例によって例外なくレイの話でし

上松 煌(うえまつ あきら)

例によって例外なくレイの話でし

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 「あっ、おい、ちょっ、浅井ぃ」

急いで呼び止めていた。

こいつはけっこう感じるヤツで、顔に似合わずナイ~ブなのだ。

アンテナ性能がいいとも言える。

「浅井、やっぱ出るワ。おれのゴージャス・マンション。黒いヤツ」

「う~ん、出るかぁ。ま、新築でない限り出るだろ~な」

「キッチンのシンクと冷蔵庫の5ミリくらいの隙間から出たりする。大島テロ案件かも。気ぃ重いなぁ」

「大島テロじゃ、確率は倍増するな。人間にはわからない腐敗臭とか残ってんだろ~な。ま、気にするな。気にしなけりゃ、居て当たり前になる」

「ええっ?居て?ちょっ、安易すぎね?」

「別に。名前でもつけりゃ、愛着わくぜ」

「え~?い、いや、そんなもんなんか?」

「ああ、そんなもんよ」


 話はそれで終わった。

ま、確かに気にしないのが一番なのかもしれない。

片瀬江ノ島駅を降り、7分ほど歩いて自慢のウチに帰る。

茅ヶ崎市だから横浜市保土ヶ谷区の大学からはちょっと離れるけど、入学祝に親に賃貸してもらったデザイナーズ・マンションだ。

1LDK、最上階ルーフバルコニー付きで家賃14万+共益費(町内会費含む)6千8百円。

しかもオーシャンビューだからめったに出ない物件と、不動産屋が揉み手したシロモノだ。

「ビーチまで徒歩1分っ」

彼の声は裏返ったのだった。


 景観条例の関係で4階が最上階になるから、もし、インフェルノ状態になっても梯子車は十分届く。

都内の杉並区生まれとしては、海が見えるビーチサイドは何物にも代えがたい。

ただ、マンションの名前が『サンセット茅ヶ崎シーサイドコート・サザンクロス湘南壱番館』というそそる単語だけ満載のわけのわからんものだが、オーナーの心情としてはこれくらいはトチ狂いたいのだろう。

うむ、許す。

そのままめでたく契約となったのだった。


 思えば、浅井雅人(あさいまさと)を最初に部屋に呼んだ時は笑えた。

「えっ、おっ、すげぇ、憧れの全面ガラス張りぃ。あれ、なにこのフック。ハンモック・ハンガー?へぇ~」

「は?こんなとこにカーテンレール。え?ピクチャー・レール?おお~」

「へ~。全室シャンデリアに、暖炉型ヒーター、天窓付きアイランドキッチンねぇ。で、このドアなによ。はぁ?冷蔵庫と洗濯機置き場?ってドアいるのぉ?」

と、室内のハイソな造作にビビりまくったのだ。

「江の島も見えるんだぜ」

最上階ならではのルーフ・バルコニーに案内すると、

「なにこの四角いの。雨水溜まってるじゃん。きったねえ…。ボウフラ涌くぜ。え?池?個人用の池あんの?このマンション。…あ、金魚いる」

景観よりもしつらえに反応したのだった。


 「ふっふっふ。見たかね、明智くん。江戸川あたりを乱歩していた江戸川区民のきみには計り知れない世界なのだよ。いや、わたしは二十面相ではない。上級国民ともリッチマンとも好きなように呼んでくれたまえ」

にわかお大尽のおれは下級市民の反応にほくそ笑みながらのたもうたのだ。

だが、底辺浅井の反撃は鋭かった。

「じゃ、そろそろバラせよ。麒麟生(きりおい)、おまえ女いるんだろ?ムサイ野郎がこんな甘ったるい部屋借りるワケねえじゃん」

「えっ?」

女?おんなって?


