最終章 漢鬼
月の光が冴える夜、鬼王丸が小夜の枕辺に来て座った。
「母様。とう様が呼んでおります」
「お前は?」
「来ずともよいと。眠いので母様の布団で寝ております」
いつのまにか、小夜の布団から手足がはみ出すほど大きくなった鬼王丸を置いて、鈴を持って竹藪に入る。
いつものとおり、分かれ道で鈴をかざし、導かれるままに館に着いた。
「漢鬼様」
漢鬼が笑いながら迎え出た。
「久しいな」
「お会いしとうございました」
小夜が漢鬼の手を取った
「これまでの数多くの手助けを有り難く感謝しております」
「ふむ。儂も約定に無い手助けを多くした。これが愛おしいというものであろうか」
「そうであれば尚のこと。そうでなくとも嬉しく思います」
「そなたを
「なっております。それはもう充分すぎるほどに」
「ならばよい。さて、お前の村は良く出来上がった。近隣の村もお前の作った村を手本にする。富めば争いも減り愚かな人間も減るであろう」
「そうなればどれ程嬉しいことでしょう」
「お前に、戻って良いと天上から達しがあった。お前は天となり、以後人間を見守ることになる。やがて次の時代の歪みがあれば、そこで有力者の子と入れ替わるか、生まれるかして修正することになるだろう。そこでお前の後でこの村を継ぐ者をどうするかだ」
小夜は母の言葉を思い出した。父も母も次の任務ができたと言って姿を消した。
『つまり、こういう事だったのだ』と理解した。
理解はしたが納得はできなかった。この村や人々とは別れがたい。それに後を継ぐ者とは――どうするとは――どう言う意味だ。
私の後は鬼王丸が継ぐのではないのか。だから鬼界から預かり、我が子として教え、躾けて、厳しくも愛情を注いできた。
「鬼王丸では務まりませぬか」
「鬼王丸は思いのほか力を備えておらぬ」
「でもあの歳の子にすれば、思慮も力もずいぶん勝り、優れているように思いますが、何が足らないのでしょう」
「鬼王丸には怒りがない」
「それは……いるものでしょうか」
「鬼の持つ力は怒りが元になっている」
「そう……でしたか。それは存じませんでしたが、そう言えば確かに私はここ数年、よく怒っていたようにも思いますが、それでも鬼王は穏やかなままでしたね」
「鬼王を我に預けよ。鬼の子として相応しい力をつけさせようぞ」
「お待ちください。それでは鬼王が人々に慕われなくなってしまいます。人を統御するには恐怖によるものと、心服させるものがありますが、鬼王丸はすでに人々から心を寄せられています」
「今までは子供であるゆえにそれでよい。だが大人になっても優しいだけでことが運べるか」
「ならばこのように致しましょう。幸田には隠し里があります」
「知っておる」
「そこで子を集めて教育します。やがて外部との接触が始まり隠し里ではなくなるでしょう。そのときの村々との接触を鬼王丸にやらせます。それが無事にこなせれば怒りは今の程度で構わないことになります」
「ふむ。それでよいのか。病気も治せぬし、天候の予測もできなくなるのだぞ」
「でも漢鬼様のところには行けるのでしょう?」
「それは構わぬが」
「ではこの際ですから鬼王丸の嫁を決めてしまいますがよろしいでしょうか。やがては里は蝶次郎という者に任せて、その後を鬼王丸の子供に。鬼王丸は幸田で私の後を継ぐことになります。村を切り盛りする男には伴侶が必要です」
「その嫁とは鬼界にこれる者か」
「幼い頃一度鬼王丸と来ております。風神の風袋に矢を射て穴を開けたとか」
「その娘なら知っておる。鬼王丸となら来れるという事であるな」
小夜は頷いた。
その日の朝。善膳亭の空気がいつになく張り詰めているのは小夜が来ているせいだ。
座敷から「ひな菊。おいで」と小夜の呼ぶ声がした。
店で片付けをしていたひな菊は、たすきを外して急いで座敷に駆けつける。
「あら、父も、母も揃ってどうしたの?」
