ラウルの弟子~最愛の弟子と引き離されたら一夜で美少年になりました~ 木龍がみね

『尊いお方』



 こんにちは。私は宮廷魔術師のアドネです。

 よく自尊心が高くて扱いにくいと侍従から陰口を叩かれますが、そんなことはありません。

 あの方の前では、私の自尊心などあって無きに等しいのです。あの方が誰かって? あの方はこの世で一番尊いお方。私の憧れのラウルさまです。

 亡くなったと言われていたラウルさまが再び降臨された時、この国に衝撃が走りました。もちろん私にも。

 想い浮かべていたお姿とは少し違っていましたが、それは私の想像力が乏しかっただけのこと。自分を恥じてすぐに伝記を書きかえました。ラウルさまは夜の空のような髪色を持ちながらも、その存在は月明かりのように眩しく、そして澄んだ黒目の素敵なお方でした。

 降臨されたラウルさまに、私は憧れ続けていた自分の想いを告げました。その時のことはなんと言えば良いのか……。そもそも、最初から違和感がありました。初めてお会いしたのに、ちょっと懐かしいような……。

 その時、ラウルさまはお一人でした。なので、誰かに聞いたわけでもなさそうでした。それなのに、「アドネさん、お久しぶりです」と私の名前を呼んだのです。そう、ラウルさまは私が名乗る前から私の名前をご存じだったのです。

 失礼を承知で首を傾げました。すると、ラウルさまは漸く私の疑問が分かったかのように、慌てながら「は、初めまして!」と言い直されていました。結局、何故私の名前を初めからご存じだったのか分からなかったのですが、それによって私はラウルさまの正体に気付いてしまいました。

 ラウルさまの正体……それは、神。そう、神は黄金竜ではなく、ラウルさまだったのです。全知全能の神であるラウルさまは、私のような取るに足らない人間の名前など最初から知っておられたのです。初めてお会いしたのに懐かしい感じがしたわけは、ラウルさまが神である証拠。神であるラウルさまは、ずっと私たち人間の傍らで寄り添ってくれていたのです。

 今日も神々しいお姿を拝見するため、ラウルさまの治療院に赴きました。

 ラウルさまは昨日よりも輝きが増しておりました。日々進化していく神聖さにそろそろ直視することができなくなりそうです。ラウルさまは私に気付いて微笑んで下さいました。ああ光栄の極み。

「アドネさんこんにちは。あの、昨日のお怪我は大丈夫でした?」

「はい、この通り」

 昨日治して貰った右手の甲を見せると、ラウルさまはふむふむと頷かれ、顔を上げました。

「では、今日は何のご用で?」

「今日はこっちの手を怪我してしまいまして……」

 そう言って左手の甲を見せたら、ラウルさまは呆気にとられたように口を開けて、私の視線に気が付くと、一、二回ほど首を振ってから口を閉じました。可愛らしい仕草に声もでません。

 ラウルさまはすぐに私の左手の甲の傷を治してくださいました。数える暇もないくらいに一瞬で治った手の甲を見て、感動すると同時に幸せな気持ちになりました。憧れのお方が私のために傷を治してくれた。ああ最近の私は、この瞬間のためだけに生きている。

「あの、アドネさん」

「はい?」

 綺麗になった左手の甲を眺めて悦に浸っていたら、恐る恐るといったようにラウルさまは私の名を呼びました。ラウルさまの口が私の名前を呼ぶたびに、今までの全てが報われるような爽快な気持ちになります。

「治療院が建ってから毎日来て下さるのは嬉しいのですが、アドネさんは……その、常にどこかを怪我されているので心配です」

 ラウルさまは言いにくいそうに視線を彷徨わせながらおっしゃいました。

 ラウルさまが取るに足らない私を心配して下さったのが嬉しくて、それと同時に申し訳なく思いました。ラウルさまの思考を私が奪ってしまっている。

 私の心配などせずとも良いのです。この怪我は、ラウルさまにお会いしたくて、毎日自分で引っ掻いている傷なのですから。

「心配していただきありがとうございます。私はこう見えておっちょこちょいでして、毎日どこかにぶつけたり、引っ掻いたりしてしまうのです」

「そ、そうですか」

 ラウルさまは、一度私の目を見てから顔を伏せ、うぅんと唸り、もう一度私の目を見て、何か言いたいことがあるように口を開きましたが、けれど言い出せないみたいに口をひき結んでしまいました。

「ラウルさま?どうかなさいました?」

「あの……俺の勘違いだったら申し訳ないのですけど」

「ラウルさまに勘違いなどあるものですか。ラウルさまの口から出る言葉は全て真実です」

 ラウルさまは再び唸ると、私の目を見ながらおっしゃいました。

「もしかして、自分で自分の体を傷つけていませんか?」

「え?」

「あの、アドネさんっておっちょこちょいな人じゃないですよね?」

「いえ? 周りからはよく愚図だとか、要領が悪いなどと言われます。ラウルさまは知らないでしょうが」

「えっと……違いますよね?」

 ラウルさまは妙にはっきりとおっしゃいました。確かに私はおっちょこちょいとも愚図とも言われたことはなく、自分でもそんな性格ではないと分かっています。騙そうと思ったわけではなく、私のことでこれ以上ラウルさまの思考を奪いたくなかったのです。ですが、神であるラウルさまには、私の卑しい嘘など意味はなかったようですね。