 いや、そうだ、確かに浅井の言うとおりだ。

この清楚で瀟洒な白亜の1LDKは小汚い単身者のためではなく、明らかに輝ける男女ペアのためのもの、いや、新婚さんのスイート・ホームだ。

蜜月時代はとりあえずここで過ごし、家族が増えるにしたがって2LDKに移って行く。

せっせと薦める不動産屋もアレだが、いそいそ借りるおれもおれだ。

「え~?女いるわけね~じゃん。いたら浅井なんか連れ込むかよ。純粋に立地と景観と名前が気に入ったのっ」

釈明したが、我ながら動揺していた。


 

 浅井の意見は正論だ。

ここは礼金1敷金2の、今どき少ない大時代的契約形態だ。

親に大枚払ってもらったとしても、独身の大学生が好むマンションではない。

選択を間違えたのだ。

もう一度言うが、この『サンセット茅ヶ崎シーサイドコート・サザンクロス湘南壱番館』は、恋人のいる男女や新居を構えたばかりのハニーのための愛の巣なのだ。

そんなところに単身の♂が紛れ込んだら…。

そう、不審者。

廊下を歩いているだけで夫は妻をかばい、彼氏は彼女を隠し、窓を開けてベランダに出るだけで包丁が飛んでくる世界なのだ。


 その時点でおれの優越感に満ちた笑いは引きつった困惑に変わった。

「ねえねえ、底辺、いや、聡明なる浅井く~ん。一緒に住まなぁい?おまえの今どき2万9千円のアパート、けっこう難ありって言ってたじゃん。おまえがいりゃ、周りが女に興味ないゲイってことで大目に見てくれるかもだし。な?その家賃だけでいい。おまえ、2万9千円でハイソなココに住めるんだぜ」

「えっ?イヤだよ。周り中が夜な夜なHシーン満載のエエことしてんトコなんかに、清いおいらが住めるかっ」

同じように♀日照りのヤツは激しく怒って拒絶したのだった。


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 浅井に名前をつけろと言われた黒いモノは相変わらずウロウロしている。

それも問題だが、今はそれ以上にこのマンションの間取りがアタマを悩ませるものになっていた。

ここはシーサイドコート・サザンクロス湘南の名前通り、コート(中庭)がある。

それ自体はおしゃれで問題はない。

だが、小さな窓のある風呂場が40世帯分、すべて中庭に面する作りなのだ。

風呂に入りながらふと見ると、階下の小窓にちらほら明かりがついていたりする。

もちろん、ブラインドを下ろせば中は見えない構造だ。

だからなに?と問われれば、別に…と答えざるを得ない。


 だが、アタマに浮かぶのは39世帯の男女の楽しくもいやらしい入浴シーンなのだ。

ウフウフ、キャハキャハと妄想の嬌声も聞こえる気がする。

1人ボッチでシャワー・ヘッドを握り締めるおれは、そんな時、じみじみと文学的孤独感にさいなまれるのだ。

独身者の悲哀、いや、中学以来、彼女のいたためしがない半生が重くのしかかるのだ。


 自分がしだいに鬱っぽくなって行くのがわかる。

不平等な社会、♂を見る目がない♀ども、実に「曰く不可解」ではないか!

なにか卑猥な言葉を大音量で口走りながら、バスタブから飛び出しそうな気がする。

目指す先はもちろんバルコニーからの飛翔だ。

かろうじて全裸の自分を認識する理性と羞恥が押しとどめる。

そんな毎日だった。


 「麒麟生(きりおい)ど~した?影薄いじゃん」

浅井に声を掛けられて、ヨレヨレ反応する。

「…よ、世の中を憂しとやさしと思えども…、と、飛び立ちかねし…」

「はぁ?貧窮問答歌かよ。おまえ、親に見放されて一気にカースト最下位に落ちたとか?」

「いや…お、親との関係は良好だ…ただ」

「ただ?」

「おおお、おにゃにょこが欲しいっ」

「えええええ~?」

浅井は無遠慮にブッ飛んだのだ。


 「おまえ、悪いことは言わない。親にあやまってフツーのアパートに移れ。おまえんちは金持ちだから敷金・礼金・補償金・住宅保険料・手数料・キー交換代がムダになっても気にしないだろ。なっ、そうしろ。変だよ。おまえ」

変?

