【終章】社畜騎士団
終章
信じられないことが起こった。
会社に、もうひとりの僕が現れたのだ。
ただ、似ているのは顔の造りだけで、髪型も服装もまったく違っていた。
その男に対面した部下の林は、こう証言した。
「目がギラギラしてて、自信がありそうでした。日焼けして、ガタイも良くて、ちょっとカッコ良かった。あんなの課長じゃない!」
興奮のあまり看過できない本音を語ってしまっているが、ともかく、その男は僕ではない。その時間、月島局長と三階の生産局に行き、カンボジアの工場用地視察の件で打ち合わせをしていたからだ。
『僕』――僕の
弓鳴のことは知っている。
人目を引きつける容姿と、『狂犬』と呼ばれるほど激しい性格の持ち主。
しかし、これまで言葉をかわしたのは
それから、奇妙なことが立て続けに起こった。
月島さんが打ち合わせの後に外出し、そのままオフィスに戻らなかった。
社長が出席する会議まですっぽかしたのだから、尋常ではない。
何十回も携帯を鳴らしたが、月島さんには繋がらなかった。
翌日、
社長は火消しに
「あいつが犯人だ! 絶対に逃がすなよ!」
月島さんは住んでいたマンションを引き払い、携帯の類も解約していた。すべて事前に計画していたのだろうか。
同じ日に、オフィスに差出人不明の郵便が届いた。
宛名の筆跡には、見覚えがなかった。
中に入っていたのは、薄汚れた携帯。
自分の携帯とよく似ていた――カバーについた傷の位置まで。
薄気味悪かったが、好奇心に負けて触ってみると、僕の指紋でロックが外れた。
怖くなった。アプリや連絡帳が僕の携帯とまったく同じだったのだ。
違うのは、保存されていた大量の記録。
まず興味を引かれたのは、携帯の持ち主が最後に撮った写真だ。遺跡のようなところで、男女が並んで映っている。
男の顔を見て、あっと声が出た。
日焼けした、僕によく似た男。
会社に現れた『僕』――彼がこの携帯の持ち主に違いない。
そして女は、弓鳴真記によく似ていた。僕に体を寄せて、ピースしている。柔らかな笑顔は、会社で見かける
二人は、とても親密な関係に見える。
圧巻なのは、大量の音声データだった。
自分の声、他人の声、物音。
文章の記録も少なくはないが、『僕』は主に音声で記録を残していたらしい。
僕は毎日それを聞くようになった。
仕事の移動中に。
休みの日に喫茶店で。
眠る前に。
次に、文字に起こしてみた。
重複する部分を削り、前後を入れ替え、意味が通るように言葉を足して。
それは、会社のビルごと中世イタリアに飛ぶという荒唐無稽な物語だった。
物語の中で弓鳴がイタリア語では歴史と物語が同じ『ストーリア』で表されると言っていたが、何度も聞き、自分で文字にすることで、次第にそれが実際に起こったことのように思えてきた。中世イタリアの匂いが、風が、会話が、思いが、自分の脳裏に再現された。実際にあった歴史として、もうひとつの人生として、体の中に染み込んできた。
図書館で本を借りたりインターネットで検索して、フィレンツェの歴史を調べてみた。そこには、まったく『僕』たちの痕跡がなかった。
あの最後の音声記録のあと、『僕』はどうなったのか。
ひとつの可能性が思い浮かんだ。
僕はその裏付けを取ることにした。
× × × ×
会社を告発するリーク記事は、二弾、三弾と続報が出て、騒ぎが大きくなった。
あの『物語』が事実だとすれば、仕掛け人は朽木さんということになる。新卒の内定辞退者が続出し、SNSでは、
社長は神経を
「おい、何かアイディアを出せ、局長代理!」
月島さんが失踪したため、僕は課長のまま、局長代理の肩書きを与えられていた。
思いついたことを素直に提案した。
「若手を中心にしたチームで商品を開発して、その製品を大々的に売り出すのはどうでしょう。古い体質の会社というイメージを一新する効果があると思います」
「若手? 誰だ」
「人数が多くて、様々な部署を横断している『黄金世代』がいいと思います」
社長は少し考えたあとで、うなずいた。
「一週間以内に企画書を出せ。ろくなアイディアが出なかったら、その話は終わりだ。ムーブ!」
両手を叩いて、去っていく。
僕はさっそく『黄金世代』の社員にメールを出し、五階の会議室に呼び出した。
遊馬、匠司、晴川、それに弓鳴。
