きみの物語になりたい ―― 同題異話SR -March-
「
とは言え、その魔法使いも完璧で万能とは言い難いのも事実なのである。
高校の卒業式を明日に控え、部活動は昨秋に引退した身なのだけれど、私は司音に文芸部の部室に呼び出されていた。まだ昼下がりで、授業のない私たち三年とは違い、後輩たちは教室で授業を受けている。
わざわざブレザーを着てこなければならない場所だというのに、美味しい飲み物が味わえるでもないのに、待ち合わせ場所を文芸部の部室に指定するのは、授業のなくなった今でも相変わらずのようだった。まあ、今まで休日でも同様であったので、今さらと言えばそうか。
「文子ぉ、何も書けないんだよぉ」
司音の綺麗な顔立ちは情けなく歪み、泣きそうですらある。最初の頃、中学一年の夏くらいまでなら焦りもしたが、もうすっかり慣れきってしまって、私は平生と変わらぬ心持ちでいる。いつものことなのだ。逆になんで毎回泣きそうな顔ができるのか、それが不思議なくらいだ。
鮮麗な小説の書き手である司音だが、しかしスランプからは逃れられない。逃れられないどころの騒ぎではない。年がら年中スランプに陥っていると言うと語義としては言い過ぎだが、とにかくそんな勢いだ。書ける日よりもスランプに陥っている日の方が確実に多い。もはや持病の様相である。いい加減慣れてくれ。毎度毎度行く宛てのない迷い子のようにならないでくれ。相談相手にいつも私を選んでくれるのは嬉しいが、私は楽しいデートとかそういうことに時間を使いたいのであって、恋人の情けない顔を見ていたいわけではない。
女同士ではあるが、恵まれたことに司音とは恋人という関係になれた。それも中学生の早いうちから。だというのに、ふたりの思い出は司音のスランプに巻き込まれたものばかりだ。気分転換にと遊園地に誘ったところで、満ち足りた思い出にはならないといいだけ思い知っている。スランプ中の司音は果てしなく弱い。楽しむどころではない。
さらに残念なことに、どうも私は責任感が強いらしく、恋人が悩んでいるとなると真面目に付き合ってやらねばならないと感じてしまうのである。朗らかに笑う司音を見て心をときめかせたいという気持ちも手伝う。
「司音、まずは落ち着いて。いつものことでしょ。すぐにまた書けるようになるから」
「いつもだよね? 本当にいつもだよね? 私そろそろ、書くことを諦めたほうがいいんじゃないかな……」
大変よろしくない。司音が断筆を考える時は相当重傷の時だ。今回のスランプは深い。
「スランプを切り抜けたら、司音のことめちゃくちゃ愛してあげるから、筆を折るのは思いとどまって。ね?」
「本当? じゃあ私……もう少しだけがんばる」
愛に釣られてくれるのは悪い気はしない。けれど愛する機会がいつになるかはわからない。書けるようになったら約束のことなんてころっと忘れて執筆に熱中してしまうのが司音という人だ。愛してほしいのは私だ。なんで私は司音と五年も付き合っているんだ。なぜだか運命を感じてしまったのだ。告白したのも私だ。振る気も振られる気も一切なく、いったい私の運命はどこに帰着するのだろう。
「司音のことだから、きっとまた書けるようになるだろうけど……でもごめん、スランプ脱却のアイデア、ネタ切れ」
私は正直なところを言った。いやもう、スランプを脱するアイデアなんてとっくに尽きてたけどね? それでも毎回、司音の悩みに応じてきた私を誰か褒めてほしい。表彰されていいくらいだと思うし、何なら報奨金が出るレベルだと思うのだが、悲しいかな、愛の前では努力というものは無力なのだ。無償の奉仕に変化してしまうのだ。愛というものの業は深い。遊園地にデートに行きたい。お洒落なカフェで笑い合いたい。私、司音に運命を感じてなかったらもっと悪い女にいいように使われていたと思う。
「いつも文子に頼ってきたもんね。何もアイデアがなくなって当然だよね。でもありがとうね。私、文子がいないとだめなの。文子に頼るしかない私を許して」
改めて思う。私、絶対、悪女にだめにされるタイプだと思う。司音くらいの体たらくの応対で済んで実は救われているのかもしれない。司音に運命を感じてなかったら人生まるっとだめにしてたかもしれない。
「文子のお世話になってばかりだね。私、一緒に住んだら家事は全部やるね」
司音とは同じ大学に進む。ルームシェアという名目で同棲する。いや、そういう見返りは要らないから、家事は分担でいいから、遊園地にデートに行かせて?
