【終章】社畜騎士団

終章

 信じられないことが起こった。

 会社に、もうひとりの僕が現れたのだ。

 ただ、似ているのは顔の造りだけで、髪型も服装もまったく違っていた。

 その男に対面した部下の林は、こう証言した。


「目がギラギラしてて、自信がありそうでした。日焼けして、ガタイも良くて、ちょっとカッコ良かった。あんなの課長じゃない!」


 興奮のあまり看過できない本音を語ってしまっているが、ともかく、。その時間、月島局長と三階の生産局に行き、カンボジアの工場用地視察の件で打ち合わせをしていたからだ。


 『僕』――僕の偽者にせものは、サイドチェストから魔法瓶を盗んでいった。腹立たしいことに、コーヒーの趣味まで似ているらしい。問題なのは、次に取った行動だ。『僕』は四階の管理局に行き、総務部の弓鳴真記に声を掛けたのだった。


 弓鳴のことは知っている。

 人目を引きつける容姿と、『狂犬』と呼ばれるほど激しい性格の持ち主。

 しかし、これまで言葉をかわしたのは挨拶あいさつ程度で、まともに会話をしたことはない。そもそも、入社年次が十年も離れている。一番分からないのは、会話の内容だ。で盛り上がっていたという。

 

 それから、奇妙なことが立て続けに起こった。

 月島さんが打ち合わせの後に外出し、そのままオフィスに戻らなかった。

 社長が出席する会議まですっぽかしたのだから、尋常ではない。

 何十回も携帯を鳴らしたが、月島さんには繋がらなかった。


 翌日、会社コローレのブラックな企業体質を告発する記事がネットを騒がせた。

 社長は火消しに躍起やっきになり、怒りの矛先ほこさきは、突然姿を消した月島さんに向けられた。


「あいつが犯人だ! 絶対に逃がすなよ!」


 月島さんは住んでいたマンションを引き払い、携帯の類も解約していた。すべて事前に計画していたのだろうか。

 同じ日に、オフィスに差出人不明の郵便が届いた。

 宛名の筆跡には、

 中に入っていたのは、薄汚れた携帯。

 自分の携帯とよく似ていた――カバーについた傷の位置まで。

 薄気味悪かったが、好奇心に負けて触ってみると、僕の指紋でロックが外れた。

 怖くなった。アプリや連絡帳が僕の携帯とまったく同じだったのだ。

 違うのは、保存されていた大量の


 まず興味を引かれたのは、携帯の持ち主が最後に撮った写真だ。遺跡のようなところで、男女が並んで映っている。

 男の顔を見て、と声が出た。

 日焼けした、僕によく似た男。

 会社に現れた『僕』――彼がこの携帯の持ち主に違いない。

 そして女は、弓鳴真記によく似ていた。僕に体を寄せて、ピースしている。柔らかな笑顔は、会社で見かける無愛想ぶあいそうな表情とまったく違う。

 二人は、とても親密な関係に見える。

 

 圧巻なのは、大量の音声データだった。

 自分の声、他人の声、物音。

 文章の記録も少なくはないが、『僕』は主に音声で記録を残していたらしい。 

 僕は毎日それを聞くようになった。

 仕事の移動中に。

 休みの日に喫茶店で。

 眠る前に。

 次に、文字に起こしてみた。

 重複する部分を削り、前後を入れ替え、意味が通るように言葉を足して。


 それは、会社のビルごと中世イタリアに飛ぶという荒唐無稽な物語だった。

 物語の中で弓鳴がイタリア語では歴史と物語が同じ『ストーリア』で表されると言っていたが、何度も聞き、自分で文字にすることで、次第にそれが実際に起こったことのように思えてきた。中世イタリアの匂いが、風が、会話が、思いが、自分の脳裏に再現された。実際にあった歴史として、もうひとつの人生として、体の中に染み込んできた。


 図書館で本を借りたりインターネットで検索して、フィレンツェの歴史を調べてみた。そこには、まったく『僕』たちの痕跡がなかった。

 あの最後の音声記録のあと、『僕』はどうなったのか。

 が思い浮かんだ。

 僕はその裏付けを取ることにした。


 × × × ×


 会社を告発するリーク記事は、二弾、三弾と続報が出て、騒ぎが大きくなった。

 あの『物語』が事実だとすれば、仕掛け人は朽木さんということになる。新卒の内定辞退者が続出し、SNSでは、一躍いちやくブラック企業の代名詞になってしまった。

 社長は神経をとがらせた。


「おい、何かアイディアを出せ、局長代理!」


 月島さんが失踪したため、僕は課長のまま、局長代理の肩書きを与えられていた。

 思いついたことを素直に提案した。


「若手を中心にしたチームで商品を開発して、その製品を大々的に売り出すのはどうでしょう。古い体質の会社というイメージを一新する効果があると思います」


「若手? 誰だ」


「人数が多くて、様々な部署を横断している『黄金世代』がいいと思います」


 社長は少し考えたあとで、うなずいた。


「一週間以内に企画書を出せ。ろくなアイディアが出なかったら、その話は終わりだ。!」


 両手を叩いて、去っていく。

 僕はさっそく『黄金世代』の社員にメールを出し、五階の会議室に呼び出した。

 遊馬、匠司、晴川、それに弓鳴。

 物語の中で評議会を形成していたメンバーだ。

 会議室の前の廊下で待っていたら、弓鳴が一番乗りでやってきた。


「茶山さん! あの、ですね……」

 

