わな
銀野きりん
わな
「
大山和司がサッカーボールを軽くリフティングしたあと、空中でボールをまたぎ、パスをだした。
町田尚也はインステップでボールを受け取り、リフティングを続けた。
「トラップ? ボールを止めることが、トラップだよね」
「止めるだけじゃだめなんだ」
和司は続けた。「トラップの意味、知ってるか?」
「そんなこと、考えたことないよ」
「トラップはな、わなって意味なんだ。だから、相手にわなをかけて止めないとだめなんだ」
尚也は思った。さすが大山和司だ。サッカーのことを、尚也よりもずっとよく知っている。
知識だけではなかった。実際のプレーにしても大山和司は別格だった。中学時代は県の選抜にも選ばれており、名門である三島東高校にスポーツ推薦で入ってきた期待の一年生だった。
それにくらべ町田尚也は全く無名の選手だった。中学時代の自慢できることといえば、小さな市の大会で得点王になったくらいだった。
「尚也、おれ今日の練習で、監督に何ていわれたと思う?」
和司は、練習に参加できる数少ない一年生の一人だった。尚也を含めた他の一年生は、球ひろいと声出し専門で、まともにボールを蹴ることも許されていなかった。
「監督に声をかけられるなんてすごいじゃないか。おれなんか、まだ話したことないよ」
「声をかけられただけじゃないぜ。今日、こういわれたんだ。次の練習試合でお前を使うから、準備しておけって」
「やったじゃないか。一年生で練習試合に使ってもらえるなんて。和司はよっぽど期待されているんだね」
「ああ、出るからには点をとるぜ。センターフォワードは点をとるのが仕事だからな」
「うん、和司ならできるよ」
その時だった。グランドの脇から聞き慣れた声がした。
「そこの一年生、練習が終わったんだから、さっさと家に帰る!」
二年生マネージャーの
「わかりました」
二人はボールリフティングをやめると、あわてて更衣室に向かった。向かう途中で和司がいった。
「あの三浦果音さん、なんかいいよな」
「うん、笑顔がすてきだよね」
「おれ、今度の試合で点をとったら、三浦さんに告白しようかな」
「冗談だろ。そんなことしたらチームに居られなくなるよ。それに、おれたち練習忙しくて女の子と会うひまないし」
「悲しいけど、そうだよな」
次の日曜日、練習試合のグランドには大山和司のユニホーム姿があった。レギュラーチームに交じってのセンターフォワードである。
尚也たち他の一年生は、グランドの周りを囲んで座った。球ひろいだった。
この試合で和司は二点取った。一点目は相手のキーパーがはじいたボールを押し込んだだけだっだ。だが二点目は違った。ドリブルでディフェンスを二人を抜き、最後はキーパーもかわしてゴールを決めたのだ。
ハーフタイムで和司は、マネージャー三浦果音が入れたスポーツドリンクを、レギュラー選手と一緒に飲んでいた。
「おれの二点目、見てくれたか」
「ああ、すごかったよ」
「どうすごかったかいってくれないか」和司は得意げな顔をしてきいてきた。
「二人抜いて、シュートを打つ前にキックフェイントを入れたところがすごかった」
「うん、そうだろ。で、三浦果音さんは、おれのシュートをちゃんと見てくれたかな」
「そりゃあ、見てたよ」
「カッコいいて思ってくれたかな」
「カッコいいと思ったかどうかは知らないけど、点を取ったときは、いつも飛び上がって喜んでくれるよね」
尚也は三浦果音のその姿が好きで、チームが点を取るたびにベンチを見ていたのだ。
試合が終わると、選手が休む暇もなく練習がはじまった。名門三島東高校のサッカー部では、試合後の練習は当たり前のことだった。
日の暮れかけた夕方になると、監督が声を上げた。
「よし、最後は千五百メートル走をするぞ。一年生も走れ」
トラックのスタート地点に五十名ほどの部員が並んだ。三浦果音がストップウォッチを持っている。
「よーい、スタート」
部員がいっせいに走りだした。
尚也も走った。スタートはダッシュした。千五百でスタートが遅れたら命とりだったからだ。
二百メートルトラックを六周したとき、尚也は四番目を走っていた。
残り三百メートル、尚也はある思いだけを頼りに走り続けていた。
三浦果音に良いところを見せたい。
最後の一周半、レギュラーの三年生を二人抜いた。ゴール前で二年生一人に抜かれたが、尚也は三位でゴールした。ゴールしたとき、三浦果音がタイムを読み上げた。タイムは四分三十八秒だった。
ゴール地点で座り込んでいた尚也に、三浦果音が近づいてきた。
「よくがんばったね。一年生だよね。名前は……」
尚也は緊張しながらいった。「名前は町田尚也です」
「そう、町田くん。ポジションは?」
「フォワードです。センターフォワードを希望してます」
「センターフォワードかあ。じゃあ今日試合に出た一年生、大山くんと同じポジションだね。負けないようにがんばらないと」
三浦果音に話しかけられただけで充分だった。尚也は、彼女の言葉を何度も頭の中で繰り返した。