人並みに女の子を求めるどこが変なのだろう?

だが、浅井は異様に真剣だ。

「おまえ、ひょっとしたらヤバイんちゃう?」

えっ?

ヤバイひと、つまり、性犯罪に手を染めるかもということだろうか?


          3


 浅井はとにかく、家までついて来た。

ボディガード?

いや、道々、おれが牙を剥きそうな女の子を援護するつもりだろ~か?

無言で眉間にシワを寄せているのがコワイ。

部屋に着くなり、ヤツが言った。

「おい、麒麟生(きりおい)。おまえ前に黒いの出るとか言ってたよな?それってゴが付く?」

「いや、オが付く」


 「ゴキブリっ」

「オバケっ」

2人は同時に全く違う単語を口走った。


 「う~ん、なるほどね…」

なにがなるほどか知らんが、浅井はLDKを泰然と抜けてベランダとルーフ・バルコニーに面する寝室に入った。

そこで急激に振り向く。

超高速『だるまさんが転んだ』だ。

「ふっふっふ。いるワ。フェイントに引っかかるとは…そこだっ」

まるで陰陽師かエクソシストだった。

同時にいつもの黒いモノがキャンてな感じで狼狽して、ガラス戸のわずか1ミリの隙間を抜けてキッチン方向に消えた。

霊感浅井のナイーブで感じやすいどころか、超マッチョな対応だ。

「ね、今の。何だよ?」

「ま、例によって例外なく霊だな。おまえ、ヤバイよ。アレ、女だワ」


 「…え」

真意を測りかねて絶句した。

ヤバいというのはおれがヤバいのか、その女オバケがヤバイのか?

そういえば、『夜這い』というのはヤバイに似ている。

「おれ、襲われるの?」

何となく内股になっていた。

「期待するな、バカ」

まぁ、そのとおりだ。


 「麒麟生(きりおい)、今んとこはアレが黒く見えてんだな。じゃ、さっさと転居しろ。だんだんに実態を現してくる。東丸信也って学者、知ってるだろ。あの人の本に『釜石の亡霊』ってのがあんだけど、怖いぞぅ」

「それ、獲り殺されそうになって東京に逃げるやつ?うぇ~、確かにこわいワ」

そうなのだ、確か中坊のころに読んだことがある。


 本人の岩手県釜石での実体験で、ある夜更けにたまたま、浜の堤防に面した道で女幽霊に遭遇する。

浴衣を着た色白美人だが、定石通りどこか血の通っていない感じがした。

肩を突っつく、棍棒で打ちかかるなどの実験をしたが、ただ消えるだけで手ごたえはない。

だが、そのたびに冷水を浴びたようにゾッとする。

そのうちに東丸信也の身辺にひんぱんに付きまとうようになり、ある夜から、ついに彼の目をまともに覗きこむようになった。

当然、にらめっこになるのだが、目をそらさない限り身体はもちろん布団の中までが冷え切って来る。

身の危険を感じた彼は、釜石から東京に逃げ帰ったという。


 ま、あらすじだけでもかなりおどろおどろしい。

とにかく翌日、両親に電話した。

 「いい加減にしなさいっ。そこで4年間、勉学に励むと言うから借りてやったんだ。まだ2ヵ月でもう飽きたのか。言いたければお母さんに言いなさい」

これが親父の返事だった。

母に至っては、

「もしもし…は?ぬわんだってぇ~転居ぉ?」

そのまま切れた。

今まで衣食住小遣いすべてを親に頼っていたツケが回ったのだ。


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 退路を親に断たれたとなると、人間腹が据わる。

あわてることはない。

月並みだが、浅井には見えているその女幽霊がブスか美人か、おれ自身の審美眼で見定めてからでも遅くはない。

美人なら次の手段を考え、醜女(しこめ)ならとりあえずエスケープして浅井の難あり老朽アパートに転げこむ。

我ながら名案だ。

その時点で、かなり大胆になっていた。

なぜなら、エクソシスト浅井が見破った時の霊の反応は小心で臆病、脆弱でそこはかとなく哀愁が漂うものだったからだ。

これは『釜石の亡霊』とは違うのでは?

