第7話

「ありえないんだけど!!」


 中天を過ぎ、傾きかけた太陽がぽかぽかと暖かな日差しを注ぐ公園に、桜子の叫び声が響いた。

 春休みのはずなのに人気のない公園の縁には、あの日と同じ葉桜が揺れている。

 同じベンチの端と端に腰を下ろし、葉太は空を見上げ、桜子は地面に向かってひたすら呪詛を吐いていた。


「何なの。何でやっとの思いで参加させてもらった大会に学校ガッコのセンセが出てきて優勝してんの。意味わかんない!」

「まあ、そういうこともあるさ」

「ねえよ!!」


 あの後、葉太は桜子との第二試合にストレート勝ちし、それどころか決勝戦で準プロとまで言われる有名プレイヤー相手に一歩も引かずに渡り合い、競り勝ったのだ。

 最終試合の後、社会人の嗜みとしての笑顔で握手を求めた葉太に、洗練された手つきでそれを返した有名プレイヤーの、今にも崩れそうな引きつった笑みが思い起こされ、葉太は心底美味そうに煙草を吸った。


「ていうか、あたし最初の試合の最後、立ちガしてたからね!? レバーの反応が悪かっただけで! あんなのあたしの勝ちだし。そしたらあたしの優勝だし!」

「言ってろ言ってろ」

「うっざい!!!」


 喉も嗄れよと太い声で叫ぶ教え子にストレートティーの缶を差し出して、葉太は問いかけた。

「なあ、春川。大会、楽しかったか?」

「は? 楽しいわけないじゃん。あたし負けたんですけど」

「じゃあ、格ゲー辞めたいと思うか?」

「っ」

 一瞬だけ、言葉に詰まって。

「辞めるわけないでしょ! 次は絶対あたしが勝つから!!」

 葉太の口角が、ひっそりと上がった。

「だよな」


「ていうか、今日だって負けてないし。あんなん台が逆だったら勝ってたし」

「いやあ、俺のトコの台、中キック効いてなかったからなぁ」

「え? うそ?」

「う・そ」

「あ゛あ゛あ゛!!」


 一頻り叫び疲れて荒い息を吐き、ようやく缶に口をつけた桜子の横で、葉太は空を見ながら言葉を紡いだ。

「俺もな、昔は入り浸ってたんだ、ゲーセン」

「知ってる。店長に聞いたし」

「いいか。くれぐれも。くれぐれも。あいつから聞く俺の話は、半分以上削って聞け」

「何焦ってんの。キモ……」


 いつもの悪態も力尽きたか弱々しく、ジト目で葉太を見る桜子から視線を逸らしたまま、葉太は続けた。

「ゲームなんてな、結局遊びなんだよ。後に続くものなんか何もない」

「……」

「意味なんてない。何の役にも立たない。ただの、時間の無駄だ」

 桜子の顔が、くしゃりと歪んだ。

「そんなこと――」

「でもな」


 葉太の目がメガネ越しに空を映す。


『私たちと戦ったゲームは、あんたにとって何だったんだ?』


 草臥れた中年男は、躊躇わずに答えた。



「……え?」

「すっげえ、楽しかったんだ。どこまでも熱中できた。いつまでも遊んでいられた。終電逃がして朝帰りして、親に死ぬほど怒られたってさ。辞められなかった。忘れらんねえよ、あんなこと」


