最終話 ティラミス

夕方、洗濯物を家の中に入れながら、齊藤よりを思う。夕べ家を出たのはもう11時を過ぎていた。


ナポリタンを空にして、かろうじて『ごちそうさま』と呟いた後、彼女は一言も話さなかった。俺が何か聞けばわかりやすくコクっと頷く。コーヒー飲む? コクっ。これ見ようか。コクっ。そろそろお開きにしようか。コクっ。


俺の部屋から彼女の部屋まであまり距離がないことに、多少の驚きはあったようだ。外に出て歩き出したら見覚えのある場所らしく、キョロキョロして俺の顔を覗き込んだ。


「近いだろ。会いたくなったら来いよ。俺も会いたくなったら行くから。」


俯いてしまったから表情は見えなかった。でもわかりやすく、またうなずく。


俺は右手を彼女の左手に伸ばす。一瞬ビクッとしたが、『まだフラフラしてるよ』といえば、大人しく繋いでくれる。


とにかく、言い訳を作ってあげよう。全部俺のせいなら、彼女は受け入れてくれる。それでいい。彼女が困った時、「だってあなたがそう言ったから」と言わせてあげよう。こんな保険があれば、俺が近づくのを許してくれる気がする。あまりに部が悪い話かもしれない。だが、そんな手段を取ってでも、齊藤よりと一緒にいたい。


彼女のアパートの前に立ち、齊藤よりが鍵を開けるのを待つ。ガチャっと音がして、彼女が俺を振り返る。


「今日はありがとうございました。」


「おやすみ。」


言いながら、齊藤よりの顔を俺の胸に押し付ける。両腕を回して抱きしめれば、俺の腕の中で少し暴れようとしているのがわかる。だけどすぐに静かになった。抵抗する気力なんか、今日の彼女には残っていない。


「ごめん、ちょっとだけだから。」


「 …… 」


それだって、10秒やそこらだ。彼女が申し訳なさそうな顔をして、俺を見上げる。


「じゃ、また。」


少し歩き出して、振り向いて、まだ彼女が見送ってくれていたので右手をあげる。つとめて軽く、そして明るくさりげなく。どうか彼女が重たく受け止めないようにと祈りながら。


取り込んだYシャツはカーテンレールに引っ掛けて、靴下や下着はクローゼットに投げ込む。今日俺がやったことといえば、洗濯機を回して干したくらい。今、俺は自分の頭を齊藤より以外のことに使っていない。


こんなにのめり込んじゃうと、後が怖いなとは思う。自分の性格を考えると、こんなに熱くなってる反動で、一気に冷めたらどうしようなんて心配をしてみる。そしてまた我に返る。俺が勝手に熱くなって、勝手に冷めても、齊藤よりは困らない。


「は〜、切ないってこういうこと?」


と、ちょっと黄昏てみる。そんな自分もちょっと楽しい。


ピンポ〜ン。玄関のドアホンが鳴る。柏原さんか、浅井さんか……


「 あ。」


「 …… 」


齊藤よりが、ケーキの箱を持って立っていた。




「いらっしゃい。」


玄関に入ったはいいが、靴を脱がずに立ち尽くしている。


「遠慮しないで。」


「 …… 」


やっぱりいきなりハグは、まずかったか。いや、でもだったら来ないだろここまで。抗議しにきた?そういうタイプではない。嫌だと思ったら避けると思う。


すると手に持っていた箱を俺に差し出した。


「一緒に、食べたくて、買って、きました。」


就職の面接のように緊張しながら喋っている。初対面の時よりむしろ距離を取られている感じだ。一緒に食べたくて? 本当に? まるで誰かに脅されて言わされているかのような棒読み。まさか、賭けに負けた罰ゲームで? なんといっても俺と齊藤よりが出会ったきっかけだ。絶対ないとは言えないだろう。


