第3話

「ねえ、先生もやっぱり、ゲームは遊びだって思う?」


 力強い光を宿す大きな瞳が、不安げに揺れて葉太を見上げていた。

 葉太は一瞬、過去の記憶が現実に重なり合ったかのような幻視を覚え、狼狽した。

 似ている、やはり。

 葉太の記憶の中の、忘れえぬ


 口の悪さも、不健康そうな体つきも、意志の強い瞳も、そして、熱中するモノまで。

 初めて教室で桜子の顔を見た時、葉太は動揺を隠せなかった。終業後に慌てて帰宅し過去の写真を引っ張り出して比べてみても、やはり似ている。

 もしやと思い、桜子の家族のことをさりげなく調べてみたが、どうやらの親族だとかいう事実はないようだった。完全に、単なる、他人の空似……。


「先生?」

「ん? ああ。そうだなぁ……」

 思わず即答しそうになった言葉を飲み込み、考えあぐねるふりで視線を泳がせる。


 決まっている。

 ゲームは遊びだ。

 近年になって「eスポーツ」などという言葉が生まれ、大会で賞金を稼ぎ生計を立てるプロのゲーマーが一部で持て囃されているが、まだまだ世間一般に認知された存在とは言い難い。

 韓国などではプロゲーマーの養成校なんていうものが存在していると聞いたとき、葉太は「嘘だろ」と悲鳴を上げそうになった。


 趣味でどっぷりゲームに浸かっている葉太でさえ、そんな馬鹿なと思うのだ。実際、格闘ゲームというジャンルを創出したはずの日本という国は、eスポーツ業界では完全に後進国なのだそうだ。それほどまでに、日本人のゲームに対する偏見は強い。

 そして何より、今の葉太は中学校の教師だ。

 目の前で地元から離れたゲームセンターに一人で通い詰める女生徒相手に、「自分が本気でやってたら、それは遊びなんかじゃない。自分の本気に、本物も偽物もないだろ」だなんて、気軽に言えるわけがなかった。


「あたしさ、好きなんだ。ゲーム」

「うん」

 ぽつりと零れた言葉に、どうしようもなくただ頷いた。


「対戦が好きなの。スマホのアプリとか、みんなでわいわいやるパーティゲームとかじゃなくてさ。相手をぶちのめしてやる、って、全力でぶつかり合って、戦うのが好き。ネット対戦もいいけどさ。あたしはやっぱり、相手の顔が見たい」

「そうか」

「でもさ、あたしが本気でやってるんだ、ってこと、誰にも伝わんないの。『でもゲームでしょ?』とかさ。『それって何の意味があるの?』とかさ。そんなのばっかり」

「そうだろうなぁ」

「わかんないよ、意味なんて。ゲームの何が面白いのか説明してみろ、なんて言われても、そんなこと出来ない」

「……」


 零れ落ちる言葉の一つ一つが、年齢と共に乾き、凝り固まった葉太の中の、まだ柔らかさを残す部分を抉った。


「意味のないことは悪いことなの? 言葉にできないものは、本物じゃないってことなの?」


 ああ。

 そうか。最初に出くわしたとき、桜子が泣いていたのは、何も対戦で負け越しただけのことではなかったのだ。

 きっと、耳に痛い正論を言われたのだろう。

 桜子の家庭の事情も、交友関係も、一体どうしてゲームが好きになったのかも、葉太はよく知らない。誰に何を言われたのかも、桜子は口にしないだろう。


「こんなことにマジになってるあたしが、馬鹿なのかな……」


 けれど、葉太に一体なにが出来る?

