おまけ

旅行記

――第一の都市――

 西暦5670年。

 ここにいる人々はその巨大樹の上に建つ自らの都市を《空の終わり》と呼び、とても質素な生活をしていた。

 それこそ地上ではなく、巨大な木の上で生活している彼らに動物食という文化はなく、全ての食事は植物のみで構成され、しかしそれ故の趣向を凝らされた料理の数々は単純な野菜料理とは言えず、私に新たな経験という驚きを齎してくれた。

 その国の人々は、独自の進化を遂げており、その身体にベースと呼ばれる植物を宿しているらしく、例えば人の姿でありながらキノコの胞子を飛ばして目くらましを行う兵士がいたという。そのベースがキノコであればキノコを食さないという不思議な偏食を皆もっていた。


 上空一万メートル以上。そんな場所に存在する《空の終わり》はなぜか気温も人が過ごしやすい程度に安定しており、人々は皆世界樹と呼ばれる巨大樹のお陰だと言っていた。神という概念はどの時代にも存在しており、この国の人々はこの世界樹こそが主であり、救世主だと謳っていた。

 かつて私のいた国も人ではなく、動物や山、森や川、人が作り出した物すらも神だという八百万と言う信仰があったが、この国の人々にとっての世界樹は所謂生き神のように、今まさに恩恵を下さってくれる有難い存在であるようだった。家となり、大地となり、人々はこの世界樹で生まれ、死ぬ。そんな世界樹は、無宗教の私には理解できないほどこの国の人々に感謝され、好かれているのだろうと、この世界樹と人々の良好な関係に私は感銘を受けた。


 観光として多くの文化を学ぶのも重要であるがもちろん腹は空く。先ほども書いたがこの国の料理は立地上植物などの野菜をベースにした料理が主である。それこそ牛や豚、鶏がいないのだから仕方ないだろう。

 それだとしても私の国で豆腐ハンバーグなどと言った植物のみで作られた肉料理のような物が存在してあったように、この世界の食事が植物のみだとしても身体に必要な栄養素は過不足なくとることが出来た。

 例えば私の国で言うポトフに似た料理を食した時は感動した。もちろん海や山があるわけではないため塩が取れない。それなのに塩気が確かに存在していたのだ。昆布やカツオと言った出汁を取るのに主流なそれらも取れないこの国の味付けは基本香辛料で補われていた。

 香辛料と言われれば癖のある匂いに、癖のある味という印象があったのだが、そこは料理人の腕の見せ所だと、各店毎で編み出された違う味の塩気を楽しませてもらった。


 見た目や使っている材料が同じだとしてもこれほどまでに味は変わるものかと言うほどに、その料理は変化を見せ、数日の滞在で私を飽きさせることはなかった。




――第二の都市――

 西暦5670年。

 次に行く都市に悩んだ私は、《空の終わり》から地獄と謳われていた地上に足を運んだ。成層圏に存在している都市から地上まで私がどのように移動したかというのは、取材力という言葉で勘弁してほしいと思う。

 地上にあった大きな都市は三つ。最初に足を運んだのは《金の都市》と呼ばれていた一番大きな都市であった。《空の終わり》で食は楽しませてもらっていたため《食の都市》を後回しにし、流石に最初から《性の都市》に向かう度量も私にはなかった。


 《金の都市》はその名の通り、大富豪が集う都市であり、その富豪たちが思い思いに作り上げた娯楽施設がひしめき合うそんな都市であった。その規模は私の国にあった大規模レジャー施設とは比べ物にならない程大きく、町全てがネズミの国と言えばわかりやすいだろうか。それほどに遊びに力を入れた都市であった。

 主に区画は四つに分かれており、北のカジノ区画、南東のアウトドア区画、南西のテーマパーク区画、中央の管理区画である。


カジノ区画では私の国にも存在していたパチンコやスロットを代表とする機械式のものから、ディーラーと呼ばれる親がいるトランプやサイコロを使った賭場、競馬やボートレースなど様々であったが私を一番驚かせたのは闘技場であった。

 世界の滅亡によって銃などの近代兵器がなくなったこの時代は、かつての中世のように皆が剣や斧、槍などを携帯する世の中であり、その腕っぷしを買われた者たちが一対一で本気の殺し合いを行う。そのどちらが勝利するかを予想し金を懸ける遊びは流石の私でも悪い意味で驚いた。