ふっふっふ。

弱虫ヘタレのおれは強いものには弱く、弱い者には強いのだ。


 最初に知覚したのは、認知すると波長が合うようになるからだろうか、ただの2次元の黒いモノが、日がたつにつれヒトガタに変わって来る現象だった。

10日もすると着衣や顔の美醜もなんとなくわかって来る。

うん、美人だっ。

とにかく最初の賭けには大勝利だ。

さっそく、浅井に報告する。

「ば~か。幽霊は美人って決まってるのっ。ブスや崩れてるんは怨霊だ」

な~る、ひとつ利口になった。

「おまえ、マジで引っ越せよ。霊っておしなべてエナジー・バンパイヤなんだぜ。生命力衰えて精神もやられる」

浅井の忠告にはちょっと引いたが、おれはその時点ですでに魅入られていたのだろうか?

「うん、親の手前もあるから、もうちょっと…」

と、優柔不断にも決断を引き延ばしたのだ。


 次にわかったのは霊はどうも他次元というか、異世界にいるらしいということ。

それがあの世と言えるのかは知らないが、自分の記憶世界に限定して存在し、それ以外は見えていないのでは?ということだ。

この『サンセット茅ヶ崎シーサイドコート・サザンクロス湘南壱番館』最上階が、彼女の部屋か彼の部屋、その他の誰かの部屋かは知る由もない。

それでもここが彼女の生前最大の関心事だったわけで、そのまま家賃未払いで自縛している気がする。

浅井に存在を看破された時のいかにも驚いたそぶりは、強い浅井の霊感と彼女の思念が共振し、そこに像を結んだのだと言えないだろうか?

彼女はいつもの平和な記憶の部屋の中に、異分子浅井の存在を目の当たりにして仰天したのだ。

そう、おれたちが霊を見るように…。

 

 そして今のところ、彼女の目はおれの視線を受け止めてはいない。

霊感、つまり念の弱いおれは彼女に未だ覚知されていないのだ。

おれが最初、わけのわからない黒いモノとしてしか認識出来なかったように。

だが、いづれ見い出す気がする。

霊に精気を吸い取る習性があるなら、彼女が草食系であれ肉食系であれ、吸入源に関心を払わないわけはないからだ。


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 前期ゼミの終了日、気まぐれに浅井の住宅困窮者アパートを訪ねた。

大学に近い割には隣接家屋なし、閑静で自然いっぱいの2Kテラスハウス風、しかも家賃が奇跡的に安いという、底辺浅井の夢の住居だ。

うん、確かに大学には近かった。

だが、これはテラスハウスというより、2軒長屋ではないのか?

閑静というより、開発から忘れ去られた崖下の昭和。

自然がいっぱいどころか、自然しかない。


 「ほら、トトロの世界だろ。23区内じゃ金積んでもないぜ」

半世紀もたったと思える木枠のガラス戸をガタピシと開けながら、もと江戸川区民は微笑するのだ。

「でも、さぁ、ここポットンじゃんっ。難あり過ぎっ」

今どき貴重な汚物、いや、遺物に、引きつり裏返った非難の声にも反応は鈍い。

「多少の難は考えようでさ、超便利な山小屋と思えば最高だぜ。コンビニもコイン・ランドリーもすぐ。ま、文明の中の貴重な未開だな」

「あ~ぁ。おまえの好みには付き合えね~よ」


 それでもジメッとしたささやかな庭でバーベキュウをはじめると、炭の香りと緑の匂いが相まってまったりと心がなごむ。

「おお~、精神衛生上はいいな」

「い~だろ。隣りは空いてるから、ちったぁ騒いでもOKだ」

「え~?ひとりで怖くね?こここそなんか出そう。オのつくやつ」

「出ねえよ。出たのはヘビ、ナメクジ、ムカデ、カマドウマ、ゲジゲジくらいかな」

「こっわ~。どこの山奥だよ?」

「それより、麒麟生(きりおい)のオのつく彼女どうした?」

「うん、まだ、おれに気がつかないんだな。そこまで精神感応していない。ついでだから研究観察して論文書いちゃおうかな。だって、まばたきもしないし、血の通っていない感じが、AIか初期のCGの半透明感に酷似してんだよ。まぁ、思ったより怖くないね」