物語の中で評議会を形成していたメンバーだ。
会議室の前の廊下で待っていたら、弓鳴が一番乗りでやってきた。
「茶山さん! あの、ですね……」
勢いよく切り出したものの、急に歯切れが悪くなった。
人の目を気にしたのか、あたりを見回してから意を決した様子で続けた。
「すみません、すごく変な話をします。少し前、オフィスに私が持っているのとそっくりな携帯が届きまして。切手は貼ってあるけど差出人が書いてないし、気持ち悪くてしばらく放っておいたんですが、自分のパスワードで
弓鳴の携帯のことは、『僕』の記録の中では何も触れられていなかった。
ということは、やはり――
「もしかして、中世イタリアの……?」
弓鳴が目を丸くして、嬉しそうに手を叩いた。
「そうです、それです! 良かった、茶山さんも記録を残していたんですね」
「……君は、それが実際にあったことだと思う?」
弓鳴は真剣な顔でうなずいた。
「だって私、この時代に戻ってきた『茶山さん』に会いましたから」
そうだ。『僕』は、危険を冒して弓鳴に会いに行ったのだ。
弓鳴は急に目を伏せた。
「な、なんか、自分がしたことじゃないのに、照れますね……。あの……、最後の夜に、私たち、一線を越えちゃって――」
「越えてないよね?」
思わず、大きな声が出た。
弓鳴が顔を紅潮させて反論する。
「完全にラインオーバーですよ!」
「待った、君の言うラインってどんな線?」
言いながら、笑いが込み上げてきた。
『僕』と『彼女』はこんな風に中世イタリアで言い合いをしていたのだろうか。不思議だ。中世イタリアでの出来事は、僕たちの実体験ではなくただの記録に過ぎないのに――いま、互いの言葉の奥に、微かな熱がある。
「そ、それは、だから一般的に……」
弓鳴が答えかけたとき、エレベーターの扉が開いた。
同時に乗りあわせたらしく、残りのメンバーが揃って降りてきた。
弓鳴が早口で言った。
「今度、お茶しながら、情報のすりあわせをしませんか。私の記録は、教会に行く前で終わっているんで、その後どうなったのか、すごく気になって」
『彼女』の目から見た三年半は、どうだっただろう。
「うん……、ぜひ」
「候補日、メールします」
弓鳴が言い、同期たちに手を振って先に会議室に入っていく。
「お疲れでーす……」
遊馬は整った顔に複雑な表情を浮かべている。
彼ら同期の中では、僕はおそらく、森口透の
晴川が僕だけに聞こえる声で言った。
「妄想はあんまり大声で話さん方がええよ」
僕は手で晴川を制止した。
他のメンバーが会議室に入ってから、小声で聞く。
「晴川、おれは郵便局に行けなかったんだな?」
経営戦略局のスタッフは、社内のデータを
僕は晴川の採用試験時のエントリーシートを調べた。携帯が入っていた封筒に書かれた文字と、筆跡が一致していた。郵送したのは、『僕』ではなく晴川だ。ということは、『僕』は――
晴川が苦笑いをして言った。
「茶山さん、会社を出たあと、ツッキーに追いつかれたんや。すぐ分かんねん、自分の社員証やから。寄り道すなって念押ししたのに……、なんで? 真記ちゃんから伝言聞いたやろ?」
「……君のところに直行していたら、どうなった?」
「まあ、最終的に死んでもらったとは思うけども」
「同じだろ! ……というか晴川、君はもしかして記憶が丸々――」
「茶山さんの持ってた社員証、ウチが表示方法を変えたやん? そんときに、いろいろ仕込ませてもらいました。あ、
「……携帯を送ったのは、仕事の規律違反にならないのか? 君は、わざわざ弓鳴の遺体から携帯を回収して同じことをしたんだろ?」
晴川が、舌をペロッと出した。
「違反も違反。ウチら共犯者ですよ」
「そこまでして……、ありがとう」
「ちゃうねん、ホント言うと茶山さんはついでやねん。真記ちゃんのためや。誰より苦労したし、ウチのことも最後まで信じてくれたし。ささやかな思い出を残してあげるくらいは――二人で楽しむ分にはええんちゃうかなと思って」
「……君は、なんだかんだいって優しいよな」
「気づくの遅いわ。……ま、引き続き、よろしゅうに頼んます」
晴川がふてぶてしく笑って、頭を下げた。
× × × ×
五分遅れて、会議が始まった。
まず最初に、森口透のことについて触れた。
