ひまわりになる

吉所敷

ひまわりになる

 窓を開ければ、そこは一面のひまわりが咲いていた。

 私の物語が始まるとすれば、きっと幼少期の思い出や、学生時代に過ごした青春や、憧れの美大に落ちたことも、前の会社に勤めていた頃の話など尚更、する必要もないだろう。

 私の物語は、今この瞬間に窓を開けたところから始まり、そして「人類が終わる」その時に、また同時に終わってしまうのだ。

 

『速報です。ただいま入ってきました情報によりますと、一連の《ひまわり災害》はピークを迎え、アメリカ、中国、ロシアなどでは枯れ葉剤の……いえ、いや、まさか。失礼、しました。ええ、ただいま……その、ロシアに向かっていた調査員との連絡が途絶え……』


 ぶつり。と、厭な音を立てて、部屋の隅っこに置かれている、小さなテレビが壊れた。

 まるで漫画みたいに火花の上がったテレビには、一本の見事なひまわりが咲いている。

 それはテレビの残骸を鉢植えにするようにして、満開の状態で私を見ているような気がした。

 遠くから人々の悲鳴が木霊しているが、だからと言って彼らの悲鳴で私が救われる訳ではない。

 見れば台所の方にも、急激に伸びゆくひまわりの茎が見えた。

 とても美しく、冷蔵庫を破壊していくそれに、私は神々しいという言葉さえ覚える。

 世界中にひまわりが咲くようになったのは、何時のことだったか?

 さてどうだろう。確か、おととしの十二月頃に、季節外れのひまわりということで注目を集めていたような気がする。

 まだ人々が、世界を……地球をひまわりに呑まれるとは、露ほども思っていなかった時期だ。

 やがて南米大陸がひまわりになるまで、そう時間はかからなかった。

 伐っても、焼いても次々と生えてくるひまわりにはバイオ燃料としての価値があると、どこかの研究所が言っていたような気もする。

 とはいえ、ただのセールスマンである私にはまるで理解できることではなく、「ああ、自動車の燃料が安くなれば良いかな」などと思っていた。

 だがしかし、ふたを開けてみればどうか?

 今や世界中がひまわりになっていく。

 私の部屋にも六輪のひまわりが咲いて、埋め尽くされるのも時間の問題だろう。

 飛行機や、ロケット、宇宙ステーションでも容赦なく生えてくるひまわりに対して、逃れられるものはいないのだ。 


 いや、そうだ。そうか。


 思い立って、私はクローゼットの扉を開けた。

 今や世界中がひまわりになってしまい、人間文明が終わりを迎えようとしているのに。

 どうして私は筆を握っていないんだろう。

 もはや着ることがないと思い、よれよれのまま放置していたスーツや、打ち棄てられたネクタイの山の中に手を伸ばせば、そこには確かにあの日、捨てた筈のものがあった。

 カンバスなどという上等なものではない。

 何度も何度もラフを書き、汚れた私の腕で更に端を潰されている、一冊のスケッチブックだ。

 繰り返し、繰り返し書き直しては、こうじゃない。ああじゃないと唸っていた、あの……捨てられていなかったんだと、私は悟る。

 世界がひまわりになっていく今でさえ、私はきっと超常的な力によって、思い出のスケッチブックが帰ってきたんだとは、思えなかった。

 惨めに全てを捨てることさえ出来なかった私が、ただ捨てることも出来なかっただけなのだろう。

 恋人の横顔や、無機質なガラス瓶のスケッチも超えて、やがて白紙のページに辿り着いた。

 この行為に意味はあるのだろうか。いや、きっとこんなものに意味はない。

 だが描きたい。描かねば死にきれないのである。

 ペン。ペンはどこだ。そうだ、慌てているから忘れていたが、それは確かテレビの下にあった。

 古いシャーペンだが思い出の品という訳でもない。

 入社祝いに貰ったもので、捨てるのも勿体ないからと十年間、使い続けていただけのか細いシャーペンを手に取って、私は窓へと急いで駆け出した。

 部屋の中に咲いた十二輪のひまわりが、私の一挙手一投足を見守るようにして、じっとこちらを睨んでいるのが、背中に突きささる視線で分かる。

 

 眼下には滅びる東京があり、増えすぎたひまわりで崩壊していく建物が、私の意欲を増していく。

 

 人々がやれ世界の終末だとか、人類への天罰だとか、そんな与太を叫んでいても、ひまわりは全てを呑み込んで咲くだけだ。

 そう。意味はない。きっとひまわりに意味はない。

 そこに意味を見いだすことにさえ、なんの興味もなく、ひまわりはただ咲いていく。

 きっとそうだったんだ。

 私の物語は、今始まり、今終わるのだ。


 満開のひまわりを描き、私はやがてひまわり以外の何も見えなくなっていく。

 外に咲くたくさんのひまわりは、黄金に輝く花の環が、太陽を見つめるようにして空を見上げているというのに、部屋の中にあるひまわりは私だけを睨んでいる。

 私の身体に力が入らなくなったとき、その腕にひまわりが生えていることを知った。

 動けなくなった私に対して、ひまわりは容赦なく生えていく。


「ああ、そうか。これが……ひまわりか……」


 ひまわりは、私を見てくれていた。

 最後まで。 

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ひまわりになる 吉所敷 @klein14

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