第3話 前半

フィガロは死んでいた。いや、死んだような気持ちで日々を送っていた。


今日は久しぶりに部屋から出され、付き人によって着替えをさせられている。


常識離れした、ある意味扇情的な服装を纏った後に広い空間へと連れて行かれる。


空間の中央には深く掘った穴が大きく口を開けており、周りには異様な熱気を帯びた人々が今か今かと待ちわびている。


穴の前まで来ると、フィガロは中を覗き込んだ。つい最近加わった新顔の中年の男が縛られて横たわっている。いい香りが鼻を突いた。食欲をそそるよう香料や料理用油等が掛けられており、悪趣味な料理を思わせるようだ。


唸り声が聞こえてきた。“猟犬”と周りの大人達が称している、自分と年の変わらない若者達が穴の横に備え付けられた檻の中でじっと待機しているのだ。


一度だけ聞かされたが、彼らは近隣から攫われ、この時の為に碌な食事を取らされていない。


飢えに飢えた状態で劣悪な環境に押し込められているのだ。


「さあ、御子様。この者に裁定を」


人々の喧騒を割るかの様に、低い男の声がした。この集団を取り仕切る金持ちと思われる奴の者だ。


「この穴にいる男は、我らの崇高な戒律を無視し、私利私欲に走った。その罪は明白であり、到底無視できるものではない」


「「「死だ!死だ!死だ!」」」


周りの人間達が連呼する。


何やかや言っているが、単に気に入らなくなっただけだろうとフィガロは内心思った。


この異常事態に揺さぶられる心もすっかり無くしたフィガロは作業的に宣言した。


「死を」

檻が開け放たれ、中にいた“猟犬”達が疾走する。


絶叫の後に、咀嚼音が聞こえてくる。“猟犬”となった人間には同じ人間を貪ることに戸惑いは無い。そうなるまで飢えさせられ、痛めつけられてきたからだ。


「あいつらも結構“罪が溜まって”きたんじゃないか?」


周囲の誰かがその言葉を発した。


そうなると“猟犬”となっている彼らもそろそろ居なくなるのだろう。そして新しい誰かがやってくる。


周りから人が離れていく。この興奮を元にして乱交にでも勤しむのだろう。


最後にこの場を離れ、いつもの部屋へ戻るフィガロは疑問せざるをえなかった。


世界とは、何のためにあるのだろうかと。



「着きましたよ」

御者の声でティオバルトは眠りから覚めた。馬車の揺れ心地でしばらく寝ていたらしい。

料金と共に礼を言い、地に足を着けた。見上げれば、目の前には厳格な佇まいをした要塞が辺りを威圧するかの様にそびえ立っている。


思えば長い旅であった。大陸の南、現在最も暗黒地帯となっている所に来るのは容易な事では無い。教会と対立している亜人達が多く住んでいると共に、それを隠れ蓑にして潜んでいる邪教徒がひしめいている。彼らが他の土地へ進行しないため、教会はこの様な要塞をあちこちに立てている。この中では大勢の兵士や、異端審問官等が張り詰めた空気の中、血眼で自分達の敵を見張っているのだ。


門の衛兵に入場の手続きを取った後、一人の兵士によって中を案内される事となった。

中には兵士はもとより、鍛冶屋や雑貨屋といった一般人と思われる人もいる。砦の見張りは長期に渡るため、内部はちょっとした町になっているようだ。


砦内部にはより厳重な見周りがされている様で、兵士達の顔も険しい。武器庫で入念な武器の点検をしていたり、牢屋では、邪教徒と思われる囚人と言い争いをしている光景も見られた。その一方では、食堂でささやかな食事をしながら束の間の安らぎを堪能している者がいれば、内部に設立された教会で祈りを捧げる者もいる。緩急を付けながら、日々の生活を過ごしている様だ。


審問官達は、彼らなりに忙しい日々を送っているようで、邪教徒が連行されてくれば筆舌に尽くしがたい拷問を行ったり、囚人の処遇について議論を交わしている事に明け暮れている。彼らの生活を見るとあまり親しくはなれないとティオバルトは心の中で思った。


