遺留品
扇智史
* * *
(ここに展示されているのは、「霧」の惨禍の後、封鎖領域から発見された遺留品の一部である。
「霧」の消失から105日後、調査隊は、犠牲者のひとり(Aと呼称する)が所持していたメモを発見した。以後、Aの足跡をたどるように、同じ大きさとデザインを持つ複数のメモが相次いで見つかり、「霧」内部での状況を推測する貴重な資料として巷間の話題をさらうこととなった。
一見、何の変哲もないメモ用紙のようであるが、その材質やインクの成分はあらゆる分析を拒んでおり、その由来は一切明らかになっていない。
メモにふられた整理番号は発見された順序を表しており、メモが書かれた時系列を示すものではない。)
整理番号・1
「やっと
整理番号・2
「この景色は知っている。もしもスマホがまともに動作したら、写真をとっておきたかったのに。わたしと陽香がいっしょに過ごしたあの街だ。小学校の校舎も、古い文房具屋も、ペンキのはげたバス停のベンチも。
ほんとうはなにも変わっていなかったんだ。おとうさんも、おかあさんも。」
整理番号・3
「陽香に会ったらなんて謝ろうかずっと考えている。まさか、こんなことが起こるなんて思っていなかったから。霧がわたしたちをこんなに遠ざけてしまうかもしれないなんて、想像できるわけもなかったから。
あんな他愛ないケンカだってするべきじゃなかった。もう理由も忘れてしまったような、ちいさないさかいだ。それでほんのすこし距離が間遠になって、いつ謝ろうか迷っているうちに、世界は霧に包まれて、私たちは会いに行くどころか、メッセージを飛ばすことさえできなくなってしまった。
謝りたい。陽香は、その名のとおり明るくておだやかな子だから、きっとゆるしてくれる。この霧の中では誰もがゆるしあっているのだから。」
整理番号・4
「とりこわされたマンションでだれかがシーツを干している。こどもが落ちた。落ちたこどもが屋上でわらっている。」
整理番号・5
「わたしはすくわれている。」
整理番号・6
「昨日は死んだはずの恩師と会って、長々と話をした。陽香といっしょに住んでいる話をして、夕食の分担がちっとも守られない話や、朝のゴミ捨てができない話や、テレビを見るかネットで映画を見るかで毎日言い争っている話をした。そのすべてを、先生は静かに聞いて、認めてくれた。
私の知っている先生はとても頭が硬くて、同性同士の関係なんて絶対認めない保守的な人だった。
だけど、この霧の中で、誰の正気がほんとうだと言えるだろう? 嘘がほんとうになってしまって何が悪いというのだろう?」
整理番号・7
「そぞろ歩き、笑い、唄う人々の、どれが生きているのか区別がつかない。このなかに陽香が含まれていたとして、それが亡霊でないとどうして言い切れるだろう?」
整理番号・8
「この霧の中では誰もがゆるしあっている。」
整理番号・9
「自分のしたことを思い出せ。私は私をゆるしちゃいけない。」
整理番号・10
「霧は死者をよみがえらせるのだろうか? それとも、ただ生きている人の願望を映し出しているだけなのだろうか? だとしたら、きっと陽香も私(以下は破損していて読み取れない)」
整理番号・11
「いつのまにか、この霧の中に包まれていると、安心するようになった。
会う人はみんなやさしい。あの母が、私の背中をやさしくなでてくれる日が来るなんて思いもしなかった。私が陽香といっしょに住むことを決して許さず、2度と我が家の敷居をまたがせない、と告げた母。
あの棺桶の中の死顔が最後だと思っていたのに、こんなふうに会えるなんて。」
整理番号・12
「もっとみんな、慌てたり、混乱していると思ったのに。どうしてこんなに、誰も彼も落ち着いて、何事もなかったみたいに過ごしているのだろう? この霧に途惑っているのは、私だけ?」
整理番号・13
「歩き出して何日になるだろう。日付を数えることもやめてしまった。ふしぎとおなかもすかない。」
整理番号・14
「さまよっているうちに、違和感に気づいた。潰れて駐車場になったはずの喫茶店が、まだ営業している。たたずまいも、前と少しも変わらない。気難しい顔のわりにサービスのいい店主が、カウンターの向こうでコーヒーを入れているに違いない。おかしな話なのに、どうしてか、確信できてしまう。やっぱり、この霧は人をおかしくさせるのだ。幻を見させるのだ。
一瞬、喫茶店の扉を開けてみる誘惑に駆られたけど、できなかった。もしもこの喫茶店がほんとうに営業していたとしても、私はあの店主に合わせる顔はないのだ。私と陽香がやり直せなくなるくらいに言い争ったあの日から、ずっと。」
整理番号・15
「霧の中は、何かがおかしい。スマホもネットも、電話さえ通じなくなった原因は、やっぱりこの霧だったみたいだ。霧のせいで誰とも連絡がつかなかったのは、きっと幸運だったんだろう。そう思うことにした。」
整理番号・16
「あの子を殺した。」
整理番号・17
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
やっと、いっしょになれたのに。小学校のころの約束を守って、どんな障害も、どんな敵も打ち破って、これから幸せが約束されるはずだったのに。
どうしてふたりの暮らしはちっともうまくいかなかったんだろう?
ほんとうに愛し合っていたはずだったのに、どうしてゆるし合えなかったんだろう? 好きであることと、生活を共にすることとは、こんなにも違うものだったなんて。
やり直させて。」
整理番号・18
「窓の外は相変わらず霧に包まれているけれど、部屋を出て行くことに決めた。どうなったって関係ない。だって、あの子のいないこの部屋じゃ、死んでいるのと同じだから。」
(整理番号16~18は、Aが居住していたとされるマンションの一室で同時に発見された。この部屋には、Aと同居していた女性の遺体が放置されていたが、他の霧中の死者と同様に、死後に特有の変化は一切見られなかった。
筆跡の特徴から、16~18の筆者がAと同一ではない可能性も指摘されている。しかし、そのほかのメモの筆跡も大きく乱れており、共通の特徴を見いだしがたいことから、メモ自体がAを含む複数の人物によって書かれたという説も提唱されており、未だ意見の一致を見ない。)
遺留品 扇智史 @ohgi_
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