バケネコに出会ったわたしが異世界に転移してネコたちを救う話だけど、結果は惨敗? そんなはずない。
江田 吏来
二〇二〇年の夏
二〇二〇年の夏、わたしはバケネコと出会った。
額から流れる汗が止まらない灼熱の昼下がり、暑すぎて頭がおかしくなったのか。それとも夢を見ているのか。ギュッと頬をつねってみたが痛い。
「現在地は間違いニャい。二〇二〇年の夏。東京。それニャのに、これは一体どうなってるニャー」
わきあがる
耳の先から足もとまで真っ黒な毛で覆われた黒ネコ。目は満月を閉じ込めたような黄色に、細い
そうじゃない。
目の前のバケネコは、紺のパーカーにカーキのハーフパンツをはいた、わたしと同じぐらいの背丈。ありえないサイズのネコが頭を抱えてウロウロしている。
完全にバケネコだ。
焦って周囲を見回しても、だれもがバケネコの真横を無言で通り過ぎていく。
「みんなには……見えてないの?」
ふとつぶやくと、満月のような目にわたしが映る。
「おまえは、だれニャ。
思わず「ぎゃー!」と叫びそうになった。するとバケネコのふにゃんとした肉球がわたしの口を塞ぐ。
「静かにするニャ。少し聞きたいことがある」
「んんん?」
「今は二〇二〇年の夏だニャ?」
大きくうなずいた。
「酷暑対策がまったく進んでいないニャか、この場所で世界的なスポーツの祭典が行われているはずニャのに、静かすぎる。どうなってるニャ」
「んんんんん?」
口から肉球を外そうとしたが、バケネコの力はなかなか強い。
「早く答えるニャッ! あっ、吾輩の手が邪魔なのか。これは失礼」
パッと手が離れた。逃げるなら今しかない。
でも。
「吾輩はニャんとしても猛暑に対する知恵を持ち帰って、仲間の命を救いたい。頼む! ニャにが起こっているのか、教えてくれッ」
深々と頭をさげるバケネコ。「仲間の命を救いたい」という言葉に恐怖心が薄らいで、わたしの口は勝手に開いていた。
「残念だけど、四年に一度の祭典は延期になったの。新型ウイルスの猛威に晒されて、来年の夏に」
「ニャんだと⁉ それじゃ、愚かなニンゲンたちが酷暑の中でスポーツを行い、バッタ、バッタと倒れていくすべが見れんとニャ」
「ちょっと、愚かなニンゲンたちってどういう意味。あなたは悪いネコなの?」
「失礼なことを言うニャ。吾輩は仲間を救うためにやってきた、権威ある呪術師ニャのだ」
堂々と胸を張ったが、胡散臭いあやしいバケネコにしか見えない。
地球征服にやってきたのかもしれない。
疑いの眼差しを投げかけると、バケネコはコホンと咳払いをした。
「この国の異様な暑さは、吾輩の村に訪れた危機と非常に似ているニャ。湿度が高くて毛穴が開きっぱなし。汗は、ドバドバ。そのような暑い夏に世界中からニンゲンを集めてマラソンだの、ベースボールだの。狂気としか言いようのニャいことをやろうとしていた」
「そうね。心配の声は多数あったけど、夏の開催は決定事項だし」
「そこだニャ! その決まりを守るため、この国のニンゲンは酷暑にどう立ち向かうのか。祭典を見事に成功させて暑さをぶっ飛ばしたのニャら、そのノウハウを学んで吾輩の村も救える!! はずだったニョに……」
満月の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
頭の上でぴょこんと動く三角の耳も、ゆらゆらしていた黒い尻尾も、かわいそうなほど垂れさがっている。
「よくわかんないけど、バケ……えっと、キミの仲間が暑さにやられて、その解決方法を探しにきたのね」
涙をふきながら、こくこくとバケネコはうなずく。
「熱中症って言葉、知ってる?」
「知らないニャ」
「キミの仲間が暑さで倒れているなら、おそらく熱中症。わたしの知ってる暑さ対策でよければ教えるから、ついてきて」
すぐ近くにコンビニがある。熱中症対策をプリントアウトして渡せばいい。そう判断したのに。
「おまえ、いいヤツだニャ。吾輩はクロエ」
すっと手が伸びてきた。ぷっくり脹らんだ肉球は触りたくなる。
少し照れながら握手をすると、クロエは口の両端をニュッとあげて、ニタリと笑った。
刹那、目の前がまばゆく光る。
「なに、これッ」
とっさに目をつぶったのに、すべてが白い光に包まれていく。
あれだけうるさかった蟬時雨も遠のき、聞こえない。でもすぐに、まぶたの向こうで光が引いていくのを感じた。
おそるおそる目を開けてみると――。
「ひぃッ」
まったく知らない場所で、周りはすべてネコだらけ。
一匹、二匹、三匹、四匹……、十、いや二十匹はいる。
