第3話 「坩堝」 後半
「大体終わったか?」
現場を指揮していた兵士長の言葉にはどうかそうであってくれという思いがひしひしと伝わってきた。
同行していたティオバルトも同じ思いであった。
囚人達の暴動は想像以上であった。まず、牢の格子を何の道具も無く、しかも自力でこじ開けた事が信じられなかった。その上酷い錯乱状態で常軌を逸した力で暴れ回るので、兵士側にも被害が出てしまった。今も数人の遺体を運んでいる最中である。
「やれやれ、とんでもありませんでしたな」
傍にいた異端審問官が呟いた。普段拷問に用いている服装ではなく、奇妙な鎧を身にまとっている。噂に聞いていた審問の鎧であり、囚人とはまた違った凄さがあった。
こちらも人間離れした膂力を発揮し、それぞれ鎧特有の拷問具で囚人達を鎮圧していた。凄まじいが、只の人間に対しては過剰な暴力である事も否定できない。
しかし、今の状況では頼もしかったのは事実だ。
皆落ち着いた所で、一人の兵士が飛び込んできた。
「兵士長大変です! 付近の村で化け物が住民を襲っているという報告が入りました! 支給応援を頼むとの事です!」
「くそ! 一体何がどうなっているんだ!」
兵士長の呪いの言葉は空に空しく消えた。
村に来てみれば、そこには地獄が広がっていた。
見た事の無い姿をした何かが人々を襲い、貪り喰らっているではないか。
しかし、それらをよく観察してみると、人の名残が見て取れる。先程の囚人達も時間が経てばああなっていたのかと思うと、ティオバルトの背筋に冷たい物が走った。
「怯むな! 総員であの化け物共を鎮圧しろ!」
兵士長の掛け声に、戸惑う兵士が何人かいるようだ。身をすくめる者、お互いに顔を見合わせる者。隊に混乱の色が浮かんでいた。
「ここで恐怖に負けてみろ! あの化け物共が周囲に広がって、人々を一人残らず喰い殺すぞ! 立ち向かえ! 最悪の事態を避ける為にも食い止めるんだ!」
隊全体が掛け声と共に突撃した。兵士も審問官も一丸となって化け物の群れに飛び込んでいく。
ティオバルトも暴れている人間を取り押さえながら見ていたが、戦いは劣勢であった。化け物の力は強く、数人の犠牲を出しつつようやく一匹仕留められるかといった所だ。
何か無いのか、この状況を打破する何かはと自問自答するティオバルトだったが、ここにきてあれを思い出した。アウルから押し付けられた例の不明な物体であるが、試すのを迷っている場合では無い。
「大気に息吹くエーテルよ、我に力を貸したまえ。鎧交信、転送装着!」
自然と口から出ていた言葉だったが、それが合図だったようだ。ティオバルトは瞬く間に光に包まれた。
光が消えると、そこには漆黒の鎧姿があった。計算されて配置された板金の隙間には、光る筋が走っている。
「ティオバルト様! そのお姿は!?」
傍にいた兵士が驚いた様子で疑問を投げかけた。
「恐らく、アウル・アルハザーダルが私に寄越した審問の鎧です」
「何と! 噂の錬金術師が作った物であると!? 一体どれ程の力が…」
ティオバルトは足を開き、身構えた。前方の群れに一瞬でも早く飛び込みたい、その為にはどうすれば良いのかは頭の中に浮かんでいる。
首筋に設置された小型の杖が展開する。これは交信機のような物であり、大気中に漂うエーテルを魔力へ返還し、鎧の動力源となる重要な機器である。
背中の複数のプレートが移動、展開し、形成された穴から光の翔翼が展開された。地面を蹴れば体が浮き上がり、狩をする鷹の如く勢い良く前方へと飛んで行った。
最も近くにいた化け物にとっては思いもよらぬ襲撃であった。ティオバルトの体当たりは化け物を吹き飛ばし、連鎖的に他にもダメージを与えた。
いける。そう確信したティオバルトはこれ以上被害を出さぬ為にも周りの兵士を下がらせた。化け物共はじりじりと寄って来て、とうとうティオバルトを囲い込んだ。
慌てる事は無い。ティオバルトは兜内の空中文字を見ると、状況を打破できそうな武器を選択した。すると、鎧の一部が変形し、鋼の鞭が形成された。
“火刑承認”
兜内にその文字が浮かぶと、鞭がみるみるうちに炎に包まれていく。火による浄化が確定した邪教徒を即刻処理する為に組み込まれた術式だが、目の前の化け物にも適用されるようだ。一筋の炎を、周囲を巻き込むように振り下ろすと、辺りは業火に包まれ、それが収まると周りには灰の山しか残らなかった。
「さあ皆さん、前へ進みましょう! このまま村の人達を助けるのです!」
ティオバルトの掛け声に応えるように隊は勢いづいた。
一方、砦にて。
「○○村には追加で××人を派遣しろ! 投石器も持っていけ! 化け物を一匹でも多く減らすんだ!」
砦内で最も頑丈な部屋を指令室にして、フィレンツォはあれこれと指示を飛ばしていた。
