青き夏空のプテラノドン

零井あだむ

第1話 青き夏空のプテラノドン


 今でも、あの時の事を鮮明に思い出すことが出来る。


 2020年の8月11日。

 蝉の声が四方八方から響く、うだるように暑い夏の日。

 海の向こうまで見渡せる、おばあちゃん家の軒下で。


 私は水平線の彼方に飛ぶ、プテラノドンを見た。


                 *


「まぁたナツキはそんなこと言って……こないだもUFOとかネッシーだとか言ってなかった? この令和の時代にそんなのいるわけないじゃん。大丈夫?」


 部活動終わりの帰り道。コンビニで買ったソーダ味のアイスを齧りながら、同じ中学で水泳部のハルちゃんは、私に訝しげな目を向けた。


「うん、私も頭がおかしくなったのかと思ったもん。信じてくれないだろうけど……でも確かに見たんだって」


 子供が手放した風船をUFOと勘違いしたりとか、海に浮かんだ流木をネッシーと勘違いして騒いだりした前科のせいで、今や私はオオカミ少年扱いだ。多分、私がハルちゃんの立場でも「こいつまたやばいこと言いだした」と思うに違いない。


 それでも私は、プテラノドンを見たのだ。


                  * 


 私のおばあちゃんの家は、港から少し離れた小高い丘の上にある。軒下から海が見える絶景が自慢の家で、私は風鈴の音を聞きながら、軒下で涼むのが好きだった。昨日の昼下がりも、いつものようにおばあちゃんが切ってくれたスイカを食べながら、水平線の向こうに見える入道雲を眺めていた。


 その時、真っ青に晴れ渡る空を一直線に横切った影があった。


 視界の外から突然現れたそれは、あっけに取られる私を後目に、巨大な翼を羽ばたかせ、風に乗るような優雅さで、水平線の向こうに飛び去った。


 ぽかん、と呆然とする私に、おばあちゃんは「どうしたの」と聞いた。


 私は空いた口が塞がらず、脳裏に浮かんだ「プテラノドン」という、ただ一つの単語を呟くしかなかったのであった。


                  *


 私のおじさんは、とにかく変な人だ。


 三十代も半ばなのに実家住まいで、農家をやっているおばあちゃんと暮らしている。定職に就いていないのは明らかで、遊びに行くと大体家にこもってパソコンをいじっている。かといってプー太郎という訳ではないらしく、お母さん曰く「怪しい雑誌で色々書いてる」とのことで、たまにお使いがてらにお小遣いをくれたりする。


 いわゆるオタクという奴なのか、おじさんの部屋には本がたくさん置いてある。本棚には小説から漫画までぎっしりと詰まっていて、かと言って知識人や文豪っぽい洒落た感じではない。ブランド物と芸能人のスキャンダルが大好きなお母さんの弟とはとても思えない変人っぷりで、特に付き合いのある友達や恋人がいる気配もない。

 

 ただ、私はそんなおじさんが割と嫌いじゃなかったりして、よくおばあちゃんの顔を見るついでに、部屋で古い漫画を読ませてもらったりしていた。お母さんと喧嘩をした時や学校で嫌なことがあった時など、色々と愚痴も聞いてもらったりしているうちに、変人なりに良い人だということが分かってきた。


 どうせ誰にも信じてもらえないならと、とりあえずおじさんに、プテラノドンのことを話してみることにした。


「あながち、なっちゃんの言う事も嘘じゃないかもしれない」


 おじさんは私が近所のコンビニで買ってきたドクターペッパーをがぶ飲みしながら、よっこらせと腰を上げた。そして埃の被った本棚から、背表紙が色あせた恐竜図鑑を取り出した。


「僕が子供の頃の図鑑だけど……まぁ、大きな違いはないだろう」


 ページをぺらぺらと捲ると、すぐに翼竜が載っているページに行きついた。どうやら翼竜にも沢山の種類がいるらしい。ランフォリンクス、プテロダクティルス、ケツァルコアトルス――数ある翼竜の中でも、ひときわ目立つトサカと、ペリカンのように尖ったくちばし、巨大なこうもりのような翼を持つ一種。それがプテラノドン。


「うん、確かにこれだ。間違いない……と思う」


 図鑑の中のプテラノドンは、海の上を飛びながら、水面の魚を狙っていた。私が目撃したそれとうり二つの姿だった。ティラノサウルスとかトリケラトプスとかはまた別の、どうやら生物学的には恐竜とは異なる分類に属する生物らしい。


「だとしたら、なっちゃんはとんでもない大発見をしたことになるな」

 

 とおじさんは、くせっけのある髪をがしがしと掻いた。


「図鑑にもある通り、プテラノドンはだいたい8000万年前――中生代の白亜紀に生息した生き物だ。恐竜と同じく、今は絶滅した動物なんだけど」


 私はコンビニで買ってきた唐揚げをかじりながら、おじさんの話を聞いていた。


「実のところ、世界各地で翼竜の生き残りと思しき未確認動物UMAの目撃例が沢山ある。パプアニューギニアのローペン、アフリカのコンガマトー、アメリカのサンダーバード……そもそも、西洋のドラゴン伝説だって、翼竜の生き残りが目撃されたものと提唱する研究家だっているんだ」