小夜の前とはいえ、これ程かしこまった両親を見るのは、ひな菊には初めてのことだ。
「先ず上がってここに座れ」
与一が命じ、ひな菊がくめの横に座る。
「実は大変なことになったの」くめが言った。
小夜が
「鬼王丸が漢鬼様のところに行かなければならないかもしれないのだ」と言う。
「だけどある場所で揉め事を解決して、その能力が認められれば、この世界にいてもよいことになった」
「それでね。ひな菊」
くめが珍しく機嫌を伺うように、「鬼王丸ちゃんと一緒にならない?」と訊いた。
「なる」
与一が驚いたように、
「えっ。そんなに簡単に返事して良いのか。だってお前は、鬼王丸ちゃんしか知らないだろう。他にもっと良い男がいるかも知れないとか思わないのか」
「思いません。っていうか、小夜様。鬼王丸よりいい男はどこにもおりません」
「ひな菊の言う良い男って何かしら。それは私は母だからいっぱい知っているのだけど」
「賢い。正しくて悪いところが無い。元気で強い。想いが深い。変に優しくない」
「優しくないのが良い?」
「そうです、小夜様。他の男の優しさはわざとらしくて気持ちが悪いけど、鬼王の優しさは深いのです。気がつかないようにやるから。だから小さい子にも厳しいけどそれは優しいから」
「なるほどよく見ているな」
「まだ言えますよ。何でもできるのに自慢しない。人の悪口は絶対言わない。喧嘩をしない。小夜様、止めてくれないと私、一晩中言い続けます」
あはははっと笑い「わかった。もうそれで充分」と小夜が言う。ひな菊はなおも、「だからこの村の周りにもそうだけど、鬼王のような人間、多分どこにもいません」
「うん。それはそうなのだ。鬼王丸は人間ではないからな」
ひな菊がキョトンとした顔で「はい? それで」と不思議な顔をする。
「えっ」与一とくめは驚いた声で聞き返した。
二人は、鬼王丸の成長と共に、或いは鬼と小夜の間に生まれたのか……とは想像はしていたのだろう。だが、小夜がこれ程ハッキリと言ったことはない。
「鬼王丸は鬼だ。人ではない。ひな菊は其れでも良いのか」
「かまいません。というか、そんなことは関係ないのです。私は鬼王でなくちゃ嫌なんだから。それに鬼王だって私以上に鬼王丸に
首を傾ける。
「何故今頃そんなことを訊くの? 私達はこんな小さいときから二人は一緒なんだって思ってたから、さっき訊かれて逆にビックリしてるわ」
「そうか。それではね、ひな菊。あなたたちに、ある期間村を任せます。それをどんな村にするか二人でよく考えて、漢鬼様を
「はい。わかりました」
余りに軽い返事に小夜が不安顔で「鬼王丸はどこにいる」と訊く。
「塾で天界と宇宙の関わりについて皆に教育しています。このあと私も人の身体の構造と弓を教えに塾に行きますから、今のことを私から鬼王丸に伝えても宜しゅうございますか?」
小夜達三人は、思わず顔を見合わせて、コクッと頷いた。
「鬼王は以前、この村はまだまだ伸びるし、豊かになれる。その方法を母様に説明したいと言っていました。それを実行してもよいということですね」
「それは待て。ひな菊」
小夜は、手綱が外れた駿馬のように走り出そうとするひな菊に笑いながら、「私の幾つかの失敗を教えておくからそれを吟味させよ」
「小夜様が失敗!?」
「そう。私だって失敗はある。それは私の考えを、皆が驚きながらも全て賛同してくれたことだ。諫めてくれる者がいなかった。だからね、まず協力者を作りなさい。それから異を唱える者の言う事を良く聞くこと。そのことをしっかりお前から伝えて共に心に刻みなさい」
ひな菊は、小夜の言葉を一言一言、呑み込むように頷きながら、
「わかりました。小夜様」
そう言って微笑み、白馬に向かって駈けて行った。
―― 完 ――
鬼と小夜の物語 赤雪 妖 @0220
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