高校サッカーの全国大会は、夏と冬に行われる。夏はインターハイ、冬は選手権大会だった。
名門三島東高校は、2020年の夏、インターハイには出場できなかった。県予選のベスト4で敗れてしまったのだ。
一年生の和司は、公式戦のベンチに入ることはできなかったが、期待されている選手であることは確かだった。練習試合では、相変わらず起用され続けていたからだ。
それに対し尚也は試合に出るどころか、練習に参加することさえも許されない部員だった。
「和司はすごいよね。次の選手権大会の予選では、ベンチ入り目指さないとね」
「ああ、おれはレギュラーをとって、全国に出て、名前を売りたいんだよ」
「プロ目指してるんだよね。和司ならきっとなれるよ」
「きっとじゃなくて、絶対になるよプロに。そしてプロが決まったら三浦さんに告白するんだ」
「告白はやめておいたほうがいいと思うけど」
「そうか、告白はだめか」
そういって和司は笑った。「で、尚也も目指しているんだろ、プロを」
「おれは無理だよ。おれは和司とは何もかもが違うから。おれの夢はいつかレギュラーになって和司とツートップを組むことさ」
「ツートップは無理だぜ」
「どうして?」
「ここ三島東高校はずっとワントップのフォーメーションなんだ。それがここの伝統だ。だからセンターフォワードで試合に出られるのは一人だけだぜ」
「そうか、センターフォワードは一人だけか。和司がいれば、レギュラーにはなれないね」
「なんだよその弱気は。まあ、おれも尚也に負けるつもりはないけどな。ただ、おれも尚也も試合に出られる方法があるぜ」
「なんだい、二人とも出られる方法って」
「尚也が希望のポジションを変えればいいんだ。尚也は足が早いからサイドバックとかいいんじゃないか」
足が早いか。
確かに尚也は足に自信があった。短、中距離なら、陸上部の連中にも負ける気がしなかった。
この日も練習の最後は千五百メートル走だった。
尚也はスタートすると次々に上級生を抜いていった。最後の一周で後ろを振り向いてみたが、この日の尚也には誰も付いてくることができなかった。
一位でゴールした尚也は、力尽き、グランドに倒れ込んだ。背中を地面につけ、大きく深呼吸をしていると、誰かが近づいてきた。また前みたいに、三浦果音が声をかけてくれたらうれしいと思った。だが、今日近づいてきたのは三浦果音ではなかった。
近づいてきたのは、監督だったのだ。
「良い走りだ。まだ一年生だね」
「はい」
「名前とポジションは?」
「町田尚也です。センターフォワードを希望してます」
「そうか、明日から練習に加われ」
「はい、ありがとうございます」
そして、監督はこう付け加えた。
「あと、来週の練習試合に使うから、しっかり準備しておけ」
尚也は混乱した。まだプレーも見ていない自分を練習試合で使うというのだ。
練習試合の日はすぐにやってきた。
試合相手は、他県からきた強豪だった。
変なプレーをしたら、すぐに変えられるな。
グランドに立った尚也はそう思った。
そしてセンターサークルに入ると心を決めた。
自分にできること、それは走り回ることしかない。
ホイッスルが鳴る前に、ベンチを見た。そこには三浦果音がいた。それだけで充分だった。
試合中、尚也はウラを要求し続けた。ディフェンスを前に引き寄せて長いボールを蹴ってもらい、走り続けた。だがゴールを決めることはできなかった。
前半の四十分が終わったとき、監督が尚也を呼んだ。
てっきり交代させられると思ったが、そうではなかった。
「町田、相手はお前の足を警戒している。勝負所でウラに行くと見せかけて足元でもらえ。そして点を取りにいけ」
後半が始まっても尚也はスペースを見つけて、そこに走り込むことを繰り返した。相手ディフェンスは、尚也の足を注意して、距離を保ち守っていた。
点を取ったら、あの笑顔が見られるんだ。
そう思った時だった。
サイドからドリブル突破した三年生が尚也と目を合わせた。
ゴール前にいた尚也は、ニアに走り込むそぶりをした。そして後ろに下がったところにボールがきた。ディフェンスはあわててボールに詰めてくる。ダイレクトでシュートしようとしたその時、考えが変わった。右からきたボールを左足でトラップしたのだ。
わなにかかった。
尚也は、左に流したボールを左足でシュートした。キーパーの脇を抜けたボールはゴールネットに突き刺さった。決勝点だった。
「よし!」
監督の声が聞こえてくる。
その横で三浦果音が飛び跳ねながら喜んでいた。
あれを見たかったんだ。
尚也は、これからも自分のゴールで、あの笑顔を見たいと思った。
そのためには、和司にセンターフォワードのポジションを取られるわけにはいかなかった。
2020年の夏、彼らの青春はまだはじまったばかりだった。
〈了〉
わな 銀野きりん @shimoyamada
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