それでもいい。俺の家で、齊藤よりとケーキが食べられるなら、理由も経緯もなんでもいい。


「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」


「は、はい。コーヒーをお願いします。」


やっと靴を脱いで、デスクの上に箱をおく。クローゼットから小さなテーブルを出すと、その上に置き直す。


ケーキの箱を開けると、そこからすでにコーヒーの香り。褐色とクリーム色からなる柔らかそうな物体。


「ティラミスです。」


「うまそう。」


ティラミスといえば、いろんなことが言われているから、もしわかって買ってきてくれたなら、俺は大いに期待していいというところだ。


「パスタを食べた後は、これが食べたくなるんです。」


あ、そういうことね。


「俺も昼はパスタだったよ。浅井さんに誘われて、ウニといくらのスパゲティ食べたの。」


と、ファミレスのホームページを見せる。


「トマトソースなんですね!」


「うん、珍しいよね。」


「私、ウニといくらのクリームソースでした。」


「うわ、奇遇だね。」


ここは運命だね、と言いたいところだったが我慢する。


「はい。」


気のせいか、少しはにかみ気味に微笑む。齊藤よりだって、絶対『運命だわ』とか思ったに決まっている。


「いただきます。」


「いただきます。」


神妙にケーキを食べる俺たち。齊藤よりが緊張しているからか、俺までなんだか緊張する。ケーキ食べるのに、どうしてここまでカチンコチンにならなきゃならないのか、まったくもって今日の齊藤よりはおかしい。


なんなんだ、どうなんだ。そう思いながら黙々と食べていたせいで、ティラミスもコーヒーも終わってしまった。途中、マスカルポーネと生クリームがあれば作れるらしいよね〜とか、インスタントコーヒーって、こんなことでもないと買わないよね〜とか、あたり障りのない話題をふっては『は、はい』という緊張した返事しか返ってこずに、 空振りしていることへの虚しさを思う。




すると突然、齊藤よりが、座り直して俺を正面から見据えた。


「わ、私、私の名前、齊藤よりと言います!」


勢いをつけて頭を下げる。テーブルにぶつかりはしないかと心配になるほど。だけど俺は俺で、それを聞いて、頭に血が上っていた。


「お、俺タカヤ。湯山隆弥。」


堪えきれずに引き寄せる。10年ぶりの再会でもしたかのように。俺の30年の人生で、こんなに長く感じた二週間はなかった。何が始まったわけでもない。ただ、自己紹介をしただけ。だけど、ずっと、喉から手が出るほど名前を教えて欲しかった。大勢の中の一人じゃなくて、俺自身を見ていると、わからせて欲しかった。


「より。」


名前を呼んで、もう一度力をこめる。彼女が静かにしているのをいいことに、もう腕の中から出してやらない。


「より。」


心の中で、何度呼んでいたことだろう。口にしないように気をつけるために、相当労力を使っていたのだ。


「より。」


胸のあたりが湿っぽい。やっぱり彼女は泣き虫だ。でも、これは悲しい涙じゃないと思う。だから、全然構わない。


「 ……。」


胸のあたりで齊藤よりがゴニョゴニョする。俺の名前を頑張って呼んでいるのだとわかる。


夕方だったはずの空が、いつの間にか暗闇になっていた。時間の感覚もわからなくなって、腕の感覚もしびれて鈍くなっている。胸はいっぱいだったが、腹は容赦なく減ってきていた。


「より、なんか食べよう。」


彼女は、例の如くうなずく。


俺は、彼女の影響で箱買いしたスープの中からクラムチャウダーを取り出し、鍋に2つあけた。冷凍のブロッコリーを解凍し、皿に盛ったチャウダーに2、3個放り込む。斜め薄切りにしたバケットをオーブントースターで温め、小皿にのせる。


「食べてばっかだな、俺たち。」


言ってから思う。こんなに一緒にご飯食べてたら、もう家族と名乗っていいんじゃないか。まだ言えないけど。俺だけ先走ってたら、すごく恥ずかしいから、当分言えないけど。


コクっ。


彼女が変なタイミングで頷いたから、家族のくだりで同意されたかと一瞬驚いた。いやいや、『食べてばっかだな』に同意しただけだ。


でも、それでいい。『あなたとご飯を食べるのは純粋に楽しい』、思えばあの言葉に支えられて、今日まで来たんだ。


「いただきます。」


柏原さん関係なく、一緒にご飯が食べられるようになった。図らずも、ルナ・クレシェンテでの告白は、実現されたのだ。欲張りすぎるのはやめて、今の幸せを思いっきり享受しよう。


「召し上がれ。」


明日も一緒に、よりとご飯が食べられますように。



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今日もパスタがうまい つう @tu_asa

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