 葉太自身が、自らのゲーム好きを恥ずかしいことだと思ってひた隠しにしているのだ。

 実際、中学から高校までの間につぎ込んだゲーム代が、一体今の葉太のどんな糧になっているというのだろう。時間も、金も、葉太は空費したのだ。後には何も残らなかった。

 ただ、紫煙と騒音に塗れたセピア色の記憶だけが、いつまでも心の奥底にへばりついて離れない。


 そんな自分に、一体なにが――。


「ごめん」

「え?」

「先生は、先生だもんね」

「あ……」


 そう言って、桜子は立ち上がった。

 フードを被り直したその顔は、もう見えない。


「クソまずいミルクティー、ごちそうさま!」


 そう叫ぶや否や、思い切り足を振り上げて空き缶を蹴飛ばし、葉太が呆気にとられた隙をついて、桜子は走り去っていった。

「メーカーに謝れ……」

 力なくぼやいた葉太の声は、空しく春の空に溶けた。

 目に映る若葉と白い花弁のコントラストが優しくて、目に痛かった。




 桜子が蹴り飛ばした空き缶を陰鬱な気持ちで回収した葉太は、それ以上その場に留まることも何となく憚られ、いそいそと自宅のアパートへ帰った。

 途中寄ったコンビニで夕飯用の弁当とビールを買って冷蔵庫に放り込むと、何一つ予定のない休日の午後がぽっかりと現れる。

 ほとんど惰性のようにしてゲーム機の電源を入れ、桜子と語り合った格闘ゲームを起動した。


 ここのところ攻略も行き詰まり、ほとんどランキングも変動しなくなっていたが、今ランクマッチを選べば酷い結果になる気がして、葉太は久し振りにポイントのやり取りが発生しないフリーマッチを選び、だらだらと対戦を続けた。


 牽制を置く。相手の弾を凌ぐ。飛びはきっちり落とす。安易な強襲はガードして確反。手数で固めてガードを投げる。起き攻めは常に択を押し付ける。

 それで勝てるときは勝てる。負けるときは負ける。

 勝てば嬉しい。負ければ悔しい。

 ただそれだけのことが、何故こんなにも難しいのだろう。


 日が傾いてビルの彼方に没し、葉太は頭の奥に鈍い痛みを感じて対戦を終えた。もう最近では、集中力を持続させることがどんどん辛くなってきた。

 あに図らんや、戦績は勝ち越し。こんなことなら普通にランクマッチを選べばよかったという後悔と、教え子の悩みにもまともに向き合えなかった癖に、ゲームで調子を崩すこともできないのかという自虐の念が肩を重くする。

 

 弁当を食べるより早くビールの缶を開け、ぼんやりと画面の消えたテレビに映る自分の顔を見ていた葉太は、ふと思い立ち、クローゼットの下に押し込めてあった段ボールを引っ張り出すと、一つの茶封筒を取り出した。

 その中の一葉の写真には、色褪せた思い出の欠片が映っている。

 地元のゲームセンターで開かれたゲームの大会。ローカルな大会にしてはそこそこの人が集まり、当日は大いな賑わいを見せた。大会後に上位入賞者を集めて撮られたその写真の真ん中で、むすっとした顔で粗末な優勝トロフィーを掲げ持っているのは、桜子に瓜二つの顔をした少女だ。その横で、間抜けな顔で笑っている葉太は、この時三位入賞だった。


『お前な。優勝したんだからもっと嬉しそうにしろよ』

『はあ? してるでしょ。なんか文句あんの?』


 今ならば分かる。あの時の彼女は、どんな顔をしていいか分からなかったのだ。

 出禁を食らったゲームセンターで開かれた大会に、葉太と一緒になって店長に頭を下げ、出場を許してもらった。

 あの大会を機に、彼女は拙いながらに人との交流を始め、常連のゲーマーたちとも話をするようになっていった。触れようとするもの全員に噛みつくような視線を投げつけていた彼女にとって、恐らくそれは初めてできた自分の居場所だったのだ。


 けれど、その一年後。


『……ゲーム辞める?』


 その場から去ったのは、葉太が先だった。


『大学受験。いい加減準備しとかないと。予備校行くのに、ゲーセン通いしてられないし』

『じゃ、じゃあ受験終わったら、また――』

『いや、もう終わりにする。ちょうどいい機会だし』


 高校三年の春。その頃の葉太は、息子の成績が思うように上がらないことに悩んでいた両親と、家の中でかなり険悪になっていた時期だった。どうして成績が良くないかなんて、理由は一つしかなくて。

 家の近所の公園の、まだ微かに花弁の残る葉桜の下で、葉太は彼女に告げたのだった。

『いつまでも続けられるわけないだろ、ゲームなんて、くだらないこと。どっかで辞めなきゃいけないんだ。大人にならなきゃ――』

 そんな葉太の言葉を塞いだのは、彼女の握り拳だった。

 せめて平手だろ、と為すすべなく倒れこんだ葉太は怒りを込めて彼女を睨んだが、その数倍の怒気をもってこちらを見下ろす彼女の姿に、思わず言葉を飲み込んでしまった。


『なんで……』

『あん?』

『なんであんたから正論そんなこと聞かなきゃいけないんだよ!』


 目に溜まる大粒の涙を溢さぬよう、精一杯見開いて、真っ赤になった顔で、彼女は震えていた。


『辞めたきゃ、勝手に辞めやがれ。けど、一個だけ聞かせろよ』

 あの時の彼女が、どんな思いでその問いを発したのか、今も葉太には分からない。


『あんたにとって、ゲームってなんだ? あたしらと戦ったゲームは、あんたにとってなんだったんだ?』


 その答えも、まだ分からないままだ。

 

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