部下の兵士達は大わらわだった。東で人手が足りないとなれば部隊をなんとか組織し、西で物資が不足しているとあれば補給班が決死の面持ちで準備を進めていた。
「くそ、日食が急に現れたと思えばこれだ。まさかこれ以上の事態が起こらないだろうな」
フィレンツォが愚痴ると、一人の兵士が顔面蒼白で、申し訳無さそう前に立った。
「申し上げます… 南南西の方面から大型の化け物が観測されました…」
ティオバルトは見た。化け物の群れの遥か先で山が動くのを。
色は死体のような土気色で、こぶの様な物が間接の節の様にあちこちに点在している。しかし、それは只のこぶでは無い。どれもが人の顔の様な形をしており、口を開けて叫びと共に血の霧を吹き出していた。対照的に怪物の顔は蝋の様に白く、テカテカと光を反射している。
異形はゆっくりとした動きで、しかし馬並の速度で確実の砦の方向へ進んでいた。
ティオバルト達は只眺めているしかなかった。勇気を奮って足元へ走っていく兵士もいたようだが、怪物の進んだ後に踏み潰された死体が残るだけであった。
成す術など無い。気づけば怪物は砦の目と鼻の先まで来ており、砦屋上からは残っていた兵士達の矢と投石器から放たれた爆発性の石が降り注いだ。
かつてこの一帯を支配するかの様に聳え立っていた教会の威光は、怪物のなすがままにされるより他に無かった。怪物が口からどす黒い高圧の液を吐き出すと、砦の一部が吹き飛ばされ、飛沫を浴びた兵士は口から血を吐き、もだえ苦しながら死んでいった。
怪物。“イブリム”の内部でフィガロは嗤っていた。彼の中にあった世への憎悪は快楽へと変わり、歯止めがきかなくなっていた。
愉しい。自分を貶め、弄んでいた大人達を今度は自分が嬲るのが痛快であった。見ろ、あんなに屈強そうな兵士が虫の様にのたうち回っている。自分が作った地獄の光景を目にするのが最高だ。
そこには、ティオバルトが見た彼の姿はどこにも無かった。自分の中で渦巻くどす黒い感情が全てを支配していたのだ。
もっとだ。この砦をもっと壊し、中にいる大人を一人残らず殺してやる。そう思った刹那、何かの気配を感じた。振り向く“イブリム”の目を通してある物を捕らえた。
犬だ。全身の皮をむかれたかのような“赤い犬”が他に誰もいない地に立っていた。
するとどうだろうか。フィガロは突如として全身から力が抜けていくのを感じた。巨体を動かして踏み潰そうとするが、脚がいうことを聞いてくれない。犬がねめつける様に視線を向けると、フィガロは磔にされた様に動かなかった。
“イブリム”は振り向いたまま止まっていた。しかし、別の動きがあった。“イブリム”を構成している肉が崩れ始めたのである。堰を切ったかの様に崩壊は止まらず、しばらくするとそこには肉の山だけが残っていた。犬はその山を調べると、しばらくしてフィガロらしき何かをくわえて引きずり出し、そのままどこかへ去っていった。
地獄の終わりは予告なく訪れた。後には一陣の風が吹いていた。
それから数日経ったある日の事。イブリムの調査は終わりとなり、晴れて自由の身と
なったティオバルトはエルドゥイスにいるアウルの元を訪ねていた。
「果たして、あの怪物がイブリムだったのでしょうか?」
「教会がそう断定したんだろ?だったらそうじゃないのか」
これまでの経緯を聞いたアウルはそっけなかった。しかし、現場の兵士が見たという“赤い犬”の話をすると、一瞬悲しそうな、それでいてどこか懐かしむ様な顔をしていた事にティオバルトは内心気になっていた。そういえば、事の後に無事だったフィレンツォとも話をしていたが、彼も同じ顔をしていた気がする。
「何にせよ。これでおしまいさ。お前さんも気楽な身分になったしな。これからどうする?」
「そうは言っても教会の人間ですからね。近いうちに新しい仕事が入ってくるでしょう。それにまい進するだけです。」
「つまらない返事だな。もっと遊んだほうがいいぜ」
この錬金術師は遊ぶことがあるのだろうか。研究することで頭が一杯ではないのか、とティオバルトは思った。
お茶が入りましたよ、と少女の声がした。アウルと同居しているラムのものだろう。ルインも一緒だと思う。
今日から数日間、アウルの家に泊まるつもりだった。エルドゥイスの街を教会の肩書無しで見て回りたかったし、何よりアウルが押し付けたあの鎧について具体的な説明が欲しかったのだ。
「さて、一服して鎧の講義でもしますか。お前さんがすごく聞きたそうだしな」
アウルの軽口にティオバルトは思わず笑みをこぼした。
悪魔に振り回される日々だったが、今は羽を休めよう。まだまだやるべき事はあるのだから。
窓から差し込む陽の光に、明るい兆しを感じたティオバルトだった。
Iblim 沼モナカ @monacaoh
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