第4話
結局葉太は、ゲームを手放すことは出来なかった。
むしろ大学に合格してからというもの、それまでの受験のストレスを全てぶつけるようにゲームにのめり込み、いよいよ戻れぬ道へと足を踏み入れることになった。
それでも、長年通い続けたゲームセンターに顔を出すことは出来なかった。
彼女の顔を見ることは、どうしても出来なかった。
近年になって家庭用ゲーム機を使ったネット対戦が主流になってからは、専らそちらを使うようになり、もう何年もゲームセンターには足を踏み入れていなかった。
教え子の春川桜子とは、あの日以来、ゲームについての話をすることはなかった。
学校での桜子は、ゲーム好きであることを公言していながら、葉太の目から見ても上手に立ち回っているように思えた。男女ともに適度な友人付き合いを保ち、それでいて過度な干渉を避けるように深入りしない。よく笑い、ほどほどに怒る。
このバランス感覚だけは、彼女には似つかないな、と、葉太は密かに感心していた。
ただ、流石に遠方のゲームセンターまでわざわざ対戦のために通っていることは周囲にも隠しているのだろう。葉太とその近くの公園で遭遇したことや、葉太も重度のゲーマーであることを吹聴するようなことはしていなかったし、当然葉太から話を振ることもしない。
あの、葉桜の散る公園で交わした会話がまるで幻であったかのように、学校での葉太と桜子は、ただただ普通の教師と生徒だった。
あの日、答えられなかった問いは、いつも葉太の心の隅で、じわりじわりと毒を滲ませていた。
いつだって答えは見つからなくて、答えられなかったという事実だけが、巌のようにそこに残り続ける。
やがて月日も流れて年は巡り、桜子は進級して三年生になり、ついぞ答えを返せなかった葉太は、桜子の担任ではなくなった。
来年度のクラス分けが決まったとき、葉太の胸に去来した思いが寂しさだったのか、安堵であったのか、やはり葉太自身にも判然としなかった。
そして、短い春休みが始まった。ようやく何の予定も仕事もなくなり、夜半過ぎ、崩れ落ちるようにして自宅のベッドに寝転がった葉太を、スマホの着信が呼ばわった。
同僚や教頭だったら絶対に出ないぞ、と心を決めて画面を見れば、それよりももっとたちの悪い相手の名前が表示され、葉太は盛大に顔を顰めた。
こいつの場合、無視したほうが余計に面倒になる――。
しぶしぶ画面をスワイプさせた葉太の耳に、数年ぶりに聞く嫌な声が響く。
「よう、不良教師」
葉太は精一杯の悪意を込めてそれに応えた。
「なんだよ、悪徳店長」
「お前、来週の日曜、暇か? 暇だよな。まだ春休みだもんな」
「暇なわけあるか。教師舐めんな」
昔馴染みのゲーマー仲間が、いまや地元に唯一残ったゲーセンの店長かと思うと、なんとも複雑な気持ちになる。
こいつもまた、ゲームに憑りつかれて人生をふいにした阿呆なのだ。
「今度ウチで大会やるんだ。お前も出ろ」
「はあ?」
聞くところによると、話はこうだ。
このクソ店長の発案で今旬の格闘ゲームの大会を企画したところまでは良かった。
普段から人の集まりの良い店のこと、参加者も大勢集まることが予想されたが、誰にとっても意外なことに、一人のプレイヤーが参加表明をしたことで雲行きが怪しくなってきたのだ。
その名前を聞いて葉太にも顔が思い浮かぶ程度には名の知られたゲーマーで、彼が出場するのであれば優勝は諦めるしかないというのが大半の客の印象だった。
大会自体殆ど店側の自費で開催する以上、賞金額も高が知れてる。優勝者分の賞金しか用意できておらず(それにしたって目を覆いたくなるような少額だ)、それをとるのがほぼ不可能となれば、二の足を踏むものが出るのも当然といえば当然と言えた。
しかも救いがたいことに、その有名プレイヤーを呼んだのは外ならぬ店長自身だったのだ。
「いやあ、誰かひとり顔役になるやつがいればもっと参加者増えるかと思ったんだけどな。完全に裏目だった。