「そういえば、私も元文芸部員なわけだよね」
司音の作品からは激しく見劣りするので自覚に乏しいのだが、私も文芸部に属していて、作品を発表してきた。これは活かせるのではないか。
「私が作品のアイデアを出したら、手伝ったら、司音、それ書ける? 私、高校生活の最後に司音との思い出がほしい。私が話を考えるなら、司音との共作になるでしょ。それ、素敵な思い出になると思うから」
「文子、あの、卒業式は明日なんだけど、私に徹夜しろって言ってる? 寝不足で晴れの卒業式を迎えろって言ってる? 私、絶賛スランプ中なんだけど、明日までに一作仕上げろってずいぶんな離れ業だよね?」
「司音、私のこと好き?」
「好きすぎて毎日死にそうになってるよ」
どうしてそれで遊園地でデートの発想が出てこないのか激しく問い詰めたい。
「じゃあ、そんな私との共作だったら、書かないわけにいかないよね? 高校生活最後の思い出として書いた一作は、一生の宝物になるよ」
「優しく言ってるけど脅迫に近しいよね? 文子って時々、サディストの傾向あるよね? 私、立派なマゾヒストになれるかな……」
心配するポイントがあまりにも見当違いだ。スランプに悩んでいたのではなかったのか。あと私は断じてサディストではない。こうでも言わなきゃ書かないだろ。ばか。
「でも、それ挑戦してみたい。私だって、文子との思い出ならひとつでも多くほしいから。ついでに徹夜して迎える卒業式を乗り越えて、マゾヒストの経験値を上げるよ」
そんな経験値は要らない。レベルアップされたら困る。とにかく今は目の前のスランプから抜け出すことが先だけど、どうしよう、四月からの同棲生活、ちょっと怖くなってきた。
「じゃあ、決まり。司音は私が考えたストーリーで書く。それを、スランプから抜けるきっかけにしてもらう」
「具体的に、私は何を書けばいいの?」
そう尋ねられて、私は自分が勢いだけで話していたことに気づいた。司音の筆力に見合う物語を今から考える? 私が? 今すぐ? せめて三日くらいもらえないか。時空を歪めて卒業式まで残り七十二時間とかにならないか。私は司音が文芸部に入るから一緒に入っただけで、自慢じゃないがへっぽこ部員なんだぞ。
「全く何も考えてなかった」
「文子、ノープランで人を徹夜させようとしてたの? それも愛なの?」
愛。そうだ愛だ。余計なことは考えるな。愛という武器があれば思い出作りくらいはできる。いや本当はどうせ徹夜するなら夜通し愛し合いたいですけど、一緒に寝不足の卒業式を迎えたいですけど、結局私は困っている司音を放っておけない甘い女。
「司音、私のこと好き?」
「好きすぎて毎日写真にキスしてるよ」
それ、実際にキスした回数より写真にキスした回数の方が多いよね? 私、写真の自分に負けてるの?
「じゃあ私、司音の物語になりたい」
今回のスランプ脱出のアイデアは愛。これで決まり。
「私を小説にして。そして、私の幸せを物語の中で形にして。私の幸せ、何だかわかる? もちろんハッピーエンドだからね」
司音は少しためらうふうにしてから、はっきりと言った。
「文子の幸せって、私でいいかな?」
司音はとびきりの笑顔だ。ああもう、遊園地とか行けなくてもこの笑顔が見られたからそれでいいや。私の幸せは司音だよ。大正解だよ。今回はこれで書けるようになっても、きっとまたスランプに陥るだろうから、また面倒見てあげるよ。ばーか。
きみの物語になりたい ―茜ヶ嶺百合物語― 香鳴裕人 @ayam4
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