 勢いよく切り出したものの、急に歯切れが悪くなった。

 人の目を気にしたのか、あたりを見回してから意を決した様子で続けた。


「すみません、すごく変な話をします。少し前、オフィスに私が持っているのとそっくりな携帯が届きまして。切手は貼ってあるけど差出人が書いてないし、気持ち悪くてしばらく放っておいたんですが、自分のパスワードでひらけて……、そしたら中に、三年半分の記録があって」

 

 弓鳴の携帯のことは、『僕』の記録の中では何も触れられていなかった。

 ということは、――

 

「もしかして、中世イタリアの……?」


 弓鳴が目を丸くして、嬉しそうに手を叩いた。


「そうです、です! 良かった、茶山さんも記録を残していたんですね」


「……君は、それが実際にあったことだと思う?」


 弓鳴は真剣な顔でうなずいた。


「だって私、この時代に戻ってきた『茶山さん』に会いましたから」


 そうだ。『僕』は、危険を冒して弓鳴に会いに行ったのだ。

 弓鳴は急に目を伏せた。


「な、なんか、自分がしたことじゃないのに、照れますね……。あの……、最後の夜に、私たち、一線を越えちゃって――」


?」


 思わず、大きな声が出た。

 弓鳴が顔を紅潮させて反論する。


「完全にラインオーバーですよ!」


「待った、の言うラインってどんな線?」


 言いながら、笑いが込み上げてきた。

 『僕』と『彼女』はこんな風に中世イタリアで言い合いをしていたのだろうか。不思議だ。中世イタリアでの出来事は、僕たちの実体験ではなくに過ぎないのに――いま、互いの言葉の奥に、微かな熱がある。


「そ、それは、だから一般的に……」


 弓鳴が答えかけたとき、エレベーターの扉が開いた。

 同時に乗りあわせたらしく、残りのメンバーが揃って降りてきた。

 弓鳴が早口で言った。


「今度、お茶しながら、情報のすりあわせをしませんか。私の記録は、教会に行く前で終わっているんで、その後どうなったのか、すごく気になって」


 『彼女』の目から見た三年半は、どうだっただろう。


「うん……、ぜひ」


「候補日、メールします」


 弓鳴が言い、同期たちに手を振って先に会議室に入っていく。


「お疲れでーす……」


 遊馬は整った顔に複雑な表情を浮かべている。

 彼ら同期の中では、僕はおそらく、森口透のかたきのままなのだ。

 晴川が僕だけに聞こえる声で言った。


「妄想はあんまり大声で話さん方がええよ」


 僕は手で晴川を制止した。

 他のメンバーが会議室に入ってから、小声で聞く。


「晴川、おれは便?」


 経営戦略局のスタッフは、社内のデータを閲覧えつらんできる強い権限を持つ。

 僕は晴川の採用試験時のエントリーシートを調べた。携帯が入っていた封筒に書かれた文字と、。郵送したのは、『僕』ではなく晴川だ。ということは、『僕』は――


 晴川が苦笑いをして言った。


「茶山さん、会社を出たあと、。すぐ分かんねん、自分の社員証やから。寄り道すなって念押ししたのに……、なんで? 真記ちゃんから伝言聞いたやろ?」


「……君のところに直行していたら、どうなった?」


「まあ、最終的に死んでもらったとは思うけども」


「同じだろ! ……というか晴川、君はもしかして――」


「茶山さんの持ってた社員証、ウチが表示方法を変えたやん? そんときに、いろいろ仕込ませてもらいました。あ、かたきは討ったで、キッチリな。説明不足だったんは謝るけど、携帯も送ったんやし、これで貸し借りナシにしましょ」


「……携帯を送ったのは、仕事のにならないのか? 君は、わざわざ弓鳴の遺体から携帯を回収して同じことをしたんだろ?」


 晴川が、舌をペロッと出した。


「違反も違反。ウチら共犯者ですよ」


「そこまでして……、ありがとう」


「ちゃうねん、ホント言うと茶山さんはやねん。真記ちゃんのためや。誰より苦労したし、ウチのことも最後まで信じてくれたし。ささやかな思い出を残してあげるくらいは――二人で楽しむ分にはええんちゃうかなと思って」