「おまえは鈍いからなぁ。ま、体調不良に気をつけろ」


 そういえば、ここしばらく新婚さんの愛の巣に場違いにも紛れ込んだ、独身者の悲哀を忘れていた気がする。

「いや、体調良くなってる気が…。だって、霊でもさわれなくても♀なんだもん。和風の小顔美人だしさ」

「はぁ?女がそばにいりゃバケモノでもいいのか?ったく、そこまで飢えるなよ」

「って、ポットンで満足してる浅井には言われたくねえワ」

まぁ、寂しい♂の不毛の会話だった。


 だが、現実問題、浅井の言葉通りおれは欲求不満なのだろうか?

日に日に彼女への関心が高まって行く。

ついに浅井の言うとおりに名前をつけてしまった。

「レイナ=霊那」、これにはホントウにレイなの?という、おれの切ない疑問も含まれている。

いや、正直言うと男というものは霊だけでなく、風船にも名前をつけてしまう哀しい性(さが)を持つのだ。


 東丸信也の体験本では、霊は最初、彼に関心を全く示さなかった。

それに好奇心からちょっかいを出し、エナジー・バンパイヤとしての本性に火をつけてしまったのだ。

おれももちろん、それは避けたい。

だから一応、はたから静かに観察するだけにしているつもりだ。


 いや、だが、それが、…告白しよう、彼女はかわいいのだ。

そして、モロ好みでもある。

おれにはやたら凶暴な20代の姉貴がいるから、その本性を隠したファッションはよく知っている。

だから、服装から見てレイナは20代で、性格は姉貴よりかなり大人しめと見た。

a・p・c(アペセ)っぽいシンプルワンピに、ちょっぴりフェミニンなカーデ。

亡くなったのが春なのか、普段からの服装がその系統なのか、白っぽい中間色でいかにも清楚なのだ。

足元は室内に出現する幽霊らしく、きちんと裸足でいる。

う~ん、そそるぅ。


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 その時点でおれは、かなり危機感欠如な精神状態になっていた。

レイナを振り向かせたい。

東丸信也みたいにエナジーをかけたにらめっこになっていいから、彼女と目を合わせてみたい。

そう、おれはいつの間にかレイナが好きになっていたのだ。

彼女は自分のペースで、気まぐれ気ままに冷蔵庫の隙間やフローリングの板張りを抜けて出現する。

2次元から瞬時に3次元に移行する器用さは彼女ならではだ。

ひょっとしたら半透明のCG状態から、しっかりとした存在感を持つ、生きていたころの形態に戻ってくれるのではないか?


 彼女に触れてみたい。

そして出来れば愛をささやいてみたい。

更に、願わくば愛し合って…。

哀しい男の性(さが)と欲望は果てしなく肥大するのだった。


 時は折しも夏休み。

海岸通りは彼女を連れた陸サーファーであふれ、軟派車(なんぱぐるま)が列をなしている。

おれの切ない想いはいやが上にも燃え上がるのだ。

とにかくレイナの気を引くために、頻繁に話しかけてみる。

氏素性・年齢・どうしてこの部屋に出るのか・彼氏は?・なんで亡くなったのか・どうして欲しいのか・またどうすればいいのか・成仏は?