そうこうしているうちに砦の最上階の比較的豪華な造りの部屋へ通された。ティオバルトはこの部屋の主に用があったのだ。


「どうぞ、くつろいでくれ」


主はやや疲れを感じる声色で促した。


「初めまして、フィレンツォ司教。お会いできて大変光栄です」


ここを取り仕切るフィレンツォは若くして司教の地位に上り詰めた実力者である。何でも、かのイブリム絡みの事件にて教会に尽力し、その功績を買われたそうである。


「アウルから聞いている。イブリムに関して聞きたい事があるそうだな」


フィレンツォはそう言いながら、少し苦々しく顔を歪ませた。


そう、この司教はあの錬金術師、アウル・アルハザーダルの知り合いなのだそうだ。まあアウルならば、そんな繋がりがあっても不思議ではないが。


「その件ですが、この辺りでの単独調査の許可を頂けないでしょうか。イブリムに関する手がかりを得たいのです」


ティオバルトはこれまでの経緯を話した。バスタ村の一件、さらにエルドゥイスに潜んでいた逸脱者の事などをやや簡潔に伝えた。


「ふむ、浅からぬ縁があるといった所か。所でミュラオン孤児院の出身だそうだな。教会に所属する怪奇系の調査員の多くがそこ出身とは聞いていたが、成程どうして…」


何やら一人で考え込んでいるようだ。ティオバルトは何か話題を切り出そうと口を開いたが、それと同時に部屋の扉を叩く音がした。


「失礼します。ティオバルト様、お部屋の用意が出来ました。それと、あの、例の変な棺の様な代物も置いておきましたが」


「棺?」


フィレンツォは興味を持ったようだ。


「アウル錬金術師から頂いた物です。中身は知りません。と言うより、開かなくて知りようがないというか」


得体の知れない物を持たされたものだ。エルドゥイスの件が片付いた後、お礼だと言って2、3日身体検査をさせられた上、血液やら何やら取られる等面倒な日々を送っていた。


「まあ、あいつの事だから何か意味があるんだろう。良ければ後で見せてくれないか?ああ、それと、調査の方は好きにしろ。そっちも進展があれば聞かせてくれると有難い」


ティオバルトは快い返事をし、礼を言ってから部屋を後にした。気を引き締め、砦の兵士達に周囲の様子について尋ねるべく足を向ける事にした。



当ても無く、何も無く。フィガロはただ足の向くまま歩を進めていた。


外に出られたのが本当に幸運だ。見張りが部屋の鍵をかけずにどこか行ってしまった隙に、どうにかこうにかあの地獄から抜け出してきたのだ。きっと今は騒ぎになっているだろう。見つかれば何をされるか分かったものではない。少しでも遠くへと行こうとするが、具体的な目的地が無ければ足掻きにすらならないだろう。おまけに人に出会ってもどう話題を切り出せば良いのかも分からず、どの人間も今のみすぼらしい恰好から相手にしてくれない。


なので、目の前に村が見えても駆け込む勇気が出ないでいた。


どうしたものか、とふさぎ込んでいると誰かが近づいてくる気配がした。顔を上げると、村の人間だろうか、若い娘がこちらの顔を覗き込んでいた。


「あなた、大丈夫? 酷い恰好だし、顔色も悪いわ」


捨てる神あれば拾う神ありとはこの事だろうか。彼女は何も言わずにフィガロを家に上げ、体を洗い、家族のお古らしき服を着せた後に有り合わせの料理まで振る舞ってくれた。

フィガロはその事に感謝しつつも、事情を上手く話せない事に申し訳なさも感じていた。話せば、彼女やその家族にきっと恐ろしい事が待っているに違いない。


事情を察したのか娘は深く訳は聞かなかった。それどころか、帰ってきた父親と母親を説得し、しばらく家に滞在する許可まで得てくれたのだ。


人の温かさ、優しさにフィガロはその晩寝るまで涙が止まらなかったのだった。



2、3日が過ぎた。ティオバルトは段々とこの周辺の事を理解し始めていた。


ここは元々鉱山が近くにあり、そこから採れる金属類を目的にいくつかの村が出来ていった。開拓を進める内に亜人達と接触し、交流もしていたが文化の違い等で仲が悪くなってしまった。そこへつけ入るかのように邪教徒が紛れ込み、いつしか不穏な地帯となってしまい、見かねた教会が監視も含めて砦を建てた、という経緯があるようだ。


今日も何人か連行される人達がいた。往復に1日掛かる程の遠い村まで遠征したようで、家で奇妙な儀式めいた事をしている所を捕らえたようだ。


情報を提供した者にはささやかな褒美を、捕まった者は苦痛を、その構図がいつしか人々の心を曇らせ、見えない所での蹴落とし合いが起こっている事がティオバルトは心配していた。何かが変わるきっかけがないだろうか。今の状況を終わらせるきっかけが。