 おじさんは再び本棚に手を伸ばし、今度はオカルト系雑誌を取り出した。雑誌にはカウボーイが翼竜を捕らえている写真や、私が見たプテラノドンに瓜二つな生物が、街の上空を飛んでいるような写真が掲載されていた。


「もしプテラノドンがまだ生き残っているとなれば、とんでもない大発見だ。シーラカンスが見つかった時のレベルじゃない。きっと世間は大騒ぎだろうな」


 おじさんはどこか嬉しそうな表情で言った。こういう、年甲斐もなくはしゃぐ部分がちょっと恥ずかしい部分もあるが、逆にそこが好きな部分だったりもする。


「……もし、さ」


 私はふと、頭に浮かんだ可能性を口に出す。


「もし、私がプテラノドンを見つけて、もし有名人になれたらさ。お父さんとお母さんは、元通りになれるかな」


 お父さんとお母さんが離婚してから、もう半年もの時間が過ぎた。


 母方の姓に変わり、お母さんの田舎であるこの港町に引っ越してから、とっくに生活には慣れたつもりだった。新しい学校の友達だって沢山できた。それでも、お母さんとお父さんが仲良しだったあの時に戻れればと思う時が、今でもある。

 

 大人の事情が複雑なのは分かっている。私はまだ子供で、お母さんとお父さんの仲がどんどん悪くなっていくのを、場の空気でしか感じ取ることが出来なかった。気付いた時にはお母さんについていく以外、選択肢が残されていない状態だった。


「……なんてね。冗談。変なこと言ってごめん」


 今更、元の場所に戻れないことには気づいている。


 お母さんとお父さんは、もう取返しが付かないほどにすれ違ってしまっていて、二度と戻れないと分かったからこそ、離婚という道を選んだのだ。


 わかっている。わかっているけれど。

 割り切れない何かがずっと、胸のうちにつかえていた。


「僕には、お父さんとお母さんが何を考えたのまではわからないけど」


 おじさんは、ペットボトルに少しだけ残っていたドクターペッパーを一気に飲み干すと、複雑な表情のまま、遠くを見て少しだけ笑う。


「それが本物でもそうじゃなくても、なっちゃんが何か凄いことを成し遂げたのなら、お父さんとお母さんは、きっと喜んでくれると思うよ」


 うん、と私は首を縦に振った。


 おばあちゃん家からの帰り道、既に暗くなった夜空を見上げた。

 空一面に星々が浮かび、探せば夏の星座も見つけられそうだった。


 その中で、一筋の流れ星が見えた。


 今度こそ、プテラノドンに出会えますように。


 いっそ馬鹿みたいな願い事をしたほうが、神様が気まぐれで叶えてくれるかもしれない。なんてくだらないことを思いながら、夏の夜空に手のひらを合わせた。

 

                *


 それからと言うもの、私はプテラノドンを探し続けた。


 海岸から無人島まで、プテラノドンがいそうな場所には何度も足を運んだ。聞き込み調査や張り込みをしたが、痕跡どころか目撃例のひとつも見つけられなかった。


 だったら徹底的に、翼竜の生態から調べてやろうと思った。


 翼竜――もとい古生物の研究をするために、ひたすら勉強した。地元で偏差値トップの高校を卒業した後、カナダの大学に留学し、博士号まで取得した。もちろん研究対象は翼竜だ。翼竜の化石を見つけるためなら、見渡す限りの荒地から断崖絶壁まで、どんな過酷なフィールドワークだって全く苦にならなかった。いくつか論文を発表し、新種の翼竜の名付け親になることもできた。


 全ては、あの時見たプテラノドンとまた出会う為。

 私の原動力は、どうやらあの2020年の夏に点火されて以来、十五年の時が過ぎた今でもまだ、燃え尽きる気配はなかった。


 そして、ようやくこの時が来た。


 ベーリング海にあるアドノア島付近の海岸で、翼竜と思しき生物の死骸が打ちあがったとの情報が入った。同時に生きた個体の目撃例が、近隣住民から多く寄せられている。死骸は原型をとどめないほど腐敗が進んでいたが、採取したDNAを鑑定した結果、地球上に現存する生物と一致しない、全く未知の生物という結論が出された。


 私は調査隊を率いてアドノア島に向かうボートに乗っている。記録上、誰も立ち入った事のない未知の無人島にどんな生物がいるのだろうか。新しい発見を心待ちにしながら、十五年前の出会いに想いを馳せる。


 あの時、私が見た翼竜は、遠く離れたアドノア島から飛んできたものだったのだろうか。あれが本物だったのか、あるいは思春期の不安定な精神が生み出した、夏の昼下がりの幻だったのかは、大人になった今でも分からない。


 しかし、プテラノドンが私に人生の目標をくれたのは間違いない。両親の離婚で、人生に希望を見失いかけていた私が、こうして今、学者として成果を出せているのは、あのひと夏の体験があってこそだ。


 島の影が見えてくる。上陸まであと少しだと、調査隊のメンバーが告げる。

 霧に隠れた島の方向から、甲高い鳥のような鳴き声が聞こえた。


 顔をあげて、前を向く。

 私は思い切って振り返ると、調査隊のメンバーに大声で号令をかける。


 さぁ、プテラノドンに会いに行こう。

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