自分の職業はなんだろうか、と真正面から考えたことはなかった。なぜなら、いつも何かの必要に迫られていて、私の知っている選択肢なんかそんなになかったから。
まず私は、自分が陽気でサービス精神が旺盛なサラリーマンだと思っていた。マルチタスクがこなせず、人付き合いもHPの減り方が半端なく、毎日へとへとだった。事務員をやってみた。これ見積書を作るという一点集中型だったことと、時間に追われることのない余裕のある人員配置のおかげで楽しく仕事ができた。
結婚して東京から田舎に移ったら、英語か簿記ができないと時給が上がらないと悟り、会計事務所でパート、簿記の資格は取れたものの、ミスばっかりで怒られっぱなしだった。子供を保育園に預ける、夫は時間が不規則な仕事で頼めないという環境で、ミスばっかりでも事務の仕事を選んでいた。保育園の開園時間と勤務時間が重なるから。そして急な発熱で呼び出されても、シフトの仕事よりも早退しやすかったから。失敗ばかりでやめてくださいと言われることもあったりして、転職回数は膨大になった。でも私は相変わらず、保育園の開園時間に合わせて仕事を選び、急な発熱に備えて事務の仕事ばかり選んでいた。
そして転機が訪れる。
3人目の子供が産まれて1年後、無事に保育園も決まって地方公共団体の相談員という非常勤の仕事が決まった。カウンセラーになるつもりで大学も臨床心理学を専攻していた私は、初めて仕事に行くのが楽しくて楽しくて仕方ない毎日が始まった。カウンセリングを学んだことがあるとはいえ、なんの資格も持っていなかった私は今まで応募することさえ叶わなかった職種だが、そこは資格を持っている人に「準ずる」ということで、雇用してもらえた。奇跡だ、と思った。
だが、今度は緊急の夜間対応できる人という要件が加わり、相変わらず保育園が開園してる時間帯でなければ働けない私は続けられなくなった。
だが、ここでの相談員経験のおかげで、次は別の公共団体の中学校相談員に決まった。また、仕事に行くのが楽しみな毎日が始まった。
今度は次女の不登校が始まり、勤務時間内に中抜けして迎えに行くということが必要になり、これまた続けることができなかった。
そこからは、何をどうしても必要な金額が稼げない日々が始まる。細切れの時間で、便利屋、家庭教師、塾講師、間に子供の送迎をしていると、朝の8時から夜の11時まで走り回っているのにちょっとしか稼げない。夜中に国保の督促状ハガキを握りしめながら、もう泣くしかなかった。
まとまった時間で働けないから、いろんなことを試してみた。変な内職にチャレンジして投資額を回収できなかったり、出来高の仕事で外を歩き回って全然売れなかったり、とにかく目につくものはとりあえず飛びついてみた。困りすぎて、この頃よく占い師さんに仕事の相談をした。タロットに触れるうちに、自分が中1の時タロット占いをしていたこと、小学生の時は星占いに夢中で、太陽星座の相性診断を友人たちに語りまくっていたことを思い出した。気がついたら自分もタロット占い師として仕事をするようになっていた。それでも生活できるまでにはならない。
好きなことをして生きていきたい。きっと嬉しいし楽しい。だけど、運命の流れが、旦那さんがカレー屋を営む韓国へ行くことを要求していた。全く向いてないサービス業のカレー屋をやる、ああ、今これ必然なんだなと感じて2024年に韓国に移住。カレー屋の女将さんに就任する。
あれから2年。苦手分野の仕事を朝から晩までやっているからこそわかったこと。
私は、文章を書いていたい。
想像と妄想の結晶とも言える小説を書きたい。
些細なことだけど言わずにはいられないような内容のエッセイを書きたい。
私、書くために生まれてきたのではなかろうか。
自分の中で、職業が決まった。
もう必要に迫られて、とりあえずの職業を自分のものだとするのは終わりにした。
昨日までの私に感謝して、新しいつうを始めることにした。