そんな事を考えている内にとある村へとやって来ていた。この村のとある家によそ者が居ついているという情報を耳にし、砦の兵士達より先に視察に来たのだ。


一見すると普通の家だ。この家の夫と妻は、日中は鉱山へ通い、一人娘が家事を切り盛りしているらしい。声を掛けてみると娘が出てきた。話してみると彼女にも変わった所はないが、家の中へ入りたいと申し出ると戸惑っていた。そこを穏やかに説得し不承不承許可を得ると、情報通り明らかに家の物ではない少年が食事を取っていた。


「驚かないで。私は何もしないから」


なるべく不安にさせぬよう細心の注意を払って声を掛けた。


「少しだけ、話せる範囲で良いから君の事について聞かせてくれないかな」


「お兄さん、誰? 村の人?」


ティオバルトはいつもの鎧姿ではなく、一般人の恰好をしていた。教会の権威を笠に着ても人は委縮するだけだ。これまでの経験を生かした上での事である。


「この家の知り合いから様子を見るよう頼まれてね。何、特に何かをする事はないから。まずは名前を教えて欲しいな」


持って来た食べ物を少年に渡しつつ彼の答えを待つことにした。


少年はフィガロという名らしい。あても無く彷徨っていた所をこの家の娘に拾われたらしい。人を怖がっているような目を向けつつ、言葉を選びながら話している事がティオバルトは少し気になった。それから彼が少しでも心を開いてくれるようこの辺りでの些細な話題を振ってしばらく時を稼いだ。


「お兄さんは優しい大人なんだね」


フィガロがふと、そんな事を呟いた。


「僕の周りの大人達はそんなんじゃなかった。いつだって人を陥れて、不幸になった所を楽しむ人ばかりなんだ」


「僕、あそこにはもう戻りたくない」


ティオバルトは言葉を失った。このいたいけな少年の口からその様な、人間関係に疲れたような言葉が出た事が信じられなかった。


「僕、どうなるの?」


「どうもしないよ。君は疲れているんだ。もう少しここでゆっくりしなさい。おじさん達と話しておくから」


彼を施設に保護してもらおう。任務とは関係ないが、今すぐにでも動かねば。ティオバルトはまず、この家の主人と話し合う事に決めた。その後に、教会の知り合いにも当たらねばならないだろう。先程までの憂鬱な気持ちから遠ざかるかのように気持ちに活を入れた。


「ごめん下さいまし」


そんな折に、家の外から声が掛かった。娘が応対すると、身なりの整った女性がパンを持って戸口に立っていた。


いつもすみませんと言いながら娘はパン受け取ると女性は会釈をして去っていった。


「失礼、今の女性はどなたですか?」


「以前から、あちこちの村に来ている慈善団体の方だそうです。何でも、とあるお金持ちが今の状況を嘆いて始めたとか」


こんな悪意が渦巻く地でも小さな光はあるものだ。それを嬉しく感じながら娘としばし談笑していた。


ティオバルトは気づかなかった。食卓に座っていたフィガロが絶望に震えながら押し黙っていた事を。



それからティオバルトは忙しい日々を送っていた。フィガロの処遇について村の人々と相談したり、教会関係者へ施設の当てに関して大量の手紙を送り出したり、と半ば任務を忘れていた。それを見たフィレンツォに度々苦情を言われたりしたが、内から沸き起こる熱意が冷めることは無かった。


そんな中、耳を疑う話が入ってきた。


フィガロと彼を匿っていた家族が消息を絶ち、父親と母親の遺体が発見されたのだという。



フィガロは氷ついていた。


分かってはいた。あの大人達がフィガロを放っておく事が無いであろう事も、彼を温かく迎え入れてくれた家族に不幸が訪れる事も分かっていたはずなのに。人の温かみがあまりにも心地良く、甘えてしまっていたのだ。


