キューブ
広い部屋の中央に、私は立っていた。もっと正確に言うと、立たされていた。
私の罪は数え切れないほどある。当初問われていた、ネットワーク不正遮断処置や監視資料改鼠に加え、
「一応、申し開きを聞きますが」
防護服を着て、私の前に立つ男性が言う。私は「何もありません」と言った。本当に、何もなかった。私はやりたいようにやったし、思っていたほど後悔もしていない。あの子たちが外の世界で、どれくらい長く生きられるかだけが気がかりだけど、長くても短くても、きっとあの子たちは満足するだろう。
外の世界では、コロナ禍が世界を蝕む前と同様の、文化的生活が継続されている。ただし、平均寿命はおおよそ四十から五十歳前後だ。私の曽祖父の仮説――地上からコロナウイルスの感染者が根絶された瞬間、世界のどこかに新規感染者が自然発生する――が証明されたあと、人類はひとつの決断をした。それを「英雄的決断」と呼ぶ者もあるし、「悪魔の切り捨て」と非難する者もある。
新規感染者が自然発生する際に最も厄介なことは、発生する場所が完全にランダムで、一切の予想が出来ないことだ。自分の住む
人々は選別された。
私はこれを、残酷な選別だとは思わない。
目の前に立つ防護服の男性を見る。
私は選択したかった。選択出来ない立場なのだとしても、同じ願望をいだく誰かがいて欲しかった。私がまだ、菊池くんや美山さんと同じくらいの歳だったころ――私も彼らのように、モニターに手を伸ばしたことがある。画面の向こうにいる人が愛おしくて、一度で良いから彼に触れてみたくて、マットな手触りの画面を撫でた。彼にも、同じ想いをいだいていて欲しかった。
けれど彼は、一体何をしているんだと言いたげに、画面の向こうから不思議そうに私を見返すばかりだった。今、全く同じ目が、防護服の向こうから私を見ている。
「変わらないね、石井くん」
目を細めて笑うと、石井くんが少し動揺したことが分かった。
「……吉田さん、どうしてこんなことを? きみは模範的な市民だと思っていた」
仕事用の淡々とした雰囲気が剥がれ、彼は「管理局の石井」ではない、「私の同級生の石井くん」に戻る。生真面目なところも、だけどこんなふうに、肝心なところで情に流されてしまう優しいところも、昔のままだ。私は彼のそんな部分を好いていた。だからモニターに手を伸ばして――そして石井くんは、手を伸ばしてくれなかった。
「どうして……どうしてかなあ。分からないけれど、でもきっと、ずっとこうしたかったのよ」
好きな人と触れ合いたいと思うこと。好きな人にも、同じように思ってほしいと思うこと。まだ子供だった私が果たせないままに押し込めていた切望を、菊池くんと美山さんは現実のものにしてくれた。だからこそ、彼らの望みを最後まで果たしてやりたいと思ったのだ。それは過去の私を供養することでもあった。
石井くんに説明しても、きっと何ひとつ理解できないだろう。石井くんが悪いわけではない。私の恋は報われなかった。ただそれだけのことだ。
「それでは処理を始めます。対象は、処置台に横になってください」
石井くんは「管理局の石井」に戻り、私は最期の通知を受ける。白くて清潔で冷たいベッド。これが私の棺桶になる。ここに横になって目を閉じれば、私はもう死ぬまで目を覚ますことはない。
良い人生だった? やり残したことは、もう何もない?
頭の中で、少女だった私の声が聞こえた。私は棺桶に進めていた足を止め、きゅっと身体の向きを変える。側に立っていた石井くんが、驚いたように身を引く。私は彼の肩を掴んで――防護服のフェイスカバーの上に、そっと唇を落とした。
「叔母が教えてくれたのだけど、外の世界では、唇を触れ合わせることで他者への愛を示すそうよ」
呆然としている石井くんを尻目に、私は私の
「さようなら、石井くん」
防護服の向こうに、石井くんの涙が光っている。私は満たされた気持ちで、ゆっくりと目を閉じる。
意識が徐々に消滅していく中、モニター越しに手を重ねる菊池くんと美山さんの姿が、私の瞼の内側でいつまでも光り続けていた。
【完】
キューブ 深見萩緒 @miscanthus_nogi
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