「自分で自分の体を傷つけたら、アドネさんを大事に想ってくれている方が悲しみますよ」

 そしてラウルさまはとても高尚な言葉を私にかけてくださいました。ラウルさまは自分のためではなく、人のために己を大切にしろとおっしゃったのです。ああ、なんと素敵な言葉なのでしょうか。音魔法で録音しておけば良かったです。夜寝る前と、朝起きた時に毎日聞きたかった。

「だから、もし無理をしているのならやめて下さい。怪我を作らなくても、治療院に来て良いですから」

「い……いいのですか」

「はい。いつでも遊びに来てください」

 神聖すぎてもはや顔を見れないと思い始めた時、ラウルさまの隣に腰掛け、ずっと黙っていたシノが、私とラウルさまの間に立ちはだかりました。

「よくない。用がなければ来るな。そもそもそんなかすり傷で毎日来るな。来るなら瀕死の状態の時にしろ。アドネ、お前は治癒術師ではなかったか? 自分の傷くらい自分で治せ」

「シノ、そんなことを言ってはいけないよ」

 ラウルさまはちょっと怒ったような声でシノに注意しました。怒った顔のラウルさまを拝見したくて顔を動かしたのですが、シノが邪魔で見れません。

 シノは私がラウルさまに憧れ、伝記も書くくらい夢中になっていたのを知っていたくせに、いつもねちっこく邪魔をしてきます。ラウルさまとシノの絆を私なんかがどうにかできるなど思っておらず、憧れの人の近くにいたい、お話をしたいというただそれだけなのに、本当に器の小さい男です。

 週一で呑んでいるリュースにシノの愚痴をこぼしたら「まあ、仕方ないよね」と言われました。一体何が仕方ないというのでしょうか。意味分かりません。

「それを言うなら、シノだって用もないのに治療院に来ているではないですか。自分は来ているのに私は来るなというのは納得できませんね」

「俺はラウルが持て余す患者の相手をしている」

「持て余す?」

「たまに身の程知らずが来るのでな」

「シノは患者に混じって俺目当ての人が来るって言うんです。おかしいですよね」

 ラウルさまは言葉通りおかしそうに笑いました。ラウルさまの治療院は今日も繁盛しており、その中には一目見ただけで健康だと分かる者が混ざっていることから、シノの言っていることは事実だと分かります。というかぶっちゃけ私もそのうちの一人ですし。

 ですが、ラウルさまはシノの言ってることを分かっていないご様子。少し心配になります。まぁ、そのうちの一人の私が言えたことではないのですが。

「ラウル、俺は冗談ではなく本気で言っている」

「分かったよ、ごめん。でも、シノの方こそ……この前の女性患者さん、シノを見ながらボーっとしていたよ」

「それはないだろう」

「最近、女性患者さんが増えたのはシノが居るからだと思う」

「それはないな」

 認めないシノに対して、ラウルさまは呆れたように首をすくめました。

 そんなラウルさまの飾らない態度を見て、羨ましくなります。ラウルさまは、私には距離を置くような話し方をしますが、シノとは近い距離感で接します。それを見て私はいつも羨ましくなるのです。私もラウルさまに呆れた態度をとって欲しい。

「ラウルさま、お願いがあるのですが」

「お願い……? なんでしょうか」

「私のことはどうぞアドネと呼び捨てにして下さい。私もシノと同じように接して欲しいのです」

 願いを口にしたら、ラウルさまは目を瞠り、そして首を振りました。

「そんな、アドネさんを呼び捨てにするなんてとんでもないです」

 何度も首を振るラウルさまを見て、拒絶されたような気持ちになりました。思えばラウルさまは、リュースでさえ「リュースさん」と呼びます。

 ラウルさまの方が年上なのですから気を遣わなくて良いのに、ラウルさまはいつも丁寧に私たちを呼ぶのです。

「ごめんなさい、呼び捨ては難しいです。なんだか癖がついちゃって」

「癖?」

「ラウルは俺のこともたまにシノさんと呼ぶことがあるからな」

 自分の弟子をさん付け……? ラウルさまは否定せずに、頬をかきながら苦笑いされました。

「あはは、まぁ一度ついた癖はすぐには治らないよね。そういうことなので、アドネさん。すみません」

「そうですか……」

 どうやら私の願いは叶わないようです。

 ラウルさまはその後席を外し、部屋には私とシノだけになりました。

「シノ、先程ラウルさまがおっしゃった癖とは一体なんなのですか?」

「まぁ、気付くとは思わないが、もしも気付いた時、お前はかつての俺と同じように後悔するのだろうな」

「は?」

 よく分からないことを言われました。ラウルさまもシノも、時々私の知らない話をされる時があります。それがなんなのか私には分かりません。いつか分かる時が来るのでしょうか。