毎日、オウムに言葉を教えるように繰り返しても反応はない。

彼女の視線は相変わらずおれを通り越して、どこか遠くを見ている。

文字どおり、眼中にないのだ。


 おれはいつの間にか、レイナがいつも現れるLDKにベッドを持ち込んでいた。

少しでも彼女のそばにいたい、彼女を見ていたい。

この切なさ、こがれる思いは最早、好きを通り越して恋だった。

レイナが現れればいつものつれない態度に焦れ、現れなければ現れないで不安になってイラつく。

飯も食いたくないし、1日中ベッドに転がったままLDKから出る気もしない。

今日が何日なのか、日にちも曜日も意識できない。

浅井の存在もひたすらうっとおしいだけだ。

「麒麟生(きりおい)、大丈夫か?おまえ、早く引っ越せ。取り返しつかなくなるぞ」

ふっ、野暮しか言わない♀日照りは無視するに限る。


 そう言えばドアフォンが鳴っている。

非常にうっとおしいが、応対に出る気にもなれない。

レイナがさっきからそっとそばに立っていてくれているからだ。

そこはかとない安堵感と満足で、ベッドから怠惰に彼女を見返す。

えっ?

いつもとは違った感覚。

待てよ、どうしたのだろう?

これって、ひょっとしたら…。

起き上がって彼女を真正面から見直してびっくりした。

レイナが初めておれに目を会わせていた。


          7


 希望的観測に妄想も入っていたかもしれない。

それでも能の小面(こおもて)に似た清楚な無表情に、かすかな喜色がたたえられている気がした。

レイナは過去の記憶で構成された世界から踏み出して、現世のおれを認知したのだ。

彼女はきっと、東丸信也の『釜石の亡霊』ように精気を吸い取るのだろう。

今はもう、それすらうれしかった。

おれは愛するモノの役に立ちたいのだ。

「ああ、レイナ。やっと目が合ったね。良かった。見えるんだね?やっと共振したんだね?おれが怖くないの?浅井んときみたいに逃げないの?座れば?立ってるだけなの?」

矢継ぎ早の質問になっていた。

自然に彼女の肩に手が伸びたが、腕はいつもどおり、何の感覚もないまま通り抜けた。

ま、何事も一足飛びというワケにはいかない。

飢えた変態のように性急にコトを運んではいけないのだ。


 ドキドキしながら、恋人のようにしっかりと視線を絡める。

心なしか彼女のとまどいと恥じらいが感じられる。

か、かわいい…。

レイナは拾われた子猫のように、純粋に暖かくおれを受け容れていてくれているのだ。

それが例え『牡丹灯籠』のお露さんみたい霊界へ導くためのものであったとしても、何の不都合があるだろう?いや、ない。


 ドアフォンが焦れたように矢継ぎ早に鳴っている。

「おい、麒麟生(きりおい)。居るんだろ?入るぞ」

その声は招かざる客、浅井だ。

ったく、こんな時に。


 「浅井、来るな。来ちゃダメっ」

ガチャリとドアが開く。

ヤツに電子キーの番号を教え込んでおくのではなかった。

案の定、ヤツは一瞬で部屋の状況を見て取った。

底辺浅井の表情が陰陽師とエクソシストに変わる。

「うぉりゃぁ~。怨敵退散っ。喝ぁつっ」

「バ、バカっ、よけいなことするなっ」


 「出て行けぇ、エコエコアザラク、エロイムエッサイムぅ~」

「やめろ、た、頼むっ」

狼狽するおれのアタマにいつかの浅井の忠告が浮かぶ。

「いいか、霊を追い出すには南無妙法蓮華経だぞ。南無阿弥陀仏だと救ってくれると思ってよけい寄って来る」


 そ、そうか、念仏だ。

「南無阿弥陀仏~。レイナ、負けるなっ」

「くっそぉ~。りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜぇ~んっ」

「いいぞ、レイナ、なんまいだぁっ。なんまいだぁ、なんまいだぁ~、カン、カン、カ~ン」

景気づけにオタマでナベを叩いて彼女を応援する。

「くっ、そんなら、こっちもだ」

浅井はうちわ太鼓代わりにフライパンとフライ返しをひったくった。

「そぉれぇ、なんみょっほ~れんげっきょっ、なんみょっほ~れんげっきょっ、なんみょっほ~れんげっきょおっ。ガンツク、ガンガンツクツク」

「がんばれ、レイナ。弥陀深く頼み参らせ念仏申すぅ~。なんまいだぁ~なんまいだぁ~、カンカンカン。カッカ~~ン。カッカカカカ~~~~ン」

「し、しぶといやつめ。なん、みょっほ、れんげきょっ。なん、みょっほ、れんげきょっ。ガンツク、ガンガンツクツク。ガンツク、ガンガンツクツク」


 

