に住めば知らない間に出て行って探したりしなくて済むと思うんだけど」
母屋にいれば、ふらふら出かけそうになったら止めることだってできそうなものだ。
「姉さんは、あそこから離れられないの」
伯祖母さんが紅茶を飲みながら意味ありげにつぶやいた。
「なんで?」
「だって離れの下に、姉さんが殺した弥生ちゃんを埋めてあるんだから」
さらっと毒が漏れた。
「え?」
「冗談よ。でも姉さんはそう思ってるかもね。あそこから離れたくないっていつも言ってるもの」
伯祖母さんはにっこり笑った。それがいかにもウソっぽい。いや、ウソはどっちなんだ?
「冗談だってば」
母は笑顔で念を押した。これ以上詮索するな、と目で言っている。私は、「はあい」とまのびした返事をする。
「ここにはお父さんを知らない人しかいないんだよね」
ケーキを食べ終わると、また言っちゃいけないことが口からこぼれた。私の悪い癖だ。
「そうよ。血も繋がってない」
母はシュークリームを食べている。
「私が結婚して子供を産んだら。旦那さんはお父さんになる。我が家で初のお父さんだ」
私がわざとらしくはしゃいだ声で言うと、伯祖母さんは苦笑いし、母は私をにらんだ。
「そんなこと許さないよ」
今度は母が毒を吐いた。
「わかってる。わかってるって」
私はおおげさにそう言うと、立ち上がった。自分の部屋でゲームでもしよう。
「零時すぎたら物置に入れてある女子中学生を離れに連れて行きなさい。そうすればおばあちゃんもしばらくは徘徊しないでしょ」
母が冷たい声でつぶやき、伯祖母さんが肩をすくめた。
「わかった。でもぎゃあぎゃあうるさいから、あまり好きじゃないんだけどさ」
人間は泣きわめくから嫌いだ。運命が定まったなら覚悟を決めればいいのに、ほんとにうるさい。私は二階に上がりかけ、ふとあることを思いついて階段の途中で耳をすました。
「姉さんが15分を盗んでいることに気づいていないんだね」
伯祖母さんだ。
「たった15分、悲恋の弔いにつきあうくらいいいでしょ」
母だ。やっぱりそうだった。みんなで示し合わせて私の身体をうまく使いやがって! むかむかしたけど、おばあちゃんのぼんやりした表情を思い出して、怒らないことにした。
たとえ自分の恋でなくても恋は大切にしたい。
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