 突然扉が開き、見知らぬ男に肩を掴まれ、言い寄られているラウルさまが部屋に入って来ました。

 見知らぬ男はラウルさまを壁におさえつけると、そのまま顔を近付けました。まるで、無理矢理唇を奪おうとしているかのような。

「わ、わっ、あの、落ち着いてください!」

 ラウルさまは、見知らぬ男の胸を押し返し、なんとか距離を保っておられますが、見知らぬ男はもう我慢ができないなどと喚きながらラウルさまの肩を押しています。

 私はいきなりのことに驚いてしまい、動くことができませんでしたが、横にいたシノが、ラウルさまに迫っていた男の腕を素早くひねりあげ、そのまま拘束しました。見知らぬ男が悲鳴をあげます。

「シノ。痛そうだから、放してあげて」

 ラウルさまが言うと、シノはすぐに見知らぬ男を放し、解放された見知らぬ男は部屋を出て行ってしまいました。

 シノが「大丈夫か」とラウルさまに声をかけているのが聞こえてきて、漸く私は先程の見知らぬ男がラウルさまに乱暴しようとしていたのを理解しました。

「あぁ驚いた。あの人、お腹が痛むって言ってたんだ。原因を治癒術で調べても悪そうなところが見当たらなくて。だから触診しよう思ったら、いきなり豹変して……」

 さっきの見知らぬ男への怒りがすぐさま湧き上がり、追いかけようとしました。再び来られないように痛い目を見せなくては。けれど、行こうとした時、シノに肩を掴まれ止められてしまいました。

「アドネ、待て」

「何故止めるのです」

「そんなことをしてもラウルは喜ばない」

「そんなこと?私が何をしようとしているのかあなたに分かるのですか?」

「分かる。お前がやろうとしていることは、昔俺がやっていたことだ」

 昔シノがやっていたこと? それは知りませんが、悠長なことを言っていたらラウルさまを守れないのではないでしょうか。

「あの者はまた来るのではないですか? 排除しなくては危険です」

「何もしないとは言っていない。ただ、どうするかはラウルが決める」

「ラウルさまの手を煩わせることではありません。私が排除してきます」

「話を聞け。そんなことしてもラウルは喜ばないと言っているだろう。お前が自ら手を下し、やろうとしていることは、ただの自己満足行為だ。ラウルの気持ちを考えろ」

「ラウルさまの……?」

 その時、口元に手を当てて悩んでいたラウルさまが「決めた」とおっしゃいました。

「話し合ってくるよ。どうしてこんなことをしたのか話を聞いて、もし、あの人が俺に好意を持ってこんなことをしたのなら、ちゃんと断らなきゃ」

「は、話し合い……ですか」

 思わぬラウルさまの言葉に驚いていると、シノが私の横でフッと笑いました。

「分かった。俺も行く」

「シノは来なくていいよ」

「断る理由に恋人が居ると言った方が効果があるだろう?」

「……分かった」

 話についていけなくて呆然と眺めていたら、振り返ったシノと目が合いました。

「ではアドネ、俺たちが居ない間、治療院を頼む」

「え?」

 ラウルさまの治療を待つ大勢の患者を、私一人でどうにかしろと言っているのでしょうか。というか、私もラウルさまと共に行きたい。

 ラウルさまは私と目が合うと、申し訳なさそうな顔をしながら、パチンと両の手を合わせました。

「すみませんアドネさん。お留守番よろしくお願いしますね」

「はい! お任せください!」

 ラウルさまに頼まれた誇りを胸に、張り切ってお留守番をさせて頂きます。

「ラウルさま、お気を付けて!」

 ラウルさまを見送った後、患者の元へ行く前に、一冊の本が目に入ったのでなんとなくそれを開きました。その本には毒の種類がまとめられていて、ラウルさまの今までの知識が書かれていました。

 さすがはラウルさま。リオレア国にはない珍しい毒もあります。今は亡きレーヴェル国の毒も……。そういえば、あの毒を一目で見破ったあの子は、今何をしているのでしょうか。

 ある日を境に居なくなり、そのまま年月が経ってしまいましたが、元気でやっているのでしょうか。どこへ行ったのか、何をしているのか、誰に聞いても首を傾げるだけで何も分かりませんが、いつか帰ってきたら、今度こそしっかりトマトを食べさせ、偏食を治さないといけませんね。

 そして、ラウルさまの元へ連れて行き、この方こそ治癒術師の神なのだと厳しく教えないといけません。ラウルさまは素晴らしい方なのだと何度言っても、ラルは信じませんでしたから。

 さて、ラウルさまに託されたお留守番を果たさなくては。

 私はゆっくりと、ラウルさまの本を閉じました。

 



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