キューブ


 広い部屋の中央に、私は立っていた。もっと正確に言うと、立たされていた。

 私の罪は数え切れないほどある。当初問われていた、ネットワーク不正遮断処置や監視資料改鼠に加え、キューブ内一般人に極秘事項を漏洩した罪や、管理局のシステムに不正アクセスして電源をシャットアウトした罪、外部に繋がるドアを無許可で開放した罪。そのほかにもあらゆる罪に抵触する一連の私の行為は、もはや聴聞会を開催する必要すらなく明らかに有罪だった。今、私は「処理」されるためにここにいる。

「一応、申し開きを聞きますが」

 防護服を着て、私の前に立つ男性が言う。私は「何もありません」と言った。本当に、何もなかった。私はやりたいようにやったし、思っていたほど後悔もしていない。あの子たちが外の世界で、どれくらい長く生きられるかだけが気がかりだけど、長くても短くても、きっとあの子たちは満足するだろう。


 外の世界では、コロナ禍が世界を蝕む前と同様の、文化的生活が継続されている。ただし、平均寿命はおおよそ四十から五十歳前後だ。私の曽祖父の仮説――地上からコロナウイルスの感染者が根絶された瞬間、世界のどこかに新規感染者が自然発生する――が証明されたあと、人類はひとつの決断をした。それを「英雄的決断」と呼ぶ者もあるし、「悪魔の切り捨て」と非難する者もある。

 新規感染者が自然発生する際に最も厄介なことは、発生する場所が完全にランダムで、一切の予想が出来ないことだ。自分の住むキューブかもしれないし、そうでないかもしれない。そのランダム性は対策を困難にしたし、人々の不安も煽った。だが、逆説的に考えれば――要するに、地上から感染者を根絶しなければ良いのだ。

 人々は選別された。キューブ内に残るべき「優秀な要素」を持たざる者は、感染者と共に外の世界へと追放された。外部に感染者が存在する限り、キューブの内部に感染者が自然発生することはない。キューブは永遠に閉ざされたまま、清潔に保たれ続ける。外の世界は、ウイルスを培養するシャーレなのだった。

 私はこれを、残酷な選別だとは思わない。シャーレで疫病に脅かされながら短い人生を送るにしろ、キューブで幸福だが無機質な長い人生を送るにしろ、結局のところどちらもそれなりに不幸だし、それなりに幸福なのだ。唯一決定的な不幸があるとすれば、シャーレキューブのどちらの世界で生きるかを選択出来ないという点だろうか。けれど、人生とは元々、そういうものではないか。


 目の前に立つ防護服の男性を見る。

 私は選択したかった。選択出来ない立場なのだとしても、同じ願望をいだく誰かがいて欲しかった。私がまだ、菊池くんや美山さんと同じくらいの歳だったころ――私も彼らのように、モニターに手を伸ばしたことがある。画面の向こうにいる人が愛おしくて、一度で良いから彼に触れてみたくて、マットな手触りの画面を撫でた。彼にも、同じ想いをいだいていて欲しかった。

 けれど彼は、一体何をしているんだと言いたげに、画面の向こうから不思議そうに私を見返すばかりだった。今、全く同じ目が、防護服の向こうから私を見ている。

「変わらないね、石井くん」

 目を細めて笑うと、石井くんが少し動揺したことが分かった。

「……吉田さん、どうしてこんなことを? きみは模範的な市民だと思っていた」

 仕事用の淡々とした雰囲気が剥がれ、彼は「管理局の石井」ではない、「私の同級生の石井くん」に戻る。生真面目なところも、だけどこんなふうに、肝心なところで情に流されてしまう優しいところも、昔のままだ。私は彼のそんな部分を好いていた。だからモニターに手を伸ばして――そして石井くんは、手を伸ばしてくれなかった。

「どうして……どうしてかなあ。分からないけれど、でもきっと、ずっとこうしたかったのよ」

 好きな人と触れ合いたいと思うこと。好きな人にも、同じように思ってほしいと思うこと。まだ子供だった私が果たせないままに押し込めていた切望を、菊池くんと美山さんは現実のものにしてくれた。だからこそ、彼らの望みを最後まで果たしてやりたいと思ったのだ。それは過去の私を供養することでもあった。

 石井くんに説明しても、きっと何ひとつ理解できないだろう。石井くんが悪いわけではない。私の恋は報われなかった。ただそれだけのことだ。


「それでは処理を始めます。対象は、処置台に横になってください」

 石井くんは「管理局の石井」に戻り、私は最期の通知を受ける。白くて清潔で冷たいベッド。これが私の棺桶になる。ここに横になって目を閉じれば、私はもう死ぬまで目を覚ますことはない。

 良い人生だった? やり残したことは、もう何もない?

 頭の中で、少女だった私の声が聞こえた。私は棺桶に進めていた足を止め、きゅっと身体の向きを変える。側に立っていた石井くんが、驚いたように身を引く。私は彼の肩を掴んで――防護服のフェイスカバーの上に、そっと唇を落とした。

「叔母が教えてくれたのだけど、外の世界では、唇を触れ合わせることで他者への愛を示すそうよ」

 呆然としている石井くんを尻目に、私は私の棺桶キューブに横になった。これでもう本当に、やり残したことは何もない。良い――良い人生だった。

「さようなら、石井くん」

 防護服の向こうに、石井くんの涙が光っている。私は満たされた気持ちで、ゆっくりと目を閉じる。


 意識が徐々に消滅していく中、モニター越しに手を重ねる菊池くんと美山さんの姿が、私の瞼の内側でいつまでも光り続けていた。




【完】

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キューブ 深見萩緒 @miscanthus_nogi

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