          8


 「うっるさあああぁ~~~~~いっ。キイヒョホォォォ~ンン」

耳がキ~~ンと鳴った。

いや、この電子音はスピーカーのハウリングだ。

どこ?

外からだ。

浅井と2人、瞬時に停戦してベランダに出た。

海に面した庭には、昭和のころのデモ隊必需品の携帯拡声器を手にした管理人が、目をつり上げていた。

やべっ。

「あ、あの、すみませ~ん。学園祭の出しものの練習してたんで。もう、しませ~ん」

「ごめんなさぁ~い」

同時に最敬礼する。

この学園祭というセリフは殺し文句なのだ。

たいていの大人が許してくれる。

「今日は日曜だからね。疲れている人もいるだろ~から、慎みなさいよ」

ごもっとものご注意に、もういちど心から礼をした。


 LDKに戻るとレイナはすでに消えていた。

なんだかガランとした空しい白い部屋だった。

「おまえ、ホント危なかったんだぜ。おれの勘が当たったワ」

「浅井ぃ~、それがよけいだってんだよ。やっと目を会わせられたのに。おれ、ほんとに幸せだったのに…。霊だってバンパイヤだってあの世の人だって、心が通じりゃいいじゃん」

おれの恨みがましい声に、ヤツは分別臭く溜息をついた。

「今においらに感謝するようになるさ。東丸信也も逃げて正解だったって、知識人たちが言ってるよ。彼、あの時点ですでに精神分裂の兆候を呈していたって」

「どうでもいいよ、他人(ひと)のことなんか」

「よくねぇよ。おいら、おまえが心配だったの。結果が見えていたからね。放っとけねぇよ、友達じゃん」

浅井は最後の単語をちょっと照れくさそうに発音した。

レイナと目が合った時の喜びとはまた違った感動が心を揺さぶった。

なんとなく浅井を抱きしめたい気分になる。

もちろん、NGだが…。

「あ…いや、それは…ほんとにどうもありがと」

「あ、いえいえ、ど~いたしまして」

クサイセリフが続いて2人ともちょっと笑った。


 9月半ばの秋学期なるとおれは無事大学に復帰した。

いちんちベッドに転がっていることもなくなり、日にちも曜日もきちんと覚知できる。

食欲も出て馬肥ゆる秋を満喫している。

友人浅井とも超心が通じ合って楽しい毎日だ。


 だが、見つけてしまったのだ。

キッチンのシンクと冷蔵庫の5ミリくらいの、禁断のあの隙間。

2次元の黒いモノが、おずおずと出てこようとしているのを…。


 ソレはレイナなのだろうか?

念仏が題目を撃退したのだろうか?

そして問題は、この事実を浅井に言うべきなのだろうか?

心は千々に乱れて行くのがわかる。

ただ、すでにおれは知っている。

正しい答えはひとつ、浅井の友情に応えるべきなのだ。


 いや、それではレイナはどうなる?

心を交わしたはずのおれの心変わりに、悩み悲しみはしないだろうか?

そしておれ自身も裏切りの後悔に苛まれ続けるのでは?


 声を大にして言う。

おれは今でも彼女が好きなのだ。

最早、引っ越しで逃れるなどの選択肢はない。

結局、後悔に変わりはないからだ。

弥陀の称号の南無阿弥陀仏と題目の南無妙法蓮華経がアタマの中で交錯する。

口にするのはどちらか?


 南無~…………?



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