「先に言っておきたいことがある。君たちの亡くなった同期の死におれが関係しているという噂。あれはデマだ。対応したのは社長と月島元局長で、おれは一切関わっていない」
遊馬と匠司が、困惑顔で視線をかわした。
事情を知っている女性陣は、何となく気まずそうにしている。
「でも、今日集まってもらったのは、そのことを釈明したいからじゃない。仕事をするうえで、わだかまりはなくしておきたかった」
「仕事って、このメンツで何をやるんですか。新卒採用向けの紹介動画とか?」
『物語』でそうだったように、遊馬が話の流れを作ってくれる。
「君たちには、商品を開発してもらいたい」
これには、全員が驚いたようだ。
弓鳴が素朴な疑問を投げかけてきた。
「かなり唐突ですね。本当に製品化前提の話なんですか?」
「ああ、そうだ。どうせなら、世界一の靴を作ろう」
世界一という単語に、晴川が笑った。
「どしたん、茶山さん。テンションおかしない? そもそも靴って雑に言うてますけど、カテゴリーは?」
「特に指定されていない」
「丸投げってことですか」
匠司の口調には、ひとかけらも友好の意思を感じなかった。
「たとえば、バイオ素材を使ったスニーカーはどうだろう。植物由来とか」
「バイオ素材……?」
匠司の目が輝いたのを、僕は見逃さなかった。
遊馬が腕組みして、首を
「企画会議を通りますかね。こう言っちゃなんですけど、ウチの局のボスが黙っているとは思えないな」
「虎丸さんは、おれが押さえる。これは社長案件だから、押し切れるはずだ。プロジェクトマネージャーは、弓鳴にやってもらいたい」
弓鳴が、びくっと体を震わせた。
「はっ? 私? ……なんでですか」
「できるだろ?」
中世イタリアで自分がしたことを知っているなら、僕が指名した理由も分かるはずだ。
「本気ですか? でも……」
助けを求めるように、隣に座る晴川を見る。
「会社が絶賛炎上中やから、若手の活躍を宣伝に使って火消しがしたいっちゅうことやろ? ほんで、茶山さんはウチらを踏み台に、出世すると」
僕はうなずいてみせた。
「そうだ。おれは出世したい。出世しなきゃ、何も変えられないからね」
遊馬が机に身を乗り出した。
「変えるって、何をです」
「この会社の空気。古い体制。ダメな規則。……ひとつの製品開発が、いろんなことを変えていくきっかけになるかもしれない」
まずは、部署を横断した仕事を成功させる。
出世し、役員になり、会社の仕組みをひとつずつ変えていく。
他の役員と――たとえば宮間さんと協力し、足場を固めて機会を待つ。
そしていつか、社長を倒す。
この戦いは、社長との約束でもある。
「君はどう思う? そんな靴を作れるか?」
僕は匠司を見た。
匠司は真っ直ぐに僕を見返してきた。
「――やりたい。やります」
そうだ、匠司。君は靴を作るだろう。
ここがいつでも。どこでも。
あの『物語』の中で、そうしたように。
「よーし、乗った! 賢太郎がやるんなら、やりますよ、おれも」
遊馬が元気よく拳を突き上げた。
「待って、そもそも匠司、スニーカー作れるの? 専門外じゃないの?」
弓鳴はまだ不安そうな顔をしている。
「匠司ならやれるって。いっちょウチらの代でやったろうや!」
晴川が弓鳴を煽って、手を挙げた。
同期たちの視線が、弓鳴に集まる。
「……みんな、ノリだけで言ってない?」
弓鳴が仲間たちを見回す。
いつしか、会議室の空気が熱を帯びている。それぞれの目の中に、これまでとは違った光がある。
弓鳴が僕に向かって挑戦的な笑みを浮かべた。
「失敗しても、茶山さんが責任とってくれるんですよね? それ、ちゃんと言ってください」
携帯を取り出して、僕に向ける。
ピッ、と電子音が鳴る。
そうだ。君はそうでなくては。
「責任はおれが取る。さあ、仕事をしよう」
プロジェクト名は決めている。
『カヴァレリア』――意味は、騎士団だ。
僕たちは、力いっぱい物語を生きた。
今日、ここから、この会社の新しい歴史を始める。
(終わり)
社畜たちへの史上最大のムチャブリ。――中世イタリアで、三年半生き延びろ 夜澄大曜 @yasumi-taiyo
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