Killed By An Angel

下村アンダーソン

Killed By An Angel

 罪を償いきれば天使もまた消えるのだと教わった。

 そんなの嘘だ、と思った。だから私たちは、空へと弓引くことに決めた。


 三年前の天使襲来のとき、私は射手を務めた。決して多いとはいえない戦闘要員のなかで、もっとも命中精度が高いと見做されたのが私で、あのときもありったけの矢を回してもらえた。いったい何体の天使を射落とせたのか――数えている余裕はなかった。

 もっともどれだけの天使を殺したとて、ルーナを失ってしまった以上、作戦は失敗だったのかもしれない。あの一団はどうにか退けられた。次は分からない。

 指示を寄越すのがルーナで、そのとおり射るのが私。弓をつがえ、引き、放つ。一連の動作を担うのはすべて私だが、優先順位を定めるのはいつも彼女だった。ただひとつずつ着実に熟していけばいい、得意なことにだけ集中すればいい――その事実がどれだけ私を安堵させたことだろう。弓の力を増幅させたことだろう。

 告白するなら、あのとき先に魔力を使い果たしたのは私だった。もう一発たりとも放てないという気配をルーナは誰よりも早く察して、私に逃げ延びるように言った。一瞬たりとも迷った様子はなかった。

「射手はみんなの希望なんだから、何を差し置いても逃げないと駄目。射手がいなくなったら天使とは戦えない」

 分かっていたことではあった。天使を射る矢を扱える人間はそう多くない。あのとき、あの村においては私だけで、他の者たちは槍を突き出すのがせいぜいだった。むろんそれで天使に抗えるはずはなく、すぐさま噛み殺されてしまうのが落ちだった。

 だから射手は生きなければならない。それは村の総意で、私の存在意義でもあった。

「行って。私が時間を稼ぐ」

「だけど」

「大丈夫。私には奴らの動きがぜんぶ見えてる。おとりになるのに私以上にふさわしい人間はいない――分かるでしょう? 掴まりはしないよ。あとで必ず追いつく」

「――約束して」

「約束する。罪滅ぼしはそのときまで待ってあげる」

 ルーナは小さな笑みだけを残して駆けていった。反対方向へと走り去る前、彼女の背中を一瞬だけ振り返った。いつもどおりに頼もしく、それでいて優雅なその姿が、今もって私の目に焼き付いている。

 それが私とルーナの別れだった。終の別れとは思いたくない。思えるはずがない。


 〇


「天使に殺された人間はどうなるんでしょう」

 弓と矢の最終確認をしながら、リゼが少しだけ声を震わせて私に問う。

「射手を殺させはしない。だから安心して、自分のやるべきことに集中して」

「それは理解しています。心から信頼していますし――いざとなったら生き残るのを最優先する気でいます。ただ気になって」

「どうなるかなんて、誰にも分からないでしょう」

「そうですけど――どう思ってらっしゃるのかなって」

 私は短い沈黙を挟んで、

「天使に殺される人間はみんな、死を受け入れたみたいに茫然と立ち尽くすって言うでしょう? 見たことある?」

 かぶりを振ったリゼに向かい、私は口調を強めて、

「射手だった頃は、そういうのを見てる余裕はなかった。だから私は信じてないの。自分が殺されるのを受け入れるなんて、ありえないでしょう」

 ふふ、とリゼは笑った。

「死を受け入れさせるから天使って呼ばれてるのかもしれませんね。単に天から襲来するから、ではなくて」

 気配が近づいてきたのを察して、リゼが唇を引き結んだ。羽音。

 私たちは視線を上げた。ずっと空を覆っていた分厚い雲に、小さな切れ目が生じる。

「私の指示どおりに射ればいいから。大丈夫。安心して」

 リゼが頷いて弓を構える。

 三年ぶりに訪れた天使の一団は、いまだ中空の高い位置に留まっていた。様子を見るように旋回している個体が多い。派手に羽を広げているのが目に付くのは、まだ矢が届かないと高を括っているからかもしれない。

