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江戸川台ルーペ

わたくしごと

 この歳にして知り合った女性と同棲などという大それた事をしてしまった。


 わたくしは齢四十五にして女性と付き合う事一度として叶わず、このようにして人生の黄昏を迎えていくとは露とも想像せず、恥ずかしながら日々、派遣やバイトで食い繋いでおった訳ですけれども、まさかにして、二十歳もの歳下の女性と住まいを分かち合う折にその衝動に耐え切れず、勢いに明かしてこのような文章をしたためておる次第でございます。


 そのきっかけは字数が足りぬゆえ割愛させていただきますが、ほのかちゃんの容姿ときたらまさに想像以上の美しさでございます。肌は雪の如く白、髪は黒く真っ直ぐに長く、掛ける眼鏡は四角い黒縁ながら清潔であり目は大きく頬は紅、唇は桃のように甘く開いており、私はどのような善行を前世にて積み上げて参ったのか自分自身にて訝しむように日々感謝を述べ奉るしかございません。


 本日そのようにして新居にお互いの荷物を持ち運べば、新たな住まいの構築に二人して尽力した次第でございますが、その際に私は実家から送った荷物の中に懐かしいゲーム機を発見したのでございます。


 それは二十年ほど前の懐かしい機械にございまして、私は薄汚れた機械を荷物から発掘しいささか呆然としてしまったのでした。その思い出とやらを披露するのは恥じ入るばかりでございますが、このゲーム機、私が高校時代にアルバイトの給金にて苦労し購入したものの、著しい学力低下を理由に没収されたものであったのです。父の死をきっかけに取り戻したるは、二度とそれで遊ぶ気にもなれず自室に放置した結果、それはこのようにして再びこの愛の巣に現れ、図らずも真新しい半紙に垂れた墨汁のように私の心を汚したのでありました。


「それは何?」

 ほのかちゃんが近寄って私に問いかけました。大変甘い香りがするのです。ピッタリとしたMジャクソン・スリラーのTシャツが汗で湿りそのボリューミーな乳房を強調しているのであります。本人はいとも自然にそれを保有しておるに過ぎないのですが、私は豊かな乳房を自らの一部として有し、それをシャツ一枚で誇示するかのような振る舞いを送る人生というものについて考えざるを得ないのです。

「ゲヱム機だよ」

 と私は言いました。

 言い忘れておったのですが、ほのかちゃんはテレビ鑑賞と読書が趣味なだけの至って普通の二十五歳の女性なのであります。稼ぎは私よりも上でありながら、趣味は読書のみというあまりに慎ましい文化的嗜好に、私はすっかりホの字となったのです。

「ふうん」

 とほのかちゃんが興味深々という風に言いました。

「今は片付けなきゃだけど、後で遊んでるところ見して」

 ほのかちゃんがインターネットで人が遊んでいる古いゲヱムの動画を見るのは好きだというのを思い出しました。


 お昼になり、ロオソンで握り飯と味噌汁のカップなどを買い求め、爆発したかのように引っ越し中の散らかった部屋の中で、テレビだけは既に設置済みでございました。先程申し上げた通り、ほのかちゃんはテレビが大好きなのです。「やはり東芝のテレビは肌の色が自然だね。ここはいい電波が通ってるのかも知れない」などと私にはトンと判別できぬ言葉を吐きながらミヤネ氏のコメントを聞き流しておりました。握り飯は大変美味しゅうございました。休憩が終わり、ほのかちゃんがトイレに行ったところで私はつい手持ち無沙汰にゲヱム機を繋いでみてしまったのでございます。


 CDがキュンキュンと回る旧世代のそれは健在でございました。私は思わず懐かしい有線コントローラーを手に取り遊び始めてしまったのでございます。コントローラーは随分記憶よりも小さくてございました。ゲエムは近未来無重力・ハイスピード・レーシング・ゲエムでございました。文字面の通り、ふわふわと浮く近未来の乗り物でコースを周回し、順位を競うレースゲームでございます。金属音とビートをミックスさせるテクノ・ミュージックとシンクロし、がっちりキまればトランス状態に陥る事さも容易なゲエムであり、だからこそ寝食を忘れ没入した結果、没収されてしまったのでございました。


 トイレから出てきたほのかちゃんは私が遊び始めた事に気付くと小言を吐き始めました。

「まだ引っ越し中なんだから遊んじゃダメでしょう。夜までに片付けないとお布団ないんだからね」

 プリプリと怒るほのかちゃんもまた愛らしいのでございます。細い腰に両拳を当て怒る様はまさにDVDを所望したい。男とあらばそう願わずにはいられない可愛らしさなのです。済まん済まん、と謝りながら私はついコントローラーを離せないでおりました。楽しかったから、ではございません。私は奇妙なものを見つけてしまったのでございます。


