猫は廻る

宵埜白猫

猫の命は9個ある

「ねぇ、起きてよ」

泣きそうな君の声が、すぐ近くで聞こえる。

だけど、まぶたが重くて君を見ることが出来ない。

君はいつものように優しく温かい手で、そっと私の頭を撫でてくれる。

「起きてよ……白雪しらゆき


ごめんね。

私、今日はとっても眠いの。

だから……起きたらまた、私の名前、呼んでくれるかな。

めぐみ。私もあなたの名前、呼んでみたかったな。

そんなことを思いながら、私の意識はゆっくりと、暗闇の中に落ちていった。

大好きな君の声を、胸に刻みながら。



🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾



「あら、誰かと一緒なんて久しぶりだわ」

真っ白な光と一緒に降ってきたのは、聞いたことのない誰かの声だった。

「あの、あなたは?」

「私は……そうね。なんて言えばいいのかしら」

私の質問に、目の前にちょこんと座ったメスの三毛猫は悩ましそうな声をあげる。

「私は次で9つめだから、人から貰った名前が沢山あるのよ」


9つめ?何のことだろう。

「ミケ、タマ、菜月なつき、シャーロック、あとはなんだったかしら」

目の前の私を忘れたように、三毛猫は過去の名前を呟いて。

「まぁ、好きに呼んでくれたらいいわ」

「えっと、じゃあ菜月なつきさん?」

私が名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうな顔で続きを促した。

「さっき言ってた9つめって何ですか?」

「あぁ、貴女は初めてなのね。9つめっていうのは、私の旅も次で最後って意味よ」

菜月なつきさんは少し寂しそうに笑って、教えてくれた。


菜月なつきさんが言うには、私たち猫は9つの命があるらしい。

1つ命が終わるとこの場所に来て、次の命が始まるのを待つそうだ。

菜月なつきさんは今8つめを終えてここにいる。

次が本当に最後の命だ。


「……菜月なつきさんは、怖く無いんですか?」

「ふふ、そんなわけ無いじゃない。怖いわよ、とっても」

言葉とは裏腹に楽しそうに、彼女は笑う。

「怖いけど、楽しみでもあるの」

「楽しみ、ですか?」

「ええ、だってもう8回よ!8回も、全く別の生き方をしたの。猫だけじゃなくて、人になったこともあったわ。長かったけど、ほんとに楽しい1つだった」

そこまで言って、菜月なつきさんは優しく笑う。

「だからね、私はもう知ってるの。死ぬのが怖いっていうことよりも、生きるのがどれだけ楽しいことなのか」

不意に、菜月なつきさんが私に聞いた。

「ねぇ、貴女も楽しかったんじゃない?」

「っ!はい!とっても」

1つめでずっと一緒だった女の子を思い出しながら、私ははっきりとそう答えた。


「ふふ、やっと笑ってくれた。せっかく綺麗な顔なんだから、もう眉間に皺なんて寄せちゃ駄目よ」

「私そんな顔してましたか?」

「ええ、ほんとに怖かったんだから」

いたずらっぽく舌を出して、菜月なつきさんが笑う。

「あら、話してたら早いわね」

おもむろにそう言った菜月なつきさんの前に、小さな扉が現れていた。

そして、私の前にも。


「最後に貴女と話せて良かったわ。本当にありがとう」

「私の方こそ、色々教えていただいてありがとうございました!」

私は勢いよく頭を下げる。

「じゃあ、楽しんでね」

「はい。菜月なつきさんも」

私がそう言ったのを聞いて、菜月なつきさんは扉の方へ歩いていく。

ゆっくりと、前足を扉にかけて押していく。

眩しい光が、開いた扉の隙間から差し込む。


「そういえば、貴女の名前を聞いてなかったわ」

扉の中へ踏み込む一歩手前で止まった菜月なつきさんは、私に背を向けたままそう言う。

白雪しらゆきです。私の大切な人が付けてくれた、大好きな名前」

「そう、白雪しらゆき……貴女の白い体に、よく似合ってる。良い名前ね」

そう言って、菜月なつきさんは扉をくぐって、光の中へ包まれていった。


「私も、そろそろ行かないと……」

一人になると、急に寂しさが溢れてくる。

もし菜月なつきさんがいなかったら、この扉にも気づかずに、ずっとここにいたかもしれない。


そっと、前足で扉を押す。

終わりと始まりを隔てるその扉は思っていたより ずっと軽くて、少し触れただけで開いていった。

「ありがとう、菜月なつきさん」

恩人への感謝を最後に残して、私は扉をくぐった。


次は、どんな私になるんだろう。

人間だったらいいな。

もし人間になれたら、今度はあの子の名前を呼んで、ちゃんとお友達になろう。





🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾



目を開けると、私は蒸し暑い夜の公園にいた。

青くて大きな月に照らされて、周りの景色も見えてくる。

丁寧に手入れされた白い毛も、ふさふさの尻尾も私には付いていない。

その代わりに、5本の指が揃った手足と、綺麗な世界を見せてくれる目があった。

初めて見る、モノクロじゃない、色鮮やかな世界。

それと、気持ちを伝えられる声も。

私は人間になれたのね。

「待ってて、めぐみ。もう一度、あなたに会いに行くわ」


私は自分に言い聞かせるようにそう言って、慣れない二本足で歩き始めた。

色づいたこの街は、前より少し小さく見えたけど、そんな事気にならないくらいに綺麗だった。


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猫は廻る 宵埜白猫 @shironeko98

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