 アウトドア区画では濡れても良い服装という名目の水着の貸し出しを行っており、主にプールと言ったレジャー施設が集合していた。南国を思わせる果実によって作られたジュースや料理、芝生の上に立ち並ぶ屋台からは私の顔くらいはあろうステーキが売られているなど、海好きの私にとって至福とも言えるエリアであった。

 先ほども言ったがこの都市はかなり大きく、エリア内でも移動が大変という欠点があるがこのエリアは巨大な流れるプールが張り巡らされており、移動は日に当たりながらぷかぷかと流れて移動することが出来るという画期的な移動方法が採用されていた。

 近くにあるジューススタンドで生ジュースを買い、それをストローで吸いながら目的の場所へ流れていくあのゆっくりとした時間は大金を払って入場しただけあるだろう。

 そのほかにも多くの魚が放流された釣り堀や、キャンプ施設などアウトドアで思いつく手ごろなものは最高のパフォーマンスで楽しむことが出来た。


 そしてテーマパークエリア。かつての童心を思い出すようなアトラクションの数々は私の心を躍らせ、時の速さを痛感させた。絶叫マシンと形容されるジェットコースターやフリーフォールだけでなく、メリーゴーランドやコーヒーカップなどの子供でも楽しめるようなアトラクションや、本物の獣を使ったボートツアーや実際の夜空を利用したプラネタリウムのようなアトラクションなど、世界の自然を大いに利用したアトラクションは心の発育にとても役に立つ数々であろう。


 総じて言えることはやはり企業という一つの体系が作り上げたものではなく、遊び好きな富豪が土地を奪い合い思い思いに作り上げたそれらは多少のがたつきを見せるものの凄まじい娯楽を提供してくれる。これほどまでに最高なテーマパークは後にも先にもないだろう。




――第三の都市――

 西暦5670年。

 食か性か。やはり一番の楽しみは最後にと思い、私は食を選んだ。

 《金の都市》とまではいかないものの、この《食の都市》というのは凄まじい衝撃を私に与えてくれた。《金の都市》は誰しもが思うこのようなレジャー施設があったらなという気持ちを全て網羅してくれる都市であった。それに対し《食の都市》は幻想の世界の食事を最大限に表した都市であった。

 皆も一度は思ったことあるのではないだろうか。アニメや映画やドラマなど。幻世界で食事をしている彼らの食事が形だけでも再現されることはあれど、その食事をしている世界や店が再現されることはない。食事だけでなく、その景観も再現してほしいのだ、と。しかしそれは無理なことであろう。今いる世界は現実で、東京で、渋谷で、新宿で、吉祥寺だ。

 だがこの都市はそれを叶えてくれた。

 窓の外は絶壁でありながら、畳に背の低い机の上には徳利と猪口と肴が乗り、その窓には赤提灯が垂れ、空には龍が舞う。

 ケルト調の音楽が鳴る酒場で、身に鎧を纏った人々が高らかに笑う席の隣で、木組みのジョッキで生ぬるいエールを口にする。

 精霊が住むと言われる泉の脇で、蛍のような精霊を横目に、清涼な水と全身が一瞬でデトックスされそうな奇妙な植物を食べる。


 四季折々ではなく、数歩歩いただけで表情を変えるその都市の景観は、《金の都市》より賑やかで洗練されている。そしてそれが景観だけでなく、食事にも反映されているのが驚きだ(だからこその《食の都市》であるのだが笑)。

 《金の都市》は世界中の大富豪が集まっていた。それならば《食の都市》は? そう世界中の料理人が集まっているのだ。

 半人半獣のシェフが作る肉料理は野性的で荒っぽい。しかしそれだというのに、鼻に抜けるスパイスの香りは豊潤でこれがまた癖になる。

 魚人のシェフが作る虫料理はやはり苦手な者が多いらしく、初心者用と銘打って虫の姿が判別つかないように調理された物から、焼き鳥のように串に刺され、形がそのまま残っているものなど。虫といって私も驚くがこれが上手い。外はカリッとしており、中身はクリーミーなソースが入っているような。