 遠距離の射撃は私の得意分野だったが、リゼはその類の射手ではない。私とは正反対で、短時間での正確な連射に秀でている。彼女が本領を発揮できる限界まで引きつけ、正確に優先順位を定める。

 不可能ではない――かつて自分がその立場にあったからこそ、射手が欲しがる情報は熟知している。訓練は呆れるほどに積んだ。リゼとならばやれるはずだ。

 距離が近づいてきた。まだだ……まだ……。

 今! と脳裡で声が弾け、合図を受けたリゼが目覚ましい勢いで矢を放ちはじめる。

 天使たちが泡を食ったように散開したが、私には全員の動きが手に取るように見えている。いつどれをどの順番で取るか――この規模の集団ならば誤らない。

 三年前の悲劇は繰り返さない。今度こそ、一匹たりとも生きては帰すまい。

 リゼもまた落ち着いてくれていた。射撃は正確無比だ。間違いなく急所を射抜きつづけている。

 彼女の力量を軽んじていたわけではない。しかし正直なところ、これほど上手くいくとは思っていなかった。清新な驚きが、胸中に生じていた。

 ふたりとも生き延びられたらキスを、と始まる前にリゼに強請られていた。そのときは冗談と思って笑ったが、すべて片付いたらしてもいい、という気になりはじめていた。思い返してみれば、かつて射手だった頃の私も同じだった。相棒と深く繋がることを求めていた。戦いのさなかでも、それ以外でも。

 不意に名前を呼ばれた気がして、私はかしらを巡らせた。視界に飛び込んできたものに慄き、一瞬、体が硬直した。

「――ルーナ」

 帰ってきたの? と問おうとしたが、唇が上手く動かなかった。彼女は確かにそこに立っていて、懐かしい瞳でこちらを見返していた。別れたときと同じ姿のまま。

 待たせちゃったね、と彼女は言ったのだと思う。私は両腕を広げて、駆け寄ってくる彼女を抱き留めようとした。

「ごめんね、ルーナ。あなたを置いていったこと、ずっと――」

 言葉の途中で、胸に熱い感触が走った。突かれた、と気付くのにしばらく時間がかかった。

 間近に迫ったルーナの顔は、なんの表情も湛えてはいなかった。彼女の片腕が深々と、私の胸元に埋まっている。傷口からは泉のように血が噴き出して、私たちを黒く濡らしている。

 これで罪が消えるだろうか、と思った。

 混濁の中で、ルーナの肩から白の両翼が広がるのを見た。

 リゼがこちらに向けて、なにかを叫んでいる。私を気にしている場合? と叱りつけようとしたけれど、まともに声を出すことができなかった。この程度で集中を切らすような人間は、射手には向かない。あなたはそうじゃないでしょう、リゼ。

 ルーナの翼が私を柔らかく包み込む。全身の力が抜けていく。

 私もルーナも、生まれてからずっと戦いつづけてきた。せめて今だけは、三年ぶりの再会の瞬間だけは、少しだけ安らいでもいいはずだと思った。

 ほんのいっときだけ、目を閉じよう。優しい翼に抱かれて、懐かしい人とひとつになろう。

 体が地面に横たわっているのを感じる。しかし同時に、ふわりと浮き上がっていくようでもある。

 幻はじきに消え、私はなにごともなかったように目を覚ますだろう。正しく自身の役割を思い出し、自分の成すべきことをするだろう。

 必ずやリゼのもとに帰り、約束を果たすだろう。そのときは――そのときこそ、彼女の小さな唇にキスをしてやろう。心配をかけた罪滅ぼしに。

 リゼは私を受け入れてくれるだろうか。それとも拒むだろうか。

 拒むならせめて、と私は思う。

 せめてあなたの矢で、私を射落としてほしい。

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