今、彼はあの服装を身に纏い、二度と見たくは無かったあの儀式へと足を踏み入れていた。

集まっていた集団の輪の中にあの家の娘が横たわっているのが、遠くからでも見える。何も身に着けていない所を見ると、大人達に散々乱暴された後なのは想像に難くない。


「フィガロ、分かっているな」


傍らに立つ男が声を掛けた。


ウォードンというこの男はこの地では有名な資産家で、鉱山の儲けを教会に差し出していることで覚えも良い。かつ、慈善団体を設立し、周囲の村からも好感を稼いでいた。


全てはこの儀式という名の遊びのため。金を使ってよその地の暇な貴族や金持ちを集め、付近から人を攫い、生贄という体で散々弄んできたのだ。


「皆の者!一旦楽しみはそこまでとして、本題に入ろうではないか!」


待ってましたと、場の人間達が耳を傾ける。


「イブリム!お聞き下さい!この娘は我らの御子を惑わし、我々の崇高なる儀式を長くに渡って滞らせてきたのです!その罪、決して許される事では無い!」


そうだそうだ、とあちこちから声がした。


「よって、この娘には罪が溜まっております。それを洗い流すため、“猟犬”達に食わせる事といたします!」


歓声が上がった。死を、死をと連呼する声が辺りを覆っていた。


4人の男達が横たわっていた娘の手足を掴むと勢いをつけて穴の中へと投げ入れた。


やめてくれ、やめてくれとフィガロは懇願しながら涙で前が見えなくなっていた。


自分の何が悪かったのであろう。この場所から逃げた事だろうか。彼女を会った事だろうか。温かい暮らしに浸っていた事が罪だったのだろうか。


腹を空かした“猟犬”が彼女にやって来る。しばらく周りをうろついていたが、“一匹”が彼女に嚙みついた。程なくして人だかりの山ができ始め、今も蠢き続けている。


イブリム!イブリム!と彼らは笑いながら悪魔の名を称え続けている。興奮に耐えかねたのかその場で性交に及ぶ者まで出る次第だ。


自分は悪くない。フィガロの中で冷たく、どす黒い考えが育ち始めていた。


悪いのは彼らだ。彼らの悪行を許す世の中だ。こんな事が許されるのであれば、そんな世の中など要らぬ。人々など要らぬ。


「ど、どうしたフィガロ?そんな顔をしてもお前は何も出来ぬぞ。何も来ぬぞ。分かったのなら今まで通りこの俺の言う事を聞くんだ…」


気圧されたかの様に言い淀むウォードンをねめつけ、フィガロは祈った。


お前達がそんなにも悪魔を呼ぶなら、呼んでやる。いや、悪魔そのものにだってなってやる。


身を焦がす思いでそんな事を願っていると、悪魔は聞き入れたのか奇跡が起きた。


まず、肉を貪っていた人の山の動きが止まった。否、それは最早人の山では無かった。大きな一つの塊がそこにはあった。その体躯に見合う目鼻と口を持ち、大きな四肢を備え馬並の速さで回りの人だかりへと突っ込んだ。阿鼻叫喚。悲鳴と逃げる音、その間に伝わる肉の咀嚼音。欲望が渦巻く儀式の会場は、突如現れた怪物の餌場と化していた。


フィガロは唖然としていたが、しばらくして理解した。


一通り食い尽くしのか、体を何倍にも大きくした怪物はゆっくりとこちらへ近づいてくる。やがて目の前まで来るとフィガロにゆっくりと頭を寄せた。


「な、何だ!?何が起きているんだ!?」


立ち竦んでいたウォードンが口を開け、やっとの思いで疑問を投げかけた。


「何って、あんた達が望んでいたじゃないか。ねえ、イブリム」


そう言うとフィガロは怪物の口の中へ消えていった。



「気持ちは分かるが、当初の目的を忘れすぎじゃないかね?」


フィレンツォは不満げに切り出した。


「そもそも君をここに置いているのは、教会からの命を重んじての特別な措置である事を忘れないでもらいたい。ここは邪教徒殲滅の為に躍起になっている人間達が一杯いるんだ。少しでも邪教徒や悪魔に関する情報が欲しいのに、肝心の君がそんな事にうつつを抜かしているようでは困るんだよ。」


ティオバルトはここ最近上の空であった。フィガロの失踪とあの家族の不幸が大分堪えていたが、今日は朝から調査の準備をしており、昼飯をもらおうと砦の食堂へ向かっている所にフィレンツォに捕まってしまった。切りのいい所で事情を話して、解放してもらおうと機会を伺っていると、慌ただしく、扉を叩く音がした。


真っ青な顔をした兵士が飛び込んできて、早口に報告した。


「大変です、司教様!牢屋の囚人たちが尋常でない様子で暴れております。止めようと兵士が何人か入っておりますが、既に怪我人が出ています!」



上へ、上へ、“イブリム”はひたすらに目指していた。地下に生きている人間は誰も居ない。


狭い穴を如何にか潜り抜けて地面から顔を出した。そこは寂れた教会だった。かつては多くの信者が通い詰めていたが、状況の変化に伴い一人、一人と消えていき、誰も寄り付かなくなった所でいつしか邪教徒の潜伏先と化していた。床を這い、壁を壊して外の光を浴びた。


人々の信仰を集めていた教会は、邪教徒という種を受け入れ、悪意と怨嗟を根付かせ、居もしない悪魔の偶像を宿した。それが現出するまで成長し、地下の穴を上り詰めて世に出たのだ。


見よ!太陽は日食が覆い、空が暗く讃えている!草花や動物は恐れをなして平伏し、人々は恐怖という讃美歌を天高く歌い上げるのだ!

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