「……君は、なんだかんだいって優しいよな」


「気づくの遅いわ。……ま、引き続き、よろしゅうに頼んます」


 晴川がふてぶてしく笑って、頭を下げた。


 × × × ×

 

 五分遅れて、会議が始まった。

 まず最初に、森口透のことについて触れた。


「先に言っておきたいことがある。君たちの亡くなった同期の死におれが関係しているという噂。あれはデマだ。対応したのは社長と月島元局長で、おれは一切関わっていない」


 遊馬と匠司が、困惑顔で視線をかわした。

 事情を知っている女性陣は、何となく気まずそうにしている。


「でも、今日集まってもらったのは、そのことを釈明したいからじゃない。仕事をするうえで、わだかまりはなくしておきたかった」


「仕事って、このメンツで何をやるんですか。新卒採用向けの紹介動画とか?」


 『物語』でそうだったように、遊馬が話の流れを作ってくれる。 


「君たちには、商品を開発してもらいたい」


 これには、全員が驚いたようだ。

 弓鳴が素朴な疑問を投げかけてきた。


「かなり唐突ですね。本当に製品化前提の話なんですか?」


「ああ、そうだ。どうせなら、世界一の靴を作ろう」


 世界一という単語に、晴川が笑った。


「どしたん、茶山さん。テンションおかしない? そもそも靴って雑に言うてますけど、カテゴリーは?」


「特に指定されていない」


「丸投げってことですか」


 匠司の口調には、ひとかけらも友好の意思を感じなかった。


「たとえば、バイオ素材を使ったスニーカーはどうだろう。植物由来とか」


「バイオ素材……?」


 匠司の目が輝いたのを、僕は見逃さなかった。

 遊馬が腕組みして、首をかしげる。


「企画会議を通りますかね。こう言っちゃなんですけど、ウチの局のボスが黙っているとは思えないな」


「虎丸さんは、。これは社長案件だから、押し切れるはずだ。プロジェクトマネージャーは、弓鳴にやってもらいたい」


 弓鳴が、びくっと体を震わせた。


「はっ? 私? ……なんでですか」


「できるだろ?」


 中世イタリアで自分がしたことを知っているなら、僕が指名した理由も分かるはずだ。


「本気ですか? でも……」


 助けを求めるように、隣に座る晴川を見る。


「会社が絶賛炎上中やから、若手の活躍を宣伝に使って火消しがしたいっちゅうことやろ? ほんで、茶山さんはウチらを踏み台に、出世すると」


 辛辣しんらつな指摘だが、口調が軽やかで、そこまで悪意は感じない。

 僕はうなずいてみせた。


「そうだ。おれは出世したい。出世しなきゃ、何も変えられないからね」


 遊馬が机に身を乗り出した。


「変えるって、何をです」


「この会社の空気。古い体制。ダメな規則。……ひとつの製品開発が、いろんなことを変えていくきっかけになるかもしれない」


 まずは、部署を横断した仕事を成功させる。 

 出世し、役員になり、会社の仕組みをひとつずつ変えていく。

 他の役員と――たとえば宮間さんと協力し、足場を固めて機会を待つ。

 そしていつか、

 この戦いは、社長との約束でもある。


「君はどう思う? そんな靴を作れるか?」


 僕は匠司を見た。

 匠司は真っ直ぐに僕を見返してきた。

 鼈甲べっこうぶちのメガネに触れ、位置を直してから、小さく手を挙げた。


「――やりたい。やります」


 そうだ、匠司。君は靴を作るだろう。

 ここがいつでも。どこでも。

 あの『物語』の中で、そうしたように。


「よーし、乗った! 賢太郎がやるんなら、やりますよ、おれも」


 遊馬が元気よく拳を突き上げた。


「待って、そもそも匠司、スニーカー作れるの? 専門外じゃないの?」


 弓鳴はまだ不安そうな顔をしている。


「匠司ならやれるって。いっちょウチらの代でやったろうや!」


 晴川が弓鳴を煽って、手を挙げた。

 同期たちの視線が、弓鳴に集まる。


「……みんな、ノリだけで言ってない?」


 弓鳴が仲間たちを見回す。

 いつしか、会議室の空気が熱を帯びている。それぞれの目の中に、これまでとは違った光がある。

 弓鳴が僕に向かって挑戦的な笑みを浮かべた。


「失敗しても、茶山さんが責任とってくれるんですよね? それ、ちゃんと言ってください」


 携帯を取り出して、僕に向ける。

 ピッ、と電子音が鳴る。

 そうだ。

 

「責任はおれが取る。さあ、仕事をしよう」


 プロジェクト名は決めている。

 『カヴァレリア』――意味は、騎士団だ。


 僕たちは、力いっぱい物語を生きた。

 今日、ここから、この会社の新しい歴史を始める。

 

                                  (終わり)

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社畜たちへの史上最大のムチャブリ。――中世イタリアで、三年半生き延びろ 夜澄大曜 @yasumi-taiyo

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