ネコは嫌いではないが、全員がじっとわたしを見ているその姿は怖い。つい逃げ腰になったのに、いつの間にか横にいたクロエが高らかに叫ぶ。
「みんな、このお方は異世界よりお越しくださった、えっとぉ……お名前は、ニャンと……」
「
「だ、そうだ。では急で申し訳ニャいが、いますぐこの村を涼しくしてくだされ」
「えっ、そんなことを言われても」
暑さだけじゃない。全身からイヤな汗がふきこぼれた。
雲ひとつない青すぎる空にはギラギラと輝く太陽。息が詰まりそうな熱風が通り過ぎれば、ざわざわと揺れる木がぽつん、ぽつんとあるだけ。暑さをしのぐ建物がひとつも見当たらない。
見えるのは、ぐったりしていたネコたちがぴょこんと頭を持ちあげて、
「そうだ。水は? 打ち水をすれば涼しくなるって聞いたことがある」
「打ち水?」
「熱い地面に水をまいて表面温度をさげるの。それに気化熱を利用して」
「気化熱? ニャンだかよくわからニャいけど水をまけばいいのか」
「そう、そうしてみて」
結果は惨敗だった。
一瞬涼しくなるものの、風が強すぎた。水をまいていない場所から熱風が吹き込み、暑さはちっとも変わらない。それどころか貴重な水の無駄遣いに。
ネコたちはますますぐったりしていく。
「こ、氷。氷はないの?」
「あるけど、氷をつくるのは大変ニャ。一日に数個しか出来ニャいから、大切に扱ってくれよ」
クロエが手招きすると、黒と茶色の縞模様がとても綺麗なキジトラがあらわれた。
キジトラはタタタッと走って、高くジャンプ。くるりと一回転すると、両手に余る氷の塊がコロンと落ちてきた。
「よし! これを小さく砕いて頭や
結果は惨敗だった。
氷はすぐ溶けて水になる。するとネコたちの体が濡れてパニック状態。
もともとネコの先祖は砂漠地帯の出身だったらしい。だからここのネコたちも水浴びをする習慣がない。体がずぶ濡れになることを嫌って逃げ回る。
「だったら、
結果は惨敗だった。
冷風を感じるのは氷のすぐそばだけ。しかも、右へ左へと動く手作りの団扇にネコたちは釘付け。イヤな予感がした瞬間、ネコたちは団扇に飛びつきやってられない。
「
しびれを切らしたクロエが声をあげたとき。
「ハッハッハー。やはり弱虫クロエには無理だったようだな」
もう一匹バケネコが増えた。
クロエと同じ服を着ているけど、全身真っ白なネコ。スカイブルーの瞳がどこか冷たく感じた。
「見ろ。わしは冷却マットなるひんやりグッズをニンゲンの世界から手に入れてきたぞ」
胸を張って冷却マットを広げたが。
「えっと……これは……」
取扱説明書に『クーラーの効いた部屋でよく冷やしてからお使いください』と。
結果はやはり惨敗だった。
「こうなったら仕方ニャい。陽葵どのの家に吾輩たちを置いてくれ」
「それは無理だよ。マンションだし、ペットは禁止だし、狭いし。二十匹も連れて帰ったら、通報されるわよ」
「ええい、こうなればわしらが地球を乗っ取ればいい。ニンゲンたちを駆逐して」
「それは駄目ニャ。争いになる。吾輩は仲間が傷付くのを見たくニャい。頼む、陽葵どの。どこか安住の地を紹介してくれ」
バケネコでも両手を合わせたおねだりポーズはずるい。かわいい。抱きついて、もふもふ、なでなでしたくなる。
わたしは両手を組んで「んー」と考えた。
「そうだ! 来年にいけばいいのよ」
「ニャ?」
「クロエは二〇二〇年の夏に開催されるスポーツの祭典を見に来たんでしょ」
「うむ。暑さ対策を参考にしようとだニャ」
「だったら、二〇二一年の夏にいけば」
「そうか! 陽葵どのなど連れて来ずに、さっさと二〇二一年へいけばよかったのか」
「うっ……。お役に立てなくてすみませんねぇ」
「ニャにを言っておる。吾輩だけではその名案は思い浮かばなかった。感謝する。では、さっそく出発だニャ」
クロエがわたしの手をつかむ。
「ちょっと待って。わたしも連れていくの?」
「当たり前だニャ。ニンゲンの世界に詳しい陽葵どのが一緒なら心強い」
またまばゆい光に包まれた。
二〇二〇年は新型ウイルスのせいで自粛、自粛の毎日。経済は落ち込み、生活にも暗い影を落としている。
でも、二〇二一年は?
延期になった夏は盛りあがっているのかな。
溶けそうなアスファルトの上で暑さ対策バッチリの人たちが、どこよりも熱い声援をおくっているのかな。
「ちょっと楽しみかも」
一足先にいってきまぁーす!
バケネコに出会ったわたしが異世界に転移してネコたちを救う話だけど、結果は惨敗? そんなはずない。 江田 吏来 @dariku
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