 それは何気なく始めたタイムアタック・モードで遊んでいる時でございました。見慣れぬ半透明のゴーストが、私と並走し始めたのでございます。それはトンと記憶にない程の完璧な走りでございました。申し遅れましたが、これは大変操作が難しいレースゲームで、私の記憶によればここまでの走りを極める前に父親によって没収されてしまったのでございます。全てのコーナーに機体を完璧に寄せ、適切なハンドリングとブースト使いで、目にも止まらぬ速さでゴールしてしまいました。私は思わずリセットボタンを押し、メモリーカードの最終セーブの日時を確認致しました。間違いございません、そこには二十数年前の日付が刻まれておりました。とあらば、この完璧な走りを魅せつけた半透明のゴーストは父でしかあり得ないのでございます。それは十年ほど前に病を得て亡くなった私の父の亡霊ゴーストであったのです。


 私の父は堅物でしたが、無類のゲーム好き、ゲーマーでございました。当時はPCへ主戦場を移し、主にRPGなどを嗜んでいるようでした。他人と争う事が苦手な気質ゆえ、穏やかなゲームライフを送っておりました。私から没収したゲームで遊ぶなど想像も付きませんでしたが、タイムアタックという敵からの妨害がないモードで黙々と自己の限界を極めるという遊び方は、如何にも父が好みそうな物でありました。


「ねーちょっと邪魔なんだけどー」

 ほのかちゃんは作業を再開しておりました。

 私はデニムがパンパンに張る程のほのかちゃんの臀部が大変好みなのでございます。ほのかちゃんの全てを私は未だ知らずに同棲初日を迎える事態であり、今夜の塩梅によってはついに花開く可能性も存分に考えられ、私は鼻息を荒く致しました。しかし。

「すまん、ちょっと待って」

 私は誤魔化し笑いなどを卑屈にも浮かべながら、またコンティニューを繰り返しました。父のゴーストは余りに速く、とても越せそうにないのです。私は燃えました。私が苦労したゲヱムを私以外が先に極めるなどと言語道断なのです。


 そこから記憶は曖昧なのでございますが、煙草の灰皿が盛り上がる頃、部屋はいつの間にやら暗くなっており、全ての引越しは完了してございました。わたくしの膝にはほのかちゃんが頭を載せ眼鏡を掛けたまま「ふかぁ、ふかぁ」と物静かに息を繰り返し、眠っておりました。テレビ画面には私が父のゴーストを最終コーナーにて寸での所でかわし、ニュータイム・レコードを更新したリプレイが流れておりました。或いは踊っているかのようにも見える二台の近未来的乗り物は鮮やかな軌跡を描き、まるで互いを認め合い、高みを目指す仲間のようにスタートからゴールを繰り返していたのでございます。


 私はほのかちゃんを揺り起こしました。

「ほのかちゃん、起きて。終わったよ」

 むにゃむにゃ、と寝ぼけたほのかちゃんが身を起こしました。髪の毛を後ろで結っており、露わになった細いうなじもまた、大変なチャームポイントなのでございます。

「何なのもー。結局あたしが全部やっちゃったじゃないもー」

 ほのかちゃんは開口一番に不平を漏らしました。それはやむを得ない事であったのでしょう。しかし私は今まさに味わっている感動を、ほのかちゃんに伝えたかったのです。

「超えたんだよ、父さんを」

「ハァ? ふうん、良かったね。それよりお腹空いたよ」

 ほのかちゃんは興味が無さそうでございました。一方、私はほんのりと涙目であったのでございます。


「これ、消したらもう、会えない」

 私は思わず独りごちてしまいました。

 画面を進めると、

「ゴーストを上書きしますか? 【YES】 NO」

 と表示されたのでございます。

 思えば、私は折り合いの悪い息子でございました。高校時代を振り返れば、目も合わせず食卓を物憂げに囲んだ思い出しかございません。理解し合いたかったのでございます。しかしそれは叶わなかった。今日、幾度となく父のゴーストとコースを走った事で、ほんの少しだけ、父という人間と共に、小雨も疎らな春の家路を辿ったような気配さえ、私は覚えたのでございます。


 ほのかちゃんは寝ぼけたまま画面を見ておりましたが、貸して、と私のコントローラーを奪うと、とっとと【YES】を選択したのでございます。


 あ、嗚呼。

 私は思わず声を上げてしまいました。それは決してこの世に二つと存在しない、唯一無二の存在であったからでございます。


「過去なんて関係ない」

 ほのかちゃんは言い切りました。

 あたしはお腹が空いてるし、これから貴君と一緒に暮らしていくに当たって、過去の全てを上書きしていく所存である。ついては貴君も腹を決め、将来に向かって振り返る事を著しく先に伸ばすべきである、というような事を滔々申し述べました。そうして熱く見つめ合い、我々は空腹のまま初めて熱く、唇同士を重ねたのでございます。


 私はそのようにして、2020年の夏に新たな魂を得たのです。

 


 <了>

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