「お前、経営向いてないよ」
「つうわけだ。人数合わせにお前も出ろ」
「断る」
「うるせえ。出ろ。あと一人いればトーナメント表がきれいに埋まるんだ」
「お前が出ればいいだろ」
「主催者が優勝したらまずいだろ」
「しねえよ、安心しろ」
「あ゛あ?」
その後一頻り互いに悪口雑言を応酬し、一息ついたところで、電話越しの声がため息を吐いたのが聞こえた。
「まったく。勝てそうにないからやらないってのは、一体どういうメンタルなんだろな。今どきのゲーマーの考えはよく分からん」
「そんなもんだろ、今は。熱血だのスポ根だのが怒られる時代だ。子供だってその辺は分かってんだよ。わざわざ辛い思いしなくたって、自分たちは甘い汁を吸う権利がある、ってな」
「そんなもんかね。……ああ、いや。そうでもないぞ」
「あん?」
「一人骨のあるやつがいてよ。そいつも参加者の一人なんだが、そいつまだ中学生のガキなんだよ。しかも女」
「……はあ?」
一瞬、まさかと思い、直ぐに考え直した。この地区に何人女子中学生がいると思ってるんだ。そんなはずは……。
だが、電話越しに詳しく話を聞いてみれば、件の少女はどうやら春川桜子で間違いないようだった。
「今どき珍しいよ、あんだけマジに打ち込んでるヤツ。最初はまあ、見てらんねえくらい弱かったけど、ちょいと稽古つけてやったらどんどん上達してよ。今じゃすっかりウチの常連でさ。あ、ていうか、お前んトコの生徒なんじゃねぇの? こないだ ――」
「気が変わった。
自分でも驚くほどすんなりと、その言葉が口をついていた。
「あん? なんだよ急に」
「うるせぇな。いいから詳細教えろ」
「ちっ。……あ、待てよお前。まさかあの子のこと補導しようとか思ってねぇだろうな。ふざけんなよ。ウチは客がどんなトラブル起こそうが
「検挙されろ」
そうして、再び罵詈雑言を交わし合うついでに大会のルールとスケジュールを聞き出し、葉太はスマホの電源を落とした。
乾ききった喉にビールを流し込み、ベランダで煙草を吹かす。
窓ガラスに映る自分の不気味ににやけた顔が、こちらを見返していた。
――おいおい。一体、どういうつもりだ?
何がだよ。
自問する己の声に、葉太はとぼけて返事をする。
――春川桜子をどうするつもりだ?
どうもしないさ。同じ大会に出るだけだ。
――嘘つくなよ。一体何が目的だ? ええ?
何が言いたい?
――俺は何も言いたくねえよ。ただ、分かってるだけだ。
何を。
――お前、桜子に何かを伝えようとしてるんだよ。
何か?
――ゲームの素晴らしさか? そいつは青春を賭けるに値するステキなモノで、たとえ周りが何と言おうと、俺だけはお前のことを応援するぞ、って?
そんなわけあるか。ゲームは遊びだ。そんなもんに大事な青春を浪費するなんて馬鹿げてる。
――ああ、つまり。引導を渡してやろうってのかい? このままゲーセン通いなんてしてると、俺みたいな灰色の人生を送ることになるぞ、って? 身をもって示してやろうってわけだ。
ふざけろよ。天下の公務員様だぞ、俺は。勝ち組だろ、どう見ても。
――どの道、滑稽なことには変わらねえよな。まともな人生から逃げてゲームにのめり込んだ癖に、お次はそれからも逃げて受け売りの真っ当な言葉で仲間を傷つけた。それがどうだい? 今のお前は何なんだよ。真っ当な人間の皮を被って、こそこそ隠れるみたいにゲーム三昧の生活。お前はまともな人間にも、まともじゃない人間にもなれなかった半端もんだ。そんな――。
「そんな俺が、一体何を……」
不意に、口をついて出たぼやきに、葉太は苦笑し、ベランダの縁に煙草を押し付け立ち上がった。
明日から、忙しくなる。今日はもう寝よう。
――
うるせえな。決まってんだろ。
「俺はただ、ゲームで遊ぶだけだ」
それ以外、俺に何ができるってんだよ。
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