 また私と同じような人族が作る料理は、それら全ての文化の良いところをかいつまんで、綺麗に整えられた料理が多かった。個性的なそれらを万人受けするような形に調整し、提供する。それこそその独自の文化による驚きは少ないが、確かに毎日食べるとなるとこれが一番だと言いたくなるようなバランスは各種族のより良い相互理解が故だろう。


 恐らく一年滞在したとしても全てを楽しむことはできないであろう《食の都市》は、私が今まで一番去るのを名残惜しんだ都市であろう。




――第四の都市――

 西暦5670年。

 最後の都市である《性の都市》。都市に入る前から夜の女が付けているような過激で興奮する香水の香りが漂い始めていた《性の都市》は私を意外なところで驚かせた。

 単純に私がいた国の風俗街などを想定していたその都市はもちろんそういう一面を持っておきながらも、客の男女比が大体一対一であったのだ。私の国では娼婦という言葉はあれど性的サービスを行う男という単語はあまり耳にしたことがなかった。しかしこの都市では女でも男でもそう言ったサービスを受けることが出来、働く方も客も皆心から楽しんでいるように見えた。

 私も後々そういう店に入り、話を聞いたのだが、私の国のように金のためにではなく、本当にこの仕事をしたくてという人間ばかりであるという。なぜと尋ねたら、稼ぎたいなら《金の都市》に行った方が稼げるという至極真っ当な答えが返ってきた。

 《食の都市》でも感じたのだが、この時代に差別という言葉はなかった。姿かたちは違えど皆人間という精神であり、私の国にある男女差別という言葉も存在せずに、男と女が本当に対等に話すのは、それこそ全て着るものを脱ぎ捨てているこの都市が故ではなく、この時代の人々たちの心の豊かさからなのであろう。


 街は昼でも気分が乗るように、薄暗くするためドーム状の屋根がついており、時の経過を気にすることなく遊ぶことが出来た。

 多くの店がある中で、人族の店に行こうと思った私であったのだが、ふと目に入った半人半獣、所謂獣人と呼ばれる種族の店が気になり、そこに足を踏み入れた。私が特別ズーフィリアというわけではなく、人の姿に獣の耳と尻尾が生えているという萌えの種族に惹かれたからであった。

 彼らは人族のように技術で攻めるというタイプではなく、《食の都市》でも感じたように野性的な部分が多く、体位も後背位を好んだ。また人族の滑らかな舌とは違い、ざらついたそれは私の新たな快楽を刺激した。

 快楽と言う刺激だけでなく、快感で振れる尻尾や、抱きしめた時に感じる柔らかな毛並みなど、明らかな可愛らしさが気分をより高揚させた。

 ちょうど私を担当してくれたのが犬種の女の子であったのだが、巨乳好きであれば牛種、マゾヒストであれば猫種、それ以外にも行為後の睡眠を楽しみたい時はより良い毛並みを持つ羊種であったりと、目的や性的嗜好によって選ぶのが通だという。

 他にも魚人やケンタウルスなどの店の話を聞いたが、そういう店は比較的理解されがたい性的嗜好を持つ者たちが通うと聞き、取材をしに行くのはやめてしまった。


 この都市の人々は客も店の者も全て性と言う娯楽を心から楽しんでいる者たちであり、多少のトラブルはあれど、今日も賑やかに楽しんでいるのだと私は思う。




――第五の都市

 西暦6200年

 外界から隔絶された島国がこの《孤島》と言われる国であった。島の周囲の大部分は浅瀬になっており、船が出せない。しかし唯一の港から外海に出ると最初に海竜の巣と呼ばれる巨大渦潮帯が広がっているらしく、ほとんどの船は沈んでしまうという。

 それでも狭い《孤島》から外に出たいと言う、脂の乗った若者たちは年に一度出航する探索船に乗り、世界の果てを望むという。

 そんなロマン溢れる《孤島》の人々は帰らぬ人を待つ者たちで溢れていたが、暗い表情を浮かべる者はほとんどいなかった。それも探索船に乗るということは最大の名誉であり、もしそれで死んだとしても、その者たちを悲しむことは無礼に値するという、私の国にかつてあった異様とも言える集団心理のそれを感じた。