 あの、薄暗く、小汚い、不健康な場所で。

 意味なんてなくても。

 どうしようもなく、無価値であっても。

 それだけは――。


「それだけは、ウソじゃない」


 その、きらきらと光る子供のような目を見て。

 桜子は、同じように空を見上げた。


「ねえ、先生」

「ん?」

「あたしさ、プロになるよ」

「はあ?」

「もっともっと強くなる。色んな大会出まくって、全部優勝する。そんで賞金稼ぎまくって、動画とか配信して、インタビューとか受けちゃってさ」

「おいおい……」

「それでね。『あなたはどうしてゲームを続けるんですか?』って聞かれたら、こう答えるの。『中学のときの先生の影響です』って」

「……俺が社会的に死ぬやつじゃねえか」

「そしたら!」


 立ち上がり、葉太の前に立ち塞がる。

 泣きそうな顔で、それでもにんまりと、笑みを作る。

「先生のやってきたこと、無駄じゃなくなるでしょ?」

「……あぁ?」

「あたしが将来ゲームで活躍したら、それが先生の、ゲームを続けてた意味になるでしょ。だからさ――」


 呆気にとられた。

 ぽろりと、煙草の灰が落ちる。

 胸の奥から、過去に捨て去った膨大な時間が押し寄せて、頭を殴りつけた。それは心臓を逆流し、熱い雫となって湧き出してくる。

 今にも両目から溢れそうになったそれを、葉太は気合で押し留めた。

 大人を舐めるなよ、クソガキ。


「その。なんていうか…………あたしのこと、応援してくれる?」

「ダメだ」

「はぁあ!?」


 足を組み直し、もう一度煙草を咥えて、葉太は教え子から目を逸らした。

「アホなこと言ってんな。もう三年だろ、お前。勉強しろ、勉強」

「はあ!? 意味わかんない! この流れでなんでそういう事言うの!?」

「俺は学校の先生なんだよ」

「どこの先生が格ゲーの大会出て優勝すんだよ!」


 くつくつと笑いを溢し、葉太は意地の悪い目を浮かべた。

「あのなぁ。お前、よく考えろ。の弟子なんだろ?」

「ええ? …………あ」

 しばらく困惑していた桜子が、その言葉の意味に気づき、 ぽかんと口を開ける。


『常に相手の嫌がることをしろ』

『やるなら徹底的に叩き潰せ』


「…………なんだよ、それ」

「反対してやるよ。そんな馬鹿な夢なんて。俺はもう、『いい大人』だからな。……でも、辞めねえんだろ?」


 しばらく顔を伏せて肩を震わせていた桜子が、ぷっ、と吹き出した。

「めん~っどくさ!!」

 葉太のにやけた顔がそれを見上げる。

「なんなの!? 何でそこで普通に『がんばれよ』くらいのことが言えないわけ!? ホントめんどくさい!」

「めんどくさいのは――」

「おじさんの特徴の一つなんでしょ!? 聞き飽きたんだよ、バ~~~カ!!!」


 最後に特大の悪態をついて、桜子は踵を返して走っていった。

 それでいい。

 俺のことなんか気にしてんじゃねえよ。

 揺れるお下げ髪を見送りながら、葉太は美味そうに煙草を吹かした。

 冷えた風が煙を流し、火照った顔を優しく撫で上げる。あと数分もすれば、日差しに茜色が混じりだすだろう。


 さて。もう一服したら、俺も帰ろう。溜まった仕事、片づけないと――。


「センセー!」


 遠くから、嗄れた声で呼ばれ、葉太は顔を上げた。

 公園の縁には、花の盛りをとうに過ぎた桜の並び。

 その下でパーカーのポケットに手を突っ込みこちらを見る生徒の顔は、ゲーム用に度を落としたメガネではもう見えない。


 それでも、その小さな体から溢れんばかりのエネルギーと、その背に負った未来の時間が、葉太には途方もなく大きな姿を見せた。

 可憐な花の色を残し、それでも、力強い生命力に満ちた青葉を揺らす――。


 葉桜の、君が。


「ありがと~~!!」


 そう、叫ぶ声を、葉太は全身で受け止め、満足そうに煙を吐いた。


 空が、青かった。





 そして、一年後。

 桜子は中学を卒業した。

 葉太は今年度の新入生の担任を任され、二週間目にして既に疲労がピークに達していた。

 若葉の茂る公園のベンチに腰掛け、灰色の煙で青空を汚していく。

 その草臥れた背中に、声がかかった。


「よう。不良教師」

 葉太はその声の主に目を向けることもなく、迷惑そうに声を返す。

「何か用か、悪徳店長」

 昔と変わらない趣味の悪いスカジャンと、年甲斐もない派手な染髪をした昔馴染みのゲーマーが、ベンチの端に腰を下ろした。


「別に。用なんかねえよ。来ちゃ悪いか?」

「別に。お前が来るって分かってたら来なかっただけだ」

「そうかい。……ああ、そうだ。桜子がウチでバイト始めたぞ」

「そうかよ。労基は守れよ。未成年者の就労は――」

「過保護か」

「うるせえ」


 意味のない会話をぽつぽつと続ける。


「なあ。なんでお前があの子のことあんなに気にかけてたのか、当ててやろうか」

「ダメだ。もう喋んな」


そっくりだからだろ?」


 長く伸ばされた、年甲斐もない派手な金髪が風に揺れる音が聞こえる。


「……喋んなっつっただろ」

「お前、私のこと大好きだったもんなぁ」

「図に乗んな貧乳」

「殺すぞハゲ」

「ハゲてねえよブス」

「そんなだから結婚できねぇんだよダメ男」

「バツイチが偉そうにすんな」


 深いため息が葉太の口から漏れ出で、葉太のかつての恋人は、忍び笑いを溢した。


「で? いい加減答えは見つかったかよ」


 どうでもよさそうな声音で聞くその問いに、葉太もまた、どうでもよさそうに答えた。


「見つかんねえよ、そんなもん。多分、一生」

「そうかよ」

「だから、続けるんだろ」

「……そっか」


 遠く、緑と白のコントラストが風に揺れている。

 思えばいつだって、この葉桜の公園は、出会いと別れの場所だった。

 葉太だけが、変わらずここに残っては、過去の思い出を引きずって動けずにいるのだ。

 そしてそれは、これから先もずっと――。


「なあ」

「おい」


 どちらともつかず、互いにかけた声が重なった。


「ゲーセン行こうぜ」


 これからも、ずっと、この場所から。

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葉桜の君に lager @lager

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