 しかしそれがこの国の文化と言うなら私は何も言わずに、この国を見て回るだけだ。


 先ほども述べたようにこの《孤島》と呼ばれる国は周囲が浅瀬になっているため潮の満ち引きによる罠漁が盛んであった。そのため漁業で潤っているこの国の魚料理は私の国で代表される刺身や寿司のように新鮮な魚を食べさせることに重きを置いた料理が多く、私の舌をとても楽しませてくれる。

 それこそ時代が時代であるため見たことのない魚は多いものの多くの分類は変わっておらず、赤身は味が濃く、白身はさっぱりとし、青魚は癖がありつつも食べやすいという特徴があった。

 生憎環境的に植物が育ちにくい土地であるらしく、野菜などは取れず、醤油といったそれらを引き立たせる調味料が少ないのがとても惜しかったが、清潔な塩水につけて食べるという独特な食べ方に私は感動した。

 海の物をもう一度海に戻すという行為がどれだけその味を変化させるのかと思ったが、この時代の海は不快になるほどのしょっぱさはなく、それこそ丁度良い塩加減を刺身にもたらした。それだけでなく、醤油を付けずともその刺身の脂の甘みのみで十分楽しめるため、この刺身を口にした時は、私の国の文化を越えたと私は感じた。

 そのほかにも浜辺に生息するようなカニやエビなどの甲殻類も食すことが出来、海の幸に囲まれたこの《孤島》は海ととても良好な関係で成り立っている国なのだと私は感じた。




――第六の都市――

 西暦6203年。

 この都市はただひたすらに暑かった。火を司る強力なエネルギー体を元に急進的な発展を遂げた《火の国》は、その宝玉と呼ばれる科学技術を利用し、火山を作り温泉を自分たちの手で創りだし、それを娯楽としていた。

 約千年前にあった三つの都市とは違い、国として存在している以上、他の五つの国から多くの観光客が来るという時代ではなかったが、確かにこの《火の国》には観光客が多かった。

 温泉でゆでた卵を売ったり、温泉の蒸気で作った饅頭を売ったりと、町は温泉街のそれであったが、確かにこの国の兵士たちは他の国の兵士よりも生き生きしていたと思われる。

 それも温泉による治癒効果によるものだろうと私は考えた。軍であるため上下関係はしっかりとしているが、外に出ると友人のように上官と兵士が話しているのは、温泉がもたらす裸の付き合いが故だろうか。

 温泉も各宿によって趣向が凝らされており、洞窟を掘り、洞窟風呂と称し、町の喧騒を忘れさせる癒しを提供したり、水着着用によって男女が共に楽しむことが出来る混浴を提供していたりと、その種類は様々であった。


 この直後、第三次世界大戦の勃発により、その他の国の取材は断念。




――第七の都市――

 西暦10145年。

 《人間種領商業都市パレル》。そう称されるその都市にはかつて人が作り上げた駆動装置と呼ばれる科学技術を魔法と呼び、それを子供に教える教育機関が存在していた。その駆動装置はロストテクノロジーであるために、原理がわからないが利用できる力としてこの世界に広まっているらしく、生活するために必要な力として魔法が、その力が存在しているようだった。

 そんな《商業都市》は人間種の物流を統制している都市であるらしく、高級とされる食材や武具、材料などが集まっており、その余りをとても安く販売していた。


 呪い(まじない)と呼ばれる魔術体系に精通する女性がいる服屋に顔を出してみたところその服には全て陣と呼ばれる幾何学模様が描かれており、それこそが呪いの核であると彼女は言った。

 胸元の開いたドレスに、香しい匂いを漂わせる彼女は艶やかな声で私を迎え入れてくれた。それから呪いについて色々教えてくれた後、私は記念に気配を遮断することが出来るという黒のローブを頂いた。

 この時代には魔物と呼ばれる獣を狩り、その者たちの牙や骨、毛皮などを売ることで金を稼ぐ職業が大流行しているらしく、これらの装備はそういう者たちに向けたものだという。


 それこそこの時代のこの都市はそう言った面で独自の進化を遂げている部分は取材のし甲斐があるのだが、食事などは《食の都市》の方が優れていた気がする。それこそ魔法という文化が特異であるのはわかるのだが、なぜだか